古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

〈拡大女子会〉のお供で明石へ。

2020年07月03日 17時43分27秒 | 古希からの田舎暮らし
 旅の疲れにもめげず、道子さんは今日「明石である拡大女子会に参加する」というので、ぼくは軽自動車運転お供をして出掛けました。明石の「龍の湯」で温泉につかって骨休めができます。
 露天風呂のほうは雨がポツポツしてイマイチでしたが、食堂でラーメンを食べました。

 食堂から世界一長い明石大橋が見えます。今日は雨でダメですが、もし晴れていたらデッキの先端の席で、大橋の端から端までを見渡しながら食事ができます。気に入りました。また来ます。食事のあとは2階のお休み所でしっかり昼寝をしました。
 女子会が終わった道子さんと合流して、「わざわざ明石まで来たのだから、魚の棚で買い物しようよ」とぼくが言い、ぶらつきました。

 三木や東条のスーパーでも新鮮な魚が手に入るときがあるので、近年は魚の棚から足が遠のいています。コロナのせいか、魚の棚も活気がイマイチです。人通りも少ない。でもカレイと鯛の切り身などを買いました。
 追加の大豆の苗がしっかり伸びてきました。明日も雨のようですがもう補植するときです。
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念願の「写真とともに故郷へ」をすませました。

2020年07月03日 03時43分21秒 | 古希からの田舎暮らし
 山陰の田舎で生まれ育ち、長年生きてから、神戸に出てきて亡くなった/父/母/弟/の写真を持って「故郷に別れを告げる旅」をしてきました。100枚以上の写真を撮りました。様子がわかるようにビデオで思い出の地を撮るつもりでしたが、面倒でやめました。高齢になるとちょっとした操作が面倒です。

 上井町一丁目の公園です。娘たちが幼児だった頃は、夏に帰省するとこの公園で盆踊りがありました。町内放送で「一丁目のみなさん、盆踊りをはじめますので公園に集まってください」とマノビした声の放送がきこえてきました。浴衣に着替えた幼児の手を引いて、公園に集まったものです。

 葵町に住んでいた頃の打吹山の写真です。倉吉東中学校は打吹山のふもとにありました。白い建物の見える場所です。家は学校から5分のところにあり、サイレンが鳴ってから登校してもなんとか。(当時はチャイムなんて洒落たものはありませんでした)写真の広いところは陸上競技場です。三段跳びのシルバーなどオリンピック選手がやってきて、このグランドで競技しました。立派なグランドでしたが柵はなくて、毎日放課後はトラックを遊びで走りました。また打吹山は体育の時間に登って頂上の石を拾ってくる訓練がありました。放課後は椎(しい)の実をとりに山に登りました。(椎の大木がいっぱい生えており、椎の実を炒っておやつに食べました)
 
 舎人村方地の母の実家は建物がありません。「故郷の廃家」の跡は夏草が盛り上がっていました。異郷で逝った親たちを故郷と出会わせながら、自分が故郷に別れを告げているのを意識していました。
コメント (2)
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