虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

吉田 国安の郷

2006-03-29 | 宇和島藩
吉田町にこんな施設ができていたのだ。
武家屋敷、豪商の屋敷、農家、漁師の家など江戸時代の建物を復元している。
着物を着た人がいれば江戸時代にタイムスリップという感じだが、残念ながらお客さんはあまり来ないようだ。おみやげやさんもあったそうだけど、人が来ないので退散したとか。それにしても、吉田町、おもいきっった施設を作ったものだ。この建設は賛成だ。

ここで、白方勝著「武左衛門一揆考」という本を手に入れた。

安藤神社

2006-03-29 | 一揆
宇和島から車で15分くらいのところ、吉田町。
昭和30年代の面影がそのまま残る小さな田舎町です。

安藤神社は、吉田藩の武左衛門一揆を鎮めるために、切腹した家老安藤さんの霊を祭る神社。神社の前には、「安藤さまは、わたしたちの手本です」と石にかかれてあった。どんな手本なのか?

吉田は、親の育ったところで、わたしも小さい時に3ヶ月ほど過ごした町。
昔の町並みが残る町などの宣伝文句もなく、保存措置もなにもしてないけど、かなり古い家があちこちに残り、昔の田舎がなお実感できる希少な町かもしれない。

和霊神社

2006-03-29 | 宇和島藩
城川からの帰り道は、吉田、宇和を過ぎて、大洲から高速に入る。帰り道のスナップ。
宇和島はここに立ち止まっただけ。宇和島のシンボル。
和霊さん、夏の和霊祭りは有名。
たしか宇和島藩のお家騒動で、殺された家老を祭っている神社。

四国カルスト

2006-03-29 | 宇和島藩
梼原から四国カルストへ。
1度は見ておこうと車を走らせる。
季節ではないのか、だれも車を走らせていなかった。牛もいない。
山のところどころは、まだ雪渓が残っていた。
カルストって、山口の秋吉台みたいなもの。ただ、ここは、山の上にあるのが雄大。

維新の門

2006-03-29 | 日記
梼原町

何かの建物の敷地に作られているので、外からはわからない。
梼原町にゆかりのある志士像。
中平龍之助(禁門の変で自決)
那須信吾(天誅組で戦死)
那須俊平(禁門の変で戦死)
掛橋和泉(同志を援助し、自決)
前田繁男(天誅組で戦死)
吉村虎太郎(天誅組で戦死)
坂本竜馬(暗殺)
沢村惣之丞(長崎で自決)
の8人の像です。

ちょっと写真のうつりが悪かった。画像はもちろん、吉村虎太郎。

千枚田 梼原

2006-03-29 | 日記
司馬遼太郎は、梼原の千枚田を見て、「万里の長城も世界遺産だが、梼原の千枚田も人類に世界遺産だ」といったそうな。山の上まで耕した田。それほど、たいしたものでもないなあ、と思ったけど・・・。茶堂の向こうに見える千枚田、見えるかな?

市村敏麿生誕の地

2006-03-29 | 宇和島藩
市村敏村といっても、知っている人はいない。
山川出版の「愛媛県の歴史」(新版)には、若き日の写真ものっているのですが、生誕地の城川町でも知っている人は、まずいない。

宝泉坊温泉から車で5分のところの古市公民館前に建っています。
ここは、市村敏麿の屋敷跡で、市村はこのあたりの村の庄屋をしていました。
市村敏麿についてはまた、稿を改めて。
南予の旅、先を急ぎます。

茶堂 南予の旅

2006-03-29 | 宇和島藩
城川町には、江戸時代に作られた茶堂が52箇所も残っているそうです。旧街道を走ると、時々見かけます。藁葺きの四角なお堂(梼原町でもみかけた)。旅人を接待する休憩所であり、村人の社交の場でもあったようです。お遍路さんの接待なども、ここでしたのでしょうね。山里にはとてもよく似合うすてきなお堂です。

城川町 奥伊予

2006-03-29 | 宇和島藩
磯崎から城川町へ。高知県の梼原町の隣。山奥です。
ここの宝泉坊ロッジというところで泊まりました。1泊3000円から3500円の格安の宿。清潔だし、宝泉坊温泉とつながっていて、温泉にも入り放題。深山幽谷の四国を知りたいと思う向きには穴場、おすすめです。上等の宿です。
吉村虎太郎の梼原村にも、武左衛門一揆の日吉村(今は鬼北村)にも車で30分でいける。近くを走ると、茅葺の古い民家もあり、史跡でもなんでもなく、まだ人が住んでる家もありました。