らんかみち

童話から老話まで

メディアは、まずはいじめの構図を明らかにしてほしい

2006年10月30日 | 社会
 連日のように子どもの自殺が報道され、教育委員会や学校の対応が非難の槍玉に上がっているけど、テレビに出て利いた風な事をしゃべれるようなコメンテーターが、いじめを苦に自殺する子どもの心理を心底から理解できるんだろうか。あの人たちがいじめる側に立てる人だとは言わないまでも、いじめに対して敢然と太刀打ちできるような人だからこそ、あの席に座っておれるんじゃないだろうか。

「いじめられる方にも何か問題があるんじゃないか?」というのは正論だろう。何もなければ嫌われることも、恨まれることも、やっかまれることも無いに違いない。だが、いじめの根本的なものが何かを知っているなら、そんな”正論”を軽々しく口に出来るだろうか。

 仮に生徒たちが全員テレビで喋り捲っているような、かしこくて美人ばかりだったらどうだろう。それでもいじめは無くならないどころか、頭が良いがゆえに凄惨かつ陰湿な上に巧妙で、徹底的ないじめが展開されそうな気がする。彼らはそういった激戦を勝ち抜いてきた人たちなのだ。

 政治の世界でも、反旗を翻した議員には刺客が送られて弾圧されるように、派閥同士の馴れ合い政治を破壊した小泉さんの功績は少なくないと思うが、強権的で封建的な概念を教育の場に持ち込むなといいたい。学校というのは元々そうなんだから。

 統治出来ない無能な為政者が反体制派を力で封じ込めるように、教育の現場では言うことを聞かない生徒を屁理屈や体罰で屈服させてきた構図自体は、今も昔もそう変わらないはずだ。自殺した子どもに対して同情するのは徹底的に取材してからでも遅くない。メディアはいじめの構図をあからさまにするのが先だろう。