虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

藤樹書院 近江聖人の里

2010-06-06 | 日記
中江藤樹の里を訪ねた。琵琶湖の西。高島市。若狭に近い。のどかな風景。

車は中江藤樹記念館の駐車場(無料)に置くといい。記念館の隣は藤樹神社。儒学者の中江藤樹がなんで神様になるんだ、と思ったが、大正時代にできたらしい。また記念館の横には「陽明園」という中国風の庭園もあり、王陽明の石像が建っている。だれもいません。

記念館には藤樹の書などが展示してあり、原田龍二が藤樹役になった映画も放送しているようだ(見なかった)。藤樹の文字はとても明確でわかりやすいと思った。書というと、くずした、とても読めない文字もよく見るけど、藤樹の文字は好感を持った(字のへたな自分がいうのもおこがましい)。

記念館を出て5分ほど歩くと、藤樹の墓所(玉林寺)、藤樹書院がある。周りは清流が流れている。
藤樹書院の中に入る。無料。ご自由に見学してください、とある。藤樹の神主(しんしゅとよむ、仏教の位牌みたいなもの)がおいてあり、藤樹の来た着物なども展示してある。畳敷きで、これは昼寝するにはもってこいの場所だと思った。ここで、藤樹や弟子たちは学問したのだが、この建物は明治13年に再建したものらしい(旧書院は火事で焼けた)。

藤樹書院の隣が「良知館」といって、無料の休憩所、案内所、藤樹関係の本なども売っている。求めれば、藤樹書院の説明もしてくれる。でも、あまり訪れる人はいないようで、暇そうだ。村の人たちのボランティアだろうか?何度もいうが無料というのが気に入った。

かつて天保時代にも、大塩平八郎がここに何度も訪れた。そのころも、ここを訪れる人はあまりなく、荒れ果て、ただ一人志村周二という人が番をしていた。志村周二は大塩の乱の関係者としてたしか処刑されたのではなかったか?

漢文は読めず、現代語訳で読むだけだが、儒学(孔孟学)はきらいではない。いかに生きるべきか、人間としてどうふるまうべきか、という学問。特に、陽明学は、心の持ち方を主題にしている。だいたい、現代で、学問と名のつくもので、いかに生きるべきかや心の持ち方を研究する学問なんか存在しない。小学校から大学までどの学問も(学問というべきかどうかわからないけど)、役に立つかどうか、テストで採点できるようなものばかり。その点、儒学は、外国の聖書のように人間の指針となる。トルストイの教えなどとも共通性を感じる。ことに心が弱く、悪いわたしのような男には救いになる。

でも、かといって、学校教育に儒学や道徳の授業を復活してほしいとは思わない。大迷惑、大反対だ。心の学問は、外から教えられるものではない。

中江藤樹は41才で亡くなっている。亡くなるのが早すぎる。しかし、死後300年以上もその土地の人から敬慕されているなんてすごい。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。