虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

千葉重太郎

2010-04-22 | 歴史
千葉重太郎といえば、桶町千葉道場の千葉定吉の息子で、坂本龍馬の友人。龍馬のドラマでは必ずといって登場し、どちらかといえば、ノンポリで単純温厚な好男子みたいな役柄。今の大河では、渡辺いっけいが演じている。

さて、この千葉重太郎も山国隊と深く関わっている。
仲村 研の「山国隊」を読むと、山国隊が江戸にいるとき、しばしば千葉重太郎が出てくる。この本は、山国隊の総代だった藤野 斎の日記をもとにして書いているが、藤野とも親しく交際している。交際どころか、山国隊に500両も貸している。返してくれよ、としきりに返済を要求して藤野を困らせてはいるが、しかし、よくぞ500両も出したものだ。

なんと、千葉重太郎も因幡藩士(鳥取藩)なのだ。因幡藩の江戸藩邸での周旋役を務めていたようだ。

ネットで調べると、父定吉も嘉永6年に鳥取藩の剣術師範役になり、重太郎は万延元年に因幡藩に仕官している。江戸藩邸の仕事をしていたのだろう。戊辰戦争にも因幡藩の歩兵頭として出陣している。

因幡藩は尊皇攘夷派が多く、長州人との交際もある。桂小五郎が池田屋を訪ねたとき、因幡藩邸に立ち寄っていたので、新選組の災難にあわなくてすんだ。
千葉重太郎も尊皇攘夷派だったにちがいない。龍馬を連れて勝を斬りにいった、という話は納得できる。

前回の龍馬伝では、龍馬は勝海舟という存在を恋人の平井加尾さんから教えられるという設定だったけど、いくらなんでもそれはないだろう。


千葉重太郎さん、その後、鳥取藩、北海道開拓吏、京都府などの役人になったそうだ。
千葉重太郎の語り残しみたいなのはないのだろうか。

薩摩、長州、土佐に比べると、因幡藩というのはほんとに注目度が低い。
前回、書いた山国隊隊長になる河田左久馬、初代の鳥取県県令になっている。