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らんかみち

童話から老話まで

失敗も道連れいればざまあ見ろ

2011年09月01日 | 陶芸
     

 やってはいけないことと思いつつ、他に選択肢も思い浮かばなかったので、こんなガラガラの窯で素焼きしました。本来なら満員御礼の状態で焼くべきで、この有り様だと素焼きは大丈夫でも本焼きは失敗するでしょう。焼くときは温度が急激に上がり、火を止めたら急激に冷めてしまうので割れる恐れがあるんです。
 三角形の棚板でもあればやりようもあるんでしょうが、素焼きはこの辺りで妥協して本焼きのときは考えてみます。

 そもそも異形の作品を作るからこういうことになる。大きいのがぼくので「子持ち水琴」のつもりなんですが、音が出るかどうかすら自信ありません。天井が窯のようなドーム状になっている水琴窟を知ってはいても、ぼくの技術で再現するのは厳しい。
 というわけで、見てくれだけの土の塊みたいなもんなら失敗してもさほど苦にはなりませんが、気の毒なのは一緒に焼いた人の作品群です。

 せっちゃんのスリーピース皿も、ゆうかちゃんの木の葉皿も、あゆちゃんのカサブランカも、きみちゃんの壺も、じゅんちゃんのバスケットも、みんなみぃんな一蓮托生です(ちゃん付けしているけど、女とは限らない)。
 いつまでも焼かずに転がしておくからぼくと命運を共にする羽目になりました。自業自得ってやつだと、観念してください。

人生は大穴ねらいだ

2011年07月08日 | 陶芸



 人生初の大物ねらいですが、一発で挽き上げたのではありません。ぼくにそんな技術はないのです。よしんば技術があったとしても、この電動ロクロで15kgの土殺しをやると停止してしまいます。
 なので3つのパーツに分けて作り、下から順番にくっつけていきました。およそ60cmの高さで、焼き上がり高さは50cm強といったところでしょうか。でもこれで完成というわけじゃなく、後付けパーツがあるので最終的には60cm近くになる予定です。

 がしかし、これ単体で窯に入る計算ではあるけど、後付けパーツをトッピングすると、窯に入りません。もちろん最初から分離して焼くつもりだったけど、なおのこと一窯に入らんじゃないか!
 棚板厚10mmが抜けていたのもあるけど、トッピングの部分は壺の口にすっぽり落ち込むように作る予定で、その落ちる部分の高さを計算していなかったのです。

 二窯で焚けば良いじゃないかって? それはそうなんですが、同じ釉薬を掛けても別の窯で焚くと違う雰囲気になるでしょう。一窯の内なら、だめならだめで統一感があるだろうと想像するのです。
 で、これはいったい何なのかということですが、それは完成したら報告ということで……つまり大物を狙って大穴に落ちそうな体たらくなのです、ハイ~。

托鉢の椀をこしらえる

2011年06月23日 | 陶芸


 2か月ぶりくらいで陶芸クラブに顔を出しました。作品を作りたかったからではなく、顔を忘れられないためにです。いや本当の話、「あんた、だれじゃったかいのぅ?」と、要釉斎先生がおっしゃらねば良いがと思っていたら、お体を悪くされているのだとか。

「君ぃ、この土を使いたまえ。これを使いこなせるようになったなら、君は本物じゃ」と、二月前に土を500グラムいただいたのですが、使ってみたら実に難しい。要釉斎先生の嫌がらせか、などと邪推してしまった自分を叱りつけてやりました。

 クラブ員に変わりはないものの、他にもいくつか変化があったようです。それが良いことなのか、それとも更なる衰退の兆しなのか、今はまだ分かりません。
 そば栽培の先生も陶芸クラブの人なので、頻繁に会っていないと意思疎通に支障をきたします。なんといってもそばの収穫は目前に迫っているのですから。

 そば屋の開店も間近に迫っていて、昨日店のオーナーと会ったのに打ち合わせができませんでした。そば屋といっても、いうなれば托鉢みたいなものになるのでしょうか。そういうわけで、本日の陶芸クラブでは托鉢椀みたいなものをこしらえました。

爺ちゃんのミトゥナ

2011年05月04日 | 陶芸
 陶芸クラブの本焼きの日、ぼくは焼いている暇がないけど新人さんや爺ちゃんたちの様子を見に出かけました。今回は二窯を同時に焚くわけですが、派閥の相性が悪くてちょっと心配なのです。

 ♪爺ちゃんは夜なべをして、せっせーと揉んだだよ~、というわけで写真の人形は、我が陶芸クラブの道祖神であらせられる要釉斎先生、その弟子である爺ちゃんが一人でこしらえたものです。
 インドのヒンドゥー教の寺院を飾る外壁の浮き彫りを「ミトゥナ」と呼ぶそうですが、あれですよあれ。つまり男女交合の像なんですなぁ。

 異教徒にとってミトゥナというのはポルノととらえるかも知れませんが、ヒンドゥー教では自然を賛美し、神と一体化して生きることを謳歌するための偶像らしいです。
 日本にも道祖神というのがあって、境内に鎮座なさっている寺院も少なくないと思います。突き詰めていくと解剖学的な象徴となって趣が損なわれる場合もあるようですが、日本人的控えめの精神の具体化じゃないでしょうか。

「これは河童かね。う~む、河童と照れ隠しを言わねば作れないとは、あんたはまだ青い」と、米寿も目出度い要釉斎先生にかかれば、これを作った爺ちゃんなど若造扱いです。
 しかし人間、いや、男は枯れてくると自然を賛美し、神と一体化する願望が頭をもたげるもののようです。ミトゥナは、爺ちゃんたちが嬉々としながら彫り上げたんじゃなかろうか。そう思うとなんだか楽しくなってくるのでした。

作品に人格を投影してはいけない

2011年03月02日 | 陶芸
 関西に住んでいたころの飲み仲間にロクロ子先輩というおばちゃんがいて、還暦間近だというのに未だに夜ごと飲み歩いているらしい。知らない人には愛想が良い人だけど、酔って暴れるのに備えてか、彼女のスカート姿を見たことがない。

 フィジカルな暴力もだけど、言葉の暴力たるや、アムネスティーに訴えたくなるような傍若無人で情け容赦のない毒吐き女です。
「あんたの作品なんかゴミ、ゴミ、ゴミ! そんなもん人にあげるなんて失礼ちゃうか。あんたなんか私に追いつくのは100年早い。fu◯kin×××←ぼくの名前」と、陶芸作品をメールに添付したら無礼極まりない講評を返してくる人です。

 いつぞや古巣を訪ねて飲んでいたとき、余りにも無礼な物言いしたので引導作法してやりました。引導作法とは、「あなたはもう死んでいる」と、この世にとどまって浮遊霊とならぬよう死者を納得させる儀式です。
 1年くらいはそれで大人しくなったんですが、陶芸公募展を実施するに当たってどうしても分からないことが出てきました。

 数々の陶芸公募に入選を果たしているロクロ子先輩に聞けば分かるだろうな、ああでもゾンビみたいに復活しても困るし、そうはいっても予算申請の期限が迫っているし……と悩んだあげくキヨミズ電話しました。そしたら案の定ですわ。口汚い言葉が返ってきて、肝心の陶芸公募に関する質問にはまともに答えてもらえませんでした。

 やつに聞いたのが間違いだったなと後悔してたら、後日になって質問の回答と作品の写真がメールに添付されてきました。その写真を見て、なんと人格と整合性のない、つつましくおしとやかで清楚な作品だ! 人となりとその作品は比例しない、という見本みたいな話ですよね。

 ぼくたちは、ややもすると自分の人格や理想をその作品に投影しようとする。物語においても、悪人を登場させておきながら情状酌量の余地を残したりもする。
 陶芸でいえば、几帳面で温厚な人の作品は概ね面白味に欠ける。美しくできていても、見た人を魅了できるような作品たり得ることは、そうない。自分で自分に「誠実であれかし」と、手かせ足かせを施し、限界を自らで設定してしまうからだろうか。

 ぼくも作品を書く上において嘘つきになりたいと思うけど、なかなかそうはいかない。それを考えると、ロクロ子先輩のなんと見事な騙り様でしょう。
 作品においては人格を騙っても咎め立てされることは無いのだから、今後は思い切って……いや、そもそもロクロ子先輩が嘘つきだから易々とできることなんだろうか。

あととり息子は陶芸にならんのか

2011年03月01日 | 陶芸
 今も売られているかどうか知りませんが、「あととり息子 楽ちんくん」というキットがその昔ありました。どういった商品か、ここでつまびらかにするのは控えますが、ぼくも一度だけ跡を取られたことがあります。ひざの中にある前十字靱帯の付け根を骨折し、手術後1か月ほど右足を石膏のギプスに固定されておったのです。

 あのギプスを切断するときは怖かった。キュイーンと毎分3万回転くらいしていそうな高周波を発しながら、丸のこで切っていくんです。
「せ、先生ぇ、ぼくの足を切らないように気をつけてください!」
「めったに切ること無いですから、心配いりません」
「やっぱり切ることもあるんだ!」
「もう、心配性ですね、これは振動で切ってるんです」
 そりゃそうだわな、丸のこを回転させて切っていたら、もう一回手術の憂き目に遭ってるに決まってます。

 長期にわたってギプスをしていると筋肉がやせてしまってスカスカなので、型を外すのは実に簡単でした。もっとも、足みたいに単純な形をしてたら、キチキチだったとしても半切してあっさり外れるでしょう。
 だけど村上隆さんのフィギュアみたいなものは、どうやって型を取り、どうやって型から抜いているのか不思議です。ずっと気に病んでいたんですが、村上さんも同様の作業をしているであろう動画を見つけました。

Monumental Molds & Fiberglass Castings


 なるほど、ラバーで型を取っているから、外すときも柔らかく伸ばしながら抜くことができるんですね。この方法だと最小限の雌型で済みそう。でも粘土で作られている原型は壊れてしまうか、壊れなくても役に立たないようですね。陶芸のように焼けば良いじゃないかと思っていたんですが、焼いても爆発するか、割れてしまうんでしょう。だから彫塑する人は原型に後ろ髪引かれたりしないのか、ようやく分かりました。

永仁の壺実験

2011年02月24日 | 陶芸
 1960年に発覚した永仁の壺事件(えいにんのつぼじけん)は、名工と謳われた加藤唐九郎氏による贋作事件。重要文化財に指定されていたものが現代の贋作であったということで、陶芸界のみならず世間の耳目を集めた大スキャンダルに発展したそうです。
 その壺、写真を勝手に貼り付けることはしませんが、一見すると作るのが非常に難しそうです。挑戦のし甲斐はあるんですが、やってみたら写真のような駄作しか挽けませんでした。

 もちろん生乾燥してから削って「永仁」に近づけるつもりでしたが、「削るに値せず」と、我が陶芸クラブの鑑定家であらせられる要釉斎先生の指弾を受け、半分に切断して出来具合を確認しました。その結果、削っても良かったかな。
 本当は全く削らずに「永仁」を作りたいんですが、「それは不可能じゃ」と要釉斎先生の宣うのもごもっとも。Youtubeで探しても、ろくろで「永仁」を作っている動画は見つからないのです。

 陶芸公募展を実施するんですが、スタッフであるぼくは応募できません、もしできたとしても入選はせんでしょう。まだ半年先のことだけど、クラブの皆さんに頼まれた大皿を作るだけで精一杯の状況で、自分の壺を作ったら駄目出しを食らう始末。
 そうそう、ヤフーオークションで永仁の壺を検索したところ、あらら、2580円から8000円くらいで、とても良くできた贋作の贋作が売られているじゃありませんか。なんかねぇ、作る意欲が急激に減退したような……。

島興しに陶芸公募を企画してみるか

2011年01月08日 | 陶芸
 卯年の初詣なら「卯之町」だろうってんで、兎が駅長を務める卯之町駅、じゃなくて西予市の「源光山明石寺」にお参りさせていただきました。四国八十八か所の第43番札所であるこのお寺は通称「あげっさん、もしくは、あげいっさん」で、兎年にアゲとは縁起がよろしいじゃありませんか。

            

 実を申しますと、叔父が亡くなっているので「ブクがあるなら神社に登ってくれるな」と、村人からきつく戒められているのです。だからといって、わざわざ卯之町まで初詣に走るほどの信心深さもなければ、底なしにおめでたい人間でもありません。陶芸家にお会いするのが真の狙いだったのです。

 昨年末に童話教室を破門になったのはご存じの通りですが、袂を分かったとはいえ、文芸仲間には更にモチベーションを高めていただきたい。そんな思いで島興しに文芸公募を企画したんですが、残すところ9か月程度では募集から審査までをこなすのが難しいと思います。
 加えて少ない予算で目玉となる審査員を探すのは厳しい。だったら冠スポンサーを探さないといけないけど、それは順序が逆だろう。当て処のない話を企業に持ちかけて金を引き出せるような詐欺師的才能など、ぼくにあるかい!

 それなら陶芸公募はどうだろう、文芸公募のように時間のかかる下読みは必要ない。審査料の名目で返送料を求めることが出来るなら、箸にも棒にもかからないような作品は、あらかじめふるい落とすことが出来るだろう。また茶碗のようなものなら最終審査に至るまでに一つの作品を30秒と眺めている必要もなかろう。しかも陶芸と島は馥郁たる蜜月ムードが漂っておるじゃないですか。

 陶人形作家「善めい」先生の元に出かけてお願いしたところ、施行と受け取りになられたか、協力を快く引き受けて下さいました。もちろんぼくがお願いしたわけではなく、島興しの統括責任者にお出ましいただいたからこその成就です。
 細かいことはこれから詰めていかないといけませんが、陶芸クラブの皆さんにも協力を仰いで陶芸公募を成功させたいと思います。文芸仲間の皆さん、申し訳もございません。

             

 先代から受け継いだ棚田に苔を一人で植えたご主人には頭が下がります。

             

 こんな苔むす林の中に古民家風の喫茶店があります。囲炉裏端で食事をいただく庵もありますが、予約しても簡単には入れないそうです。卯之町ってすごい!

陶芸にも衣装

2010年12月25日 | 陶芸
「アートの島」を売りに島興しをしたいけど「♪アート・アイラン~」は止めた方が良いのかと、心にためらい傷の一つ二つ。それはおいおい考えるとして、陶芸にもファッション性が求められる時代なのかなと思います。
 先日、広島の陶芸教室のドアを開けた途端、「遠いところからようこそのお越しで!」と、最初は歓待を受けたんですが、上着を脱いでエプロンを首からかけるや否や「陶芸をするいでたちじゃないだろうが!」と二人の先生から責められました。シャツにネクタイのままだったので非難されるのは無理もないけど、服を泥だらけにするほどの下手くそじゃないわい!

             

 偉そうに言ってるけど、実はつい数ヶ月前まで頭の先から足の先まで泥だらけになりながら電動ろくろを回しておりました。体に泥が着かなくなったのこの一月ほどのことです。
 写真ではいかにもぼくが作ったかのようにポーズをとっていますが、これは先生の作です。ぼくの作品は壊して片付け、手を洗った後になって写真を撮っていないことに気がつき、先生方に撮影してもらったんです。つまりヤラセか? まあそうなんだけど、似たようなものはこしらえたから、この写真で許してつかあさい! 来年からはこのナリでろくろを回してみようかと目論んでおります。

要釉斎先生の最後の授業

2010年12月16日 | 陶芸
 中学の教壇に長く立ってこられた要釉斎先生にとって、子どもたちに陶芸を教えるのはライフワークというより生きる糧なのか、それとも使命感に突き動かされているのでしょうか。ひょっとしたら大好きな土いじりを子どもたちと一緒にやりたいだけか、それはともかく88歳の今日まで毎年欠かさなかった行事がまた巡ってまいりました。

          

 中学生に陶芸指導した後は素焼き作品に釉薬かけです。ぼくの作品中、3枚の皿にクラックが入ってました。半磁器土というのは急激な温度変化に弱いと、前回の本焼きで気がついてはいたけど、要釉斎先生の意見も尊重させていただいた結果がこれです。明日は慎重にやらないと、プレゼントの数が足りなくなりそう、というよりも全滅の恐れあり。そうなったときのてめに別のプレゼントも用意しておきました。

 夜は地域活性化協議会に招かれ、あれやこれやと意見を申し上げました。地域の要人が集まる会なので、物を言いすぎて嫌われてないことを祈ります。