虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

雨降りの日、時代遅れはブツブツ言う

2010-06-13 | 日記
雨降りだからブツブツ言おう。

テレビを見ると、「超党派で税制(消費税)の論議をしましょう」と管首相が話しているそうだ。「超党派」といっても、党派にそんなにちがいはない。
そのうち、超党派で憲法改正の論議をしましょう、と与党が必ず言ってくる。

普天間基地の問題、、新しく首相が変わってから新聞紙面から姿を消した感じ。あいもかわらず、小沢の政治とカネを話題にしているけど、ほんとに「怒」になりそうだ。小沢の政治とカネなんかよりも、米軍と日本の「政治とカネ」の問題をそのくらいのしつこさで追求しろ!、米軍の移転費用については、なーんにも書けないくせに。

最近、ソルジェニーツィンにやっと関心を持ち始めた。うしおに堂にも揃えた。

ソルジェニーツィンは1970年代には書店によくあり、話題になってよく売れたのではないか。新潮文庫の「収容所群島」を見ると、昭和50年の2月20日に発行で、その3ヶ月後の5月には6刷となっている。ベストセラーといってもいい。就職した会社の専務さんも手に持っていたくらいだから、これを読まねば時代に遅れると思ったのだろうか。

わたしは自慢じゃないが、流行には従えない男。若者にジーパン、長髪が流行った時代、わたしは、角刈り、ふつうの長ズボン、下駄ばき姿で歩き、しばしば「自衛隊に入りませんか」と勧誘されたものだ。

村上春樹の本も読まない。雑誌「群像」で「風の歌を聴け」を読んだとき、村上春樹は若手で一番いい、と思ったけど、こんだけ流行すると、読む気がしなくなる。あまのじゃくというか、あとからにしようと思う。

カラオケでも歌うのは、ひたすら時代遅れの70年代の歌ばかり。

だから(説明が長すぎる)、ソルジェニーツィンも読んでいない。ずっと縁がなかった。
最近、たまたま古本屋でソルジェニーツィンの本を手にした。いつのまにか書店からはソルジェニーツィンの本は消え失せ、全部、絶版だと気がついた(一部の本は高額で復刻されているようだけど)。

消えてなくなりそうになると、がぜん、関心がわく。
それにしても、あの時代のソルジェニツィン人気はなんだったのだ。今の絶版はどうしたわけだ。単にソビエトが崩壊したから、もう役目は終わったというものではないだろう。国家があるかぎり、ソルジェニツィンの問題は存在する。なのに、本屋から姿を消す。みんなの関心がなくなる。

若い人は手にすることさえもできない。その存在さえも気づかない。新聞紙面から沖縄が消え、消費税や小沢の記事が占めるのと同じか?

古本屋は流行に左右されない。存在意義はある。(突然の、へんなオチ、多謝)。
今度、カラオケで「時代遅れの男」(だったか?)練習しようかな。
この稿、まとまらず。