虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

東海道関宿

2005-09-19 | 日記
このところ、毎週、遠出している。
ガソリン代も馬鹿にならないので、高速はのらないようにしている。
関宿(三重県亀山市)まで、一般道で、約3時間(大阪の北端から)。

関宿は、東海道の宿場の中で、昔の面影が唯一残っているところ。前からいきたかった。江戸から数えて47番目の宿場町。東から鈴鹿峠に入る手前の宿場。

道の駅関宿に車を置いて見学にいける。
1.8キロにわたって町並みが続く。ぶらぶら歩きだと、はしからはしまで45分はかかる。以前に行った鯖街道熊川宿よりも長い。人もぽつりぽつりしか歩いていない。清河八郎も歩いた道だ(東海道だ、あたりまえだ)。清河八郎は関宿については「関は伊勢大神宮に追分にして、人家いたって多く、近辺随一の宿場なり」と書いています。関から伊勢への道も分かれていたのですね。

歩いていると、江戸時代というより、なぜか昭和30年時代を思い出す感じ。昔の田舎にはこんな家が残っていたのでは。暗い家の中にはこわーいおじいさんが住んでいたり。

ときどき、車が通り過ぎたり、通りの横にジュースの自動販売機が置いていたりするのが、景観をそいでしまうけど、ここで生活している人がいるのだからそれはしかたがないのかもしれない。宿場町だけに、昔の、例えば、長谷川伸の「1本刀土俵入り」に出てくるような旅籠もあった。
「関で泊まるなら鶴屋か玉屋」といわれたそうですが、その旅籠玉屋は歴史資料館として中を公開しています。
こういうところは、夕暮れか夜歩くと一層興をますように思われる。夜だったら、提灯がほんとに似合いそう。

通りにある福蔵寺(信長の子信孝の菩提寺)には関の小万の墓がある。関の小万は有名で、鈴鹿馬子唄にも歌われているとか。関の小万には、近松が書いた遊女の小万と、仇討ちをした小万の2人いるようですが、この墓は仇討ちをした女性。享和年(1803)に38歳でなくなったそうな。