虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

崇禅寺

2007-02-18 | 歴史
午前中にいってきた。崇禅寺。新大阪駅の近く。
ここは、崇禅寺馬場の仇討ちで有名で、遠いところではないので、1度はのぞいてみたかった。
ここは仇討ちばかりではなく、暗殺された足利義教の首塚と細川ガラシャ夫人の墓もある。

さて、崇禅寺馬場の仇討ちは、正徳5年(1715年)、大和郡山藩の遠城兄弟が、弟の仇とねらう生田伝八郎を討つべくここにやってきたが、反対に返り討ちにあう話だ。仇討ちは、尊属に対してなされるので、弟の仇討ちは認められないので、二人の兄弟は脱藩し、探索。大坂の町で剣術指南をしていた生田と生玉神社境内でばったり会い、崇禅寺の果し合いを決める。当日、崇禅寺には、生田伝八郎の門弟たちが生田に加勢し、遠城兄弟は殺される。検死の記録によると、槍や矢の傷もあり、多人数にかこまれたことがわかる。


画像が、遠城兄弟の墓。
生田伝八郎は、この事件の20日後、大和郡山の遠城家の菩提寺で切腹している。

「雨月物語」の上田秋成はこの生田伝八郎の遺児ではないか、という説もあるようだ。

この仇討ちの話は、昔は芝居でもよくやっていたらしい。東映では、大友柳太郎が生田伝八郎になって映画にもなったそうな(名作の評判。もちろん、見たことない)。この映画では、門弟たちがたくさん生田に味方をしたのは、生田の本意ではなく、生田を愛する女性が勝手に助勢を頼んだ話にしているようだ。
生田の辞世
いさぎよく死出の雪見る今宵かな

帰り、近くなので、吹田の泉殿宮(いづどのぐう)ものぞいてみた。








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