虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

100円で買える浪曲CD

2006-03-12 | 日記
100均のダイソーで浪曲CDを10枚買ってきた。広沢虎造、三上博、玉川勝太郎、浪花亭綾太郎など名人ばかりで、演目も次郎長、沓掛時次郎、天保水滸伝、め組の喧嘩・・・などなど(といっても、内容はまだよく知らない)。

10枚でも1000円。浪曲大全集が1000円とは安いではないか。得した気分だ(聞くかどうかはわからないけど)。

わたしは、浪曲はまだ真剣に聴いたことがない。聴き始めても、とちゅうで寝てしまうか、やめてしまう。ただ、浪曲を聴くと、遠い昔、テレビ放送が始まるまでの、ラジオだけだった時代の路地裏を思い出すような、なつかしさは感じる。昼下がりの路地裏で遊んでいると、どこかの家からラジオの浪曲が流れていたのではなかったか。

戦争前の一時期(昭和?)、浪曲の人気は、芸能分野ではトップだったといわれる。落語よりも演劇よりも人気が高かった。しかし、今はどうだろう。
落語、歌舞伎、文楽、能、それぞれ伝統芸能として残り、それなりにファン層もいるけど(落語や歌舞伎なんかすごい)、浪曲ほど衰退し、滅びようとしている芸はないかもしれない。浪曲ほど庶民に親しまれた文化はないのに。浪花節という言葉も死語になりそうだ。

芸人は江戸時代はもちろん明治になってもまだまだ扱いされていたけど、特に、浪曲師は乞食芸人として差別されていたようだ。三味線をひきながら謡う祭文語りや門付け芸人の流れをひくからかもしれない。

あの中国革命の志士宮崎滔天が浪曲師雲右衛門に入門したとき、妻の槌子さんの悲嘆は大きく、金を工面して夫を洋行させようとまでしたらしい。夫はあくまでも志士であってほしかったのだ。

浪曲の好きだった滔天、しかし、浪曲師としては失敗。滔天は子どもの頃から人前で演説したりするのが大の苦手で、すぐにあがってしまう気弱なタイプ(風貌からは想像できないが)。舞台は苦痛でたまらなかったそうだ。