漂流民話、もう一つありましたので、書いておきます。
これも、9年前、この時期、なんか集中的に漂流談を読んだのでしょう。その後は、すっかり忘れていますから、熱しやすく冷めやすい自分の性向がよくわかります。この漂流談は、あまり印象に残っていないので、たぶんおもしろくないのかもしれません。パソ通時代の漂流談は、これでおしまいです。
以下コピー。
漂流民次郎吉の話(蕃談)
( 8) 98/06/22 00:46 コメント数:2
天保9年に遭難して漂流した越中富山の長者丸(10人乗り)の漂流記をやってみます。
この漂流記は日本庶民生活史料集成にある「時規(とけい)物語」と「蕃談」が
ありますが、「時規物語」は長すぎるし(しかし、挿絵は素晴しい)、「蕃談」
は東洋文庫に現代語訳があるので、「蕃談」を読んでみることにします。
まだぜんぜん読んでいないので、おもしろいのかつまらないのかは、まったくわから
ない。つまらなかったら(あまりわたしの興味をひかなかったら)、連載もすぐ終わ
るつもりです。でも、井伏鱒二の「漂民宇三郎」はこの事件が史料になっているそう
やし、ちょっとは何かあるかもしれません。
「蕃談」。漂流民次郎吉に取材してこの本を書いた人は、古賀謹一郎。
幕末期には、蕃書調所という幕府の洋学研究所の頭取を勤めた人です。
話を取材した時は29才のころかな。
その序文には概略こんなことを書いています。
中国の晋の代に、ある漁師が桃源境を旅して帰って人々に語り、人々はその
話に驚いたという。この漂流民の話も、わたしたちにとっては桃源境を旅した
人の話のようだ。
しかし、わたし(古賀)はこうも思う。
晋に住んでいたという桃源境の人々は洞窟の中にこもり、500年間、外の世界を
知らなかった。桃源境の人々こそ、漁師から世間の話を聞き、びっくりしたので
はなかろうか。
いや、われわれも、この桃源境の人々と同じではないのか。
鎖国して、海外の事情は何も知らない。
蘭学や長崎だけの情報では満足できない、という鎖国時代の学者の焦り、海外への
探究心を感じます。
RE:漂流民次郎吉の話(蕃談)
( 8) 98/06/22 21:26 03989へのコメント
としまるさん、まいど!海の男 ホ-ンブロワ-じゃなかった藤五郎です(^^)
>>「蕃談」を読んでみることにします。
>これって何て読むんだっけ?未だ学校で習っていないよ(笑)
「ばんだん」と思うけど、ちがうかなぁ。「ばん」とキ-ボ-ドを押すと、
その中に蕃という漢字もあったんだ。
「蕃」というのは、外国人、未開の異国人という意味があるのでしょうね。
当時の日本にとって、中国を除けば、蕃なのだろうか?
この漂流談を語った次郎吉は当時、26才のただの水夫(雑用係)。
でも、体格堂々として、力持ち。大男のロシア人と相撲をとってもだれもかなわず、
日本人、強し、と尊敬されたようだよ。
対面したインタビュア-古賀謹一郎は、「顔色浅黒く、堂々たる偉丈夫で、
すぐれた記憶力を持ち、弁舌もまたさわやかである」と書いています。
ただ水夫の常として文字はなかったそうですが(ほんとかなぁ?)。
文字はなくても、その知性はすごいよ。(文字を知って本を読めば読むほど、
知性教養人格はかえって曇る場合もありうるな)
たとえば、こんなこと言っている。
「そもそもわが国は、外国といえばすべて仇敵視し、異国の船を見れば善悪を
問わずただちに砲撃する。したがって諸外国はわが国をあたかも狂犬に対する
ごとく深く警戒し、本土に少しでも近づく際は厳重に武装を整える。-略-
諸外国の船がみな日本の近海で武備を厳にするというのは、これまったくわが国
がみずからまねいた結果ではないであろうか」(東洋文庫「蕃談-漂流の記録1」
平凡社)
漂流の記録1、と書いていて全3巻とあるけど、どうも、2、3は出ていないようです。
でも「蕃談」はこの1巻だけで全部です。もうひとつの史料「時規物語」も合わせて
使って補っているので、これで漂流の経過は十分知ることができそうです。
これも、9年前、この時期、なんか集中的に漂流談を読んだのでしょう。その後は、すっかり忘れていますから、熱しやすく冷めやすい自分の性向がよくわかります。この漂流談は、あまり印象に残っていないので、たぶんおもしろくないのかもしれません。パソ通時代の漂流談は、これでおしまいです。
以下コピー。
漂流民次郎吉の話(蕃談)
( 8) 98/06/22 00:46 コメント数:2
天保9年に遭難して漂流した越中富山の長者丸(10人乗り)の漂流記をやってみます。
この漂流記は日本庶民生活史料集成にある「時規(とけい)物語」と「蕃談」が
ありますが、「時規物語」は長すぎるし(しかし、挿絵は素晴しい)、「蕃談」
は東洋文庫に現代語訳があるので、「蕃談」を読んでみることにします。
まだぜんぜん読んでいないので、おもしろいのかつまらないのかは、まったくわから
ない。つまらなかったら(あまりわたしの興味をひかなかったら)、連載もすぐ終わ
るつもりです。でも、井伏鱒二の「漂民宇三郎」はこの事件が史料になっているそう
やし、ちょっとは何かあるかもしれません。
「蕃談」。漂流民次郎吉に取材してこの本を書いた人は、古賀謹一郎。
幕末期には、蕃書調所という幕府の洋学研究所の頭取を勤めた人です。
話を取材した時は29才のころかな。
その序文には概略こんなことを書いています。
中国の晋の代に、ある漁師が桃源境を旅して帰って人々に語り、人々はその
話に驚いたという。この漂流民の話も、わたしたちにとっては桃源境を旅した
人の話のようだ。
しかし、わたし(古賀)はこうも思う。
晋に住んでいたという桃源境の人々は洞窟の中にこもり、500年間、外の世界を
知らなかった。桃源境の人々こそ、漁師から世間の話を聞き、びっくりしたので
はなかろうか。
いや、われわれも、この桃源境の人々と同じではないのか。
鎖国して、海外の事情は何も知らない。
蘭学や長崎だけの情報では満足できない、という鎖国時代の学者の焦り、海外への
探究心を感じます。
RE:漂流民次郎吉の話(蕃談)
( 8) 98/06/22 21:26 03989へのコメント
としまるさん、まいど!海の男 ホ-ンブロワ-じゃなかった藤五郎です(^^)
>>「蕃談」を読んでみることにします。
>これって何て読むんだっけ?未だ学校で習っていないよ(笑)
「ばんだん」と思うけど、ちがうかなぁ。「ばん」とキ-ボ-ドを押すと、
その中に蕃という漢字もあったんだ。
「蕃」というのは、外国人、未開の異国人という意味があるのでしょうね。
当時の日本にとって、中国を除けば、蕃なのだろうか?
この漂流談を語った次郎吉は当時、26才のただの水夫(雑用係)。
でも、体格堂々として、力持ち。大男のロシア人と相撲をとってもだれもかなわず、
日本人、強し、と尊敬されたようだよ。
対面したインタビュア-古賀謹一郎は、「顔色浅黒く、堂々たる偉丈夫で、
すぐれた記憶力を持ち、弁舌もまたさわやかである」と書いています。
ただ水夫の常として文字はなかったそうですが(ほんとかなぁ?)。
文字はなくても、その知性はすごいよ。(文字を知って本を読めば読むほど、
知性教養人格はかえって曇る場合もありうるな)
たとえば、こんなこと言っている。
「そもそもわが国は、外国といえばすべて仇敵視し、異国の船を見れば善悪を
問わずただちに砲撃する。したがって諸外国はわが国をあたかも狂犬に対する
ごとく深く警戒し、本土に少しでも近づく際は厳重に武装を整える。-略-
諸外国の船がみな日本の近海で武備を厳にするというのは、これまったくわが国
がみずからまねいた結果ではないであろうか」(東洋文庫「蕃談-漂流の記録1」
平凡社)
漂流の記録1、と書いていて全3巻とあるけど、どうも、2、3は出ていないようです。
でも「蕃談」はこの1巻だけで全部です。もうひとつの史料「時規物語」も合わせて
使って補っているので、これで漂流の経過は十分知ることができそうです。