浜床のふろしき

尾道市因島から日常を記します

手拭いの出世

2005年09月28日 | 日常

先日、友人から貰ったメールに面白い話があったので紹介してみます。その友人は僕が関西で生活していた時に知り合いました。元々は出産前の母親教室で母親同士が知り合いになり、子どもが生まれてからも交流するなかで僕も友人としてお付き合いさせてもらったのです。僕が因島に帰ってくると同時に友人家族も仕事の転勤で東京に引っ越していきました。

その友人の娘さん(うちの子と同い年だから6歳)は幼稚園に通っていますが、そこで「新しい雑巾を持ってきてください」と言われて、使い古しの手拭い(タオル)をミシンで縫って持って行ったそうです。すると「こんなに汚れた雑巾は使えません」と言われました。友人はびっくりして、その先生に理由を聞いたそうです。どうやら、その先生が言うには、幼稚園に持っていく雑巾は新しいタオルで縫ったものやお店で売っている雑巾を持っていくのが常識だそうです。その新しい雑巾をまずは台拭きとして使用して、汚れたら床拭きとして使用するようです。

それを聞いて友人は憤慨していました。「そんな幼稚園の常識は認めない」と。友人の言葉を引用すると、「雑巾に昇格できるタオルは使い古しに決まっている!タオルとしての修行も積まずにいきなり雑巾に成りあがるなんて、そういう甘やかしは本人のためにならん!」とのこと。

ちなみに彼女の家には新品のタオルも売るほどあるらしいから、別にケチだから文句を言っているわけではないようです。

実は僕も息子の保育所で新品の雑巾を持ってくるように言われて違和感があったので、この話に妙に納得してしまいました。確かに僕たちが子どもの頃は使い古しのタオルが雑巾になっていたはずです。家で母親が苦手なミシンで縫ってくれていたのを思い出しました。おそらく、それはタオルとしての修行(?)を積んで、やっと雑巾になる資格を得て、姿を変えていったのでしょう。

だからなのか、破けている雑巾やシミのついた雑巾などがあったように記憶しています。それでも恥ずかしいという気持ちは無かったと思います。

思えば、僕たちにしてもそうですよね。何も下積みがないまま幸せを手に入れようとしても、周りから見れば修行が足りないし、僕自身のためにもなっていませんよね。そうだ、下積みって大切なんだ・・・って、これは雑巾の話だったのに(笑)