らんかみち

童話から老話まで

最後のピースが届く前に

2007年02月12日 | 童話
 昨日のつづき
 
 池の広さは野球場くらいで、中央には池を二分するように木製の橋がかけられています。対岸は森になっているのですが、橋の中ほどがアーチ状に盛り上がっているので、行き着く先は良く見えません。 
 緩やかな上り坂になっている橋の上を自転車をこいで行ったら橋が途中で崩れていて、急ブレーキをかけなかったら落ちていたでしょう。
 崩れている幅はそう広くはありません。手を伸ばしても届きませんが、走り幅跳びの要領で飛び越えられそうでもあるし、自転車の助走をつけても飛び越えられそうな微妙な距離です。
 
 飛び越えようとして失敗したら冷たい池に落ちることになります。深さはどうなんだろうと、ぼくは自転車を降りて池を覗き込みました。池の水はきれいで、静かな水面にはぼくの姿が映っています。池はかなりな深さがあるようで、水は澄んでいるのに水底は確認できません。しかし水面の反射を避けてよく見ると、何か沈んでいる物があるようでした。
 
 と、そのとき、一匹の錦鯉が湖面をゆらりと泳ぎ、ぼくの姿は波に消えました。少しして波が収まり、再び映ったとき、アッ! と思わず声を上げました。
 確かに背後に一人の女の子の姿が映ったはずですが、ぼくが後ろを振り返ってもだれもいません。
 気のせいかな? また池を覗き込むと、やはりぼくの後ろには女の子の姿が映るのです。そして振り返ってもだれもいない。体中がガタガタと振るえ、寒気がして夢から覚めるのがここ数日の朝だったのです。
  
 毎晩夢に出てくる不思議な女の子は水面にしか映りませんし、危害を加える様子もないので、だんだん馴れてきました。でも困ったことに、橋が復旧した夢を見ることができないのです。本当に困りました。理由は分かりませんが、ぼくにはどうしても対岸に行かねばならない用事があるようなのです。
 意を決してぼくは自転車で一か八か飛び越えてみようと思い、池の深さをもう一度確認すると、水底に沈んでいるものが何なのかはっきり見えてきました。補助輪の付いた子ども用の自転車だったのです。
 
 もしかして、あの自転車はぼくの背後に現れる女の子のもので、あの子が自転車でここに落ちたのでしょうか。水底の自転車から目の焦点を水面に合わせて、ぼくの背後から覗き込む女の子を見ようと思ったのですが、水面に映ったように見えたのはぼくの姿ではありませんす。ぼくの背中にいたはずの女の子のが、たった今水の底から浮き上がってきたのです。
 
 水面下数十センチのところで女の子はぼくと正対するように止まり、両手を広げておいでおいでをするのです。白いブラウス、ピンクのスカート。間違いなくいつも背後に現れる女の子です。 
 その子の催眠術にかかったように、ぼくは顔を上げて自転車を取りに行こうと振り向きました。すると後ろにはさっき水の底から浮き上がってきたはずの女の子が立っていてこういいます。
「みずのそこいっちゃだめ。あそこにいるのはあたし」
 そういわれて、ぼくは自転車を取りに行かず、もう一度水に目をやりました。
「おいで、おいで、こっちににおいで」
 水の底から引っ張られるように、ぼくの体はどんどん頭から落ちそうになっています。
「はやくあたしをみつけてひきあげて。そうでないと、あくりょうになって、てんごくにいけなくなってしまう」

 どうやら女の子はこの橋から落ちて、まだその遺体が水底にあるらしいのです。水の底からぼくを呼んでいるのは、悪霊に変化しかかっている女の子の霊の分身。そして引きずり込まれるのを引きとめようとしているのは、成仏したいと願う霊の分身でしょうか。
 後ろの霊と前の霊の力が釣り合って、ぼくの体は引き裂かれそうになり、ガタガタと橋が揺れ、振動が水面を波立たせます。その揺れる波の谷間から水底の霊が一気に飛び出し、ぼくは頭を両手でつかまれ、あっという間に水の底に引き込まれてしまいました。
 
 この日記を書けたということは、まだ生きているということです。でも毎朝だんだんと水の底に吸い込まれて行く感覚が強くなります。きっとこの悪夢のジグソーパズルが完成に近づいているに違いありません。
 夢の最後のピースがはめ込まれてしまう前に、自分自身で夢を見るのをやめてしまうか、さもなければ水の底に引きずりこまれるでしょう。