らんかみち

童話から老話まで

節電の前にすべきことがあった

2011年06月24日 | 暮らしの落とし穴
 下ネタ記事を書くたびに40~50名くらいの、清廉であろう読者を失っているぼくがいうのもアレなんですが、西山審議官のヅラ疑惑や不倫疑惑など、ほうっておけ。
 ちょっと有名な人だからといって、他人のヘソから下の話など報道している場合か(なぜぼくが知っているかは棚にあげて)そんなだからマスゴミなどと呼ばれる(20台の美女と聞けば、やっかむ、いうか、羨ましいぞ)。

 そんなことよりだ、四国電力が3.11震災の翌日から東京電力に電力を融通していたことを、恥ずかしながらぼくは知らなかったのです。周波数が関西と関東では異なっているから難しいのかなと思っていたけど、やればできるんだぁ。
 しかしこの夏の猛暑によって四国でも電力不足が予想され、東京に送っている場合じゃなくなるそうです。

 こりゃ大変だ、うちも節電してわずかながらでも被災地(東京も電力の面では被災地?)に融通してあげようと、小まめに電気を消してます。ところが、母と兄は小まめに電気を点けっぱなしてくれるたちなのです。
 この二人はいくら啓蒙しようと思ってもだめだ。ぼくにそんなことができるくらいなら、父が生前に成し遂げているはずなのです。

 電気を点けられては消し、点けられては消し、まるでいたちごっこなわけですが、点けるという行為ができてなぜ消すという行為ができないのか考えてみましょう。
 まずはトイレですが、暗いから点けるのではなく、昼間の明るいときでも二人は電気を点けてくれます。台所は、ぼくなら冷蔵庫を開けたときの明かりでビールを取り出しますが……。仏壇の灯明と線香は乾電池なので、点けっぱなしていたらいつの間にか電池切れ。

 結局、明かりを点けるには動機があるけれど、目的を達成したらスイッチを触る動機が無くなるのでしょう。点けるという目的意識と異なり、消すという目的意識は、自分で保とうとしないで自動的に発生するものではないのですね。
 だったら二人には永遠に無理っぽいので、電力被災地のみなさん申し訳ありませんが、我が家の節電は厳しいことになりそうす。

 とここまで書いて、うちは四国には違いないけど、中国電力の管内だということに気がつきました。中国電のHPを見ると、原発1機は停止したままだけど、電力は十分確保できるのだとか。
 心配して損した気分にはなったのですが、節電は得するってことですよね。ここら辺りをうちの二人に納得してもらうにはどうすればいいのでしょう。頭に負荷のかかる暑い夏がやって来そうです。