「市村敏麿の面影」では、大井憲太郎が宇和島にきた文章をのせたあと、谷本市郎氏が保管していた無役地事件判決書をのせている。これは明治25年、大阪控訴院の棄却の判決だ。
控訴人 愛媛県東宇和郡中川村大字清沢70番戸
平民 宇都宮伊八外32人
右訴訟代理人 大井憲太郎 辻村友之
被控訴人 愛媛県東宇和郡中川村大字清沢11番戸
平民 農 辻 隆市
右訴訟代理人 清水新三 柿崎鉄吾
右当事者間の本年一部の㈹2号焼く棒地返還要求の控訴事件につき、当控訴院に判決すること左のごとし。
本件控訴は、これを棄却す。訴訟費用は控訴人において負担すべし。
控訴人は第一審と同一の事実を陳述し、第一審裁判全部を廃棄して、控訴人請求の地所反別2町2畝19歩を被控訴人より返還すべしとの判決あらんことを申し立てたり。被控訴人は、第一審と同一の事実を陳述し、かつ追加乙第48号証を提出し、庄屋転村は売買に出たるものにして、官吏転勤のごときものと同一視すべからずとのことを証し、第一審判決全部を認可し棄却あらんことを申し立てたり。」
理由
全部書き写すのもめんどうだし、裁判内容そのものについては、また調べて改めて詳しく書いてみるつもりなので、今はカットする。要するに、裁判所の言い分は、村民の共有地である証拠がなく、庄屋役地は、藩主が新たに与えたものだ、というものだ。毎回、同じ理由だ。
「以上、説明のほか、数多の論述、および挙証ありといえども、みな枝葉にして本訴を断ずるに適切ならざるものと認めるをもって、いちいち説明を与えず、右の理由なるをもって、本件控訴は、民事訴訟法第424条により、棄却するものとする。
大阪控訴院民事第一部裁判長
判事 海野 勤
判事 一賀 道友
判事 伊藤 景直
判事 蔦葉 正道
判事 甲山 辰治郎 」
無役地闘争は、この裁判のあとは後退していくが、しかし、明治33年あたりまで裁判は続けられたようだ。その裁判に市村敏麿が関わったかどうかはわからない。おそらく、敏麿もこの明治25年で、闘争の一線は退いたにちがいない。闘争にたずさわること、約20年、敏麿も55歳。当時では老齢になる。
控訴人 愛媛県東宇和郡中川村大字清沢70番戸
平民 宇都宮伊八外32人
右訴訟代理人 大井憲太郎 辻村友之
被控訴人 愛媛県東宇和郡中川村大字清沢11番戸
平民 農 辻 隆市
右訴訟代理人 清水新三 柿崎鉄吾
右当事者間の本年一部の㈹2号焼く棒地返還要求の控訴事件につき、当控訴院に判決すること左のごとし。
本件控訴は、これを棄却す。訴訟費用は控訴人において負担すべし。
控訴人は第一審と同一の事実を陳述し、第一審裁判全部を廃棄して、控訴人請求の地所反別2町2畝19歩を被控訴人より返還すべしとの判決あらんことを申し立てたり。被控訴人は、第一審と同一の事実を陳述し、かつ追加乙第48号証を提出し、庄屋転村は売買に出たるものにして、官吏転勤のごときものと同一視すべからずとのことを証し、第一審判決全部を認可し棄却あらんことを申し立てたり。」
理由
全部書き写すのもめんどうだし、裁判内容そのものについては、また調べて改めて詳しく書いてみるつもりなので、今はカットする。要するに、裁判所の言い分は、村民の共有地である証拠がなく、庄屋役地は、藩主が新たに与えたものだ、というものだ。毎回、同じ理由だ。
「以上、説明のほか、数多の論述、および挙証ありといえども、みな枝葉にして本訴を断ずるに適切ならざるものと認めるをもって、いちいち説明を与えず、右の理由なるをもって、本件控訴は、民事訴訟法第424条により、棄却するものとする。
大阪控訴院民事第一部裁判長
判事 海野 勤
判事 一賀 道友
判事 伊藤 景直
判事 蔦葉 正道
判事 甲山 辰治郎 」
無役地闘争は、この裁判のあとは後退していくが、しかし、明治33年あたりまで裁判は続けられたようだ。その裁判に市村敏麿が関わったかどうかはわからない。おそらく、敏麿もこの明治25年で、闘争の一線は退いたにちがいない。闘争にたずさわること、約20年、敏麿も55歳。当時では老齢になる。