浜床のふろしき

尾道市因島から日常を記します

震災を語る

2009年01月17日 | 日常
『もう思い出したくない。忘れたい。』

偽らざる気持ちだと思います。自らの死を意識し、周りの人の死に直面した記憶を誰しも思い出したくないものです。

神戸大震災から14年が経ちました。まだ大学生だった僕がテレビで見た映像は衝撃的で、まるで戦争で空爆を受けた都市のようでした。そして数ヶ月後に友人を訪ねて行った神戸はまだ荒々しく傷跡を残していました。

日本という地震による被害を避けられない国に住む限り、震災がどれほどの悲しみを生むのか、忘れてはならないはずです。

そしてそれを伝えられるのは他ならぬ体験者なのです。思い出したくないでしょう。忘れたいでしょう。でもお願いです。伝えて続けてください。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
私も当時は大阪に住んでいたので随分揺れて目が覚... (ちか)
2009-01-21 00:18:03
私も当時は大阪に住んでいたので随分揺れて目が覚めました。幸い部屋は大したことなかったのですが…
うちの息子とかも直接は知らないのですが、保育園で震災について話があったようです。
本当に後世に伝えていかなくてはいけないですよね。
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この震災でたくさんの方が亡くなられましたが、私... (りのすけ)
2009-01-21 13:51:54
この震災でたくさんの方が亡くなられましたが、私の友人も、この震災で亡くなった一人でした。
あれからもう14年が経ったんですね。
毎年この日が来ると、命の儚さと大切さを再認識させられます。
今日生きている幸せをかみ締めて、一日一日を過ごしたいですね。


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>ちかさんへ (はまとこ)
2009-01-23 22:04:07
>ちかさんへ
広島で生まれ育った僕たちが原爆のことを語り継がれることで、戦争は絶対にしてはいけないものだと学んだように、震災を語ることで後世に伝わるものがあるはずだと思います。
息子さんも分かってくれると嬉しいですね。
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>りのすけさんへ (はまとこ)
2009-01-23 22:08:58
>りのすけさんへ
僕の友人は倒れた家屋の下敷きになりながらも、何とか自力で抜け出して助かったと話してくれました。
きっと僕はこの友人が被害に遭っていなかったら、他人事で済まそうとしていたはずです。
でもそれでは何も得られないと思うのです。
きちんと命の尊さや地震の恐ろしさを伝えていかないといけないですよね。
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