虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

磯崎(いさき)の墓参り 平田国学

2006-03-23 | 宇和島藩
磯崎(いさき)って知ってる?
愛媛県保内町の磯崎。佐田岬のつけねに位置する海辺の寒村だ。
来週はここに墓参りにいく予定だ。車で大阪から7時間はかかりそう。

ここは祖父が生まれた土地で、先祖はここで漁師をしていたようだ。過去帳を開くと、幕末ころは、藤五郎、宇平治などの名前が見える。

あまりに遠いので、親の墓は大阪に作ったけど、ここにも分骨している。
墓参りということで、ひさしぶりに(もう10年ぶりくらいになる)愛媛にいけるのがうれしい。

海辺の斜面に立てられた墓で、寺はあるも無住で、年中、海風にあたっている墓だが、ながめはいい。

墓に行く途中に大きな銅像が建っている。磯崎出身の二宮敬作の像だ。司馬の「花神」を読んだ人ならごぞんじの、酒飲みの、人のいい医者。シーボルトに学び、シーボルトの娘イネの面倒をみ、高野長英や村田蔵六の世話をした人物だ。「二宮尊徳を知って二宮敬作を知る人がいない」と残念がる人もいるけど、まあ、銅像が建っているのだからよしとしよう。

実は保内町には、もう一人二宮新吉という人の墓もある(宮内村)。この人の名はヤフーのネットで検索したところたった4件しか記事がなかった(それもわずかの内容)。
明治初期、農民のために裁判闘争にたちあがるも、敗訴し、責任を感じて自決した人物。地方的な事件でマイナーだから知る人がないのはしかたがないけど。
幕末は勤皇活動をするが、明治政府の洋化政策に失望した人物で、「夜明け前」の青山半蔵と同じく、平田派国学者だったと思われる。

この磯崎から大洲を過ぎてずっとずっと山奥、土佐との県境にあたる城川町にも行くつもりだ。ここには、市村敏麿といって、二宮新吉とともに農民の裁判闘争に従事した人物の墓がある。この人も平田派国学者で、幕末に脱藩した庄屋だ。物語藩史「宇和島編」で知った。でも、ヤフーの検索では該当する記事なしで、まったく無視された人物。

幕末、平田派国学を愛する人たちは(主に庄屋層)は全国から立ち上がった。これはどうしてだろう。何が魅力だったのだろう、その謎をときたいとおもいつつ、どうしてもわからないでいます。「これが王政復古?これが御維新?」という青山半蔵を代表するかれらの疑問と失望は、現代にも続いている問いではないのか。

たった2日間くらいの旅ですが、愛媛の山奥や寒村の風景をデジカメにとってきます!