虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

逃げる人 大西与五郎、竹上万太郎

2007-02-20 | 歴史
2月19日、吉見の訴状で一味として名前が出ている東組与力瀬田済之助(25)と小泉淵次郎(18)は、泊まりの当番で東組役所にいることがわかる。

自分の足元、奉行所の中に大塩の一味がいることを知って跡部はさぞ驚いたにちがいない。すぐ召し取れ、とばかりに、二人をご用談の場へ呼び寄せる。二人は様子がおかしいのに気がついたのだろう、ここで、小泉淵次郎は、跡部の付き人で剣術師範役の一条一(はじめ)という男に斬られ、瀬田は、塀をのりこえ、大塩邸まで走る。
奉行所の中で一人を取り逃がすとはなんたる失態か。しかも、その後、瀬田を追いかけたようすもない。ちなみに、斬られた小泉には花のようないいなずけがいたそうだ。

テレビの鬼平なら即刻、馬に乗って捕り方を引き連れて大塩屋敷にむかうはずだ。

跡部は何をしたか。使いを大塩の叔父である組与力大西与五郎(50)に出し、「平八郎に切腹をすすめよ。もし、不承知なら彼と刺し違えて死ね」と命じる。
こんな無茶な命令ってあるか?大西に同情。跡部、それを自分でやれえい。

大西は、このとき、病気引きこもり中の身、今なら休職中ということか。大西の養子が先に大塩屋敷の近くまで行くと、もうあたりは火災が起き、往来は槍や刀をもった一団でいっぱい。ひきかえして、与五郎にそのことを伝えると、「近親者に謀反人がでたら、われらもお咎めをうける。ここは逃げよう」と二人で西の宮あたりまで逃げる。途中で後悔して大坂に引き返したときに逮捕されたらしい。
大西与五郎、遠島。養子は中追放。

竹上万太郎(49)、弓奉行同心。大塩門弟で、連判に署名。19日の朝、鉄砲をもって大塩邸にかけつけるが、家族を立ち退かせた上で存分に働きたい、とまた我が家へ引き返す。家族みんなを立ち退かせたあと、上司宛てに前非を後悔している、家名相続だけはよろしく、という願書を人に渡して播州まで逃げる。この人もまさか大塩がこんなだいそれた反逆をするとは思ってもみなかったのだろう。また、連判の署名を強要されると断れない、ふつうの人だったのかもしれない。
引き回しの上、磔の刑。

大塩の乱はさまざまな人がまきこまれ、それぞれのせっぱつまった人間の姿が見えておもしろい。

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