虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

身内の喧嘩の達人

2010-03-05 | 日記
3月は叔父の命日だ。叔父といってもわたしと同じ歳、親父の一番下の弟になる。Tとしておこう。

Tとの日々は宇和島吉田の思い出と重なる。
小学校三年生のとき、事情があって、突然、吉田町で暮らすことになったとき、いつも一緒にいて世話になったのがこのTだ。

ふつう、田舎では、転校生は悪童から喧嘩を売られるものだが、ここでは一度も売られなかった。おい、今度の転校生はTの親戚らしい、と情報が伝わっていたようで、だれも手を出さなかった。それほど、Tは喧嘩が強かった。といって、叔父が喧嘩をする場面は一度も見たことがない。温厚で、やさしくて、担任の女先生からも、友達からも慕われていた。はっきりいって、嫉妬を感じていたくらいだ。しかし、小学校三年生だけど、喧嘩はたしかに強い。遊びで、チャンバラや相撲を何度もしたが、一度も勝てなかった。生まれつき、強いヤツというのはたしかにいる。幕末の志士というヤツはこういう人ではないか、とあとから思った。Tはその後、東京の俳優学校にも所属したようだが、結局、自衛隊に入った。自衛隊では銃剣術の大会で何度も優勝したらしい。たぶん、天性だろう。格闘技は何をやっても上達した。もうすぐ定年という年に突然、交通事故で亡くなってしまった。3月のことだ。

この叔父には7,8才はなれた兄貴(私にとっては叔父だが)がいて、この人も強かった。Sとしておこう。
小柄で、地味で、見た目はとても喧嘩するような人とは思えないのだが、さまざまな武勇伝がある。
これは、目撃した人から直接聞いたのだが、ある祭りの日、地元のやーさんが一人、足を組んで怖い顔をして往来の人を睥睨していた。Sは、目撃者の人に「ちょっと見ててな」というと、そのやーさんの顔を手のひらであごから頭までぺろりとなぜる。やーさん、はじめはなんのことやらわからず、しかし、わかったとたん、「おどれー!」となぐりかかったそうだが、その間、約20秒もたたずに、相手はダウン。

まったく、大人げなく、自慢できることではないが、Sにしたら、喧嘩が唯一の鬱屈の発散方法だったのかもしれない。貧しかったが東京の商船大学に入り(ここはお金はいらなかった)、船長になったが、東京でもやくざ者と喧嘩し腹を刺されて入院したこともある。この叔父も、なんと、50を越えたか越えないころに、突然死してしまった。

このTやSの兄弟の一番上の兄貴がわたしの親父ということになる。TやSや親父は喧嘩の強さが男である証拠みたいなところがあり、わたしはいやだった。

親父は戦前の軍国少年よろしく、地元では「吉田のハリマオ」と名乗り、よく喧嘩したらしい。当時は、そういうことがむしろ奨励されるような時代雰囲気があったのかもしれない。
他愛ないもので、今の暴力事件と同列には論じられない。正義の使者の気分だったのだろう。
親父は、剣道初段、柔道2段、空手2段ということになっている。家に黒帯の道場着もあったからたぶん、ほんとうだろう。
飲み屋をしていて、客同士が喧嘩になったとき、わざわざ柔道着に着替えてから仲裁に入ったこともある(笑)。

この3人の兄弟が出会って酒を飲むと、必ず大酒になり、そして兄弟喧嘩になっていた。
3人とも、あの世で大いに飲み、喧嘩してるかもしれない。仲のいい兄弟だった。

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2 コメント

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なんか、時代が、 (mocha)
2010-03-06 00:41:44
幕末の話を聞くようでした。

 ^^; スゲエ
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Unknown (荘太郎)
2010-03-06 16:58:12
コメントありがとうございます。

まさに前時代的、土俗的、野蛮な気風で、今の時代には喪われた精神。紳士はまねしてはいけません(笑)。
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