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らんかみち

童話から老話まで

自前の釉薬を作ります

2010年12月11日 | 陶芸
 明日からの一週間は自分の時間というのが無く、常にだれかのために動かされる日々を迎えます。焼き物も三人を率いて二つの窯焚きをすることになりそうですが、まだ自分の作品ができておりません。何も考えずにス~イス~イとできるなら苦労はしないけど、前回と同じ轍を踏むんじゃないかと怖じ気づいて腰が重いんです。

 前回はトルコブルーとペルシャブルーを間違えて釉かけして失敗したけど、釉薬屋さんも両者を混同しているケースもあって、釉薬屋さんに電話したらスッキリしました。クラブがあちらこちらのメーカーから取り寄せるので訳がわからなくなっている。こうなったら失われかけている釉薬調合技術に光を当てて自分たちで作るしかないのかなと、来年から実施する予定です。

レザークラフトは金がかかる

2010年11月12日 | 陶芸
 レザークラフト教室にお邪魔してたんですが、単なる革細工じゃないかと思っていたところ、そこに使う工具の数々と言ったら、ラジコンヘリコプターを作るために持っているぼくの工具の倍くらい皆さん持ってました。
 ラジコンヘリを組み立てるのはそう困難な作業じゃないんです。特に電動ヘリの場合は、素人の主婦でも図面に忠実に従っているうちに気がついたら組み上がっているでしょう。それで飛ぶかどうかは別問題ですが。

 ラジコンヘリを飛ぶように組み立てるには専用の治具や工具、測定器など、そんなに多くはないけどある程度は必要です。しかしチューニングするためにはその何倍もの工具が必要で、それらを使いこなす技術も要ります。
 レザークラフトの場合は、専用工具というのはそれほど多くないようで、ほとんどが汎用工具らしく、別のシーン、例えば洋裁にも使えるみたいです。それゆえ、洋裁教室のメンバーとレザークラフトのメンバーは重なっていたりするんだとか。

 陶芸をやるためにも道具は必要です。指だけでいけないのか、といわれたらできないことないですが、プロになると作る物それぞれに専用の道具を自分で作るのだそうです。大物を作る人は大きな道具を、小さな物を作る人は当然ながら精密な道具を用意しますが、ぼくは何を作りたいのか自分で分かっていないので、道具は買ってます。

 しかしこのところ陶芸クラブのメンバーから「こんな物を作って欲しい」と頼まれるのでやってみたところ、それなりの道具がなければ満足な物ができません。報酬をもらうわけじゃないけど、レザークラフトのメンバーに依頼したいこともあるからお互い様ですね。
 ちなみに、レザークラフトの工具箱をのぞかせてもらったら、一つ数千円のものがぎっしり詰まってました。
「工具に大金を注ぎ込んでるから、レザークラフトを止めるわけにいかないのよ」だって!

アートって、恥ずかしい

2010年11月04日 | 陶芸
           

 下手な料理の写真をアップするなら自分の作った皿に盛りつけんかい、というお声をいただいても、そんな素敵な皿もないんですよね。このバイオリン型サンマ皿も失敗作ですが、盛りつけてみると案外悪くない。皿はあくまでも料理の脇役ってことを実感した次第です。

                

 陶芸を始めた当初はまん丸い物ができないと恥ずかしかったんですが、2年もやってみたらまん丸い物を作っていると逆に恥ずかしい。今日の陶芸クラブは、メンバーさんのために作品を作ってあげたので、自分のはこれっきり。丸い花器をを四角に変形させ、さらに赤土で化粧してみました。赤土といっても焼き上がりはむしろ黒なので、ガングロ化粧とでも名付けた方がより現実的ですかね。

 それにしても一時期隆盛を見たガングロ・ギャルはどうなったんだろう。もしかして彼女たちは絶滅危惧種なのか、ことのとこメディアでも見かけない気がします。雑誌『小悪魔ageha』に見られるようなアゲ嬢系のメイクが台頭して、当然とはいえガングロ嬢たちが駆逐されてしまったのなら寂しい限りです。
 しかし一時とはいえ、なんであんな面妖なメイクが都会のギャルたちを席巻したのか、今思えば不可解でしかたない。ま、所詮はサブカルチャーというフィールドに咲いた徒花に過ぎなかったってことでしょうか。

 村上隆さんがベルサイユ宮殿で作品展を開催したことにより、フランス保守派が「世界遺産にポルノを展示するな」と抗議しているのだとか。ベルサイユ宮殿というのは美術館でもあるらしく、展示を中止させられるのは所管の大臣かルイベルサイユ宮殿を作った王の子孫だけらしい。
 しかしねぇ、ポルノはいかん言うけど、インドのヒンドゥー教寺院の壁に掘られた18禁のレリーフがあるじゃないですか。あれって立派なハードコアですよね。あれが世界遺産に登録されているのなら、世界遺産にポルノはOKということになるから、保守派の論拠は脆くも崩れ去るでしょう。

 村上隆さんのすごいところは、フィギュアを作ってそれをアートであると世間に認めさせたこと(サブカルチャーのアートであっても)であり、美術的な才能はもとよりマーケティングの才能がないとできないことでしょう。
 それより何より、現代は写実的で整然とした芸術作品を恥ずかしいと思う時代なのかも知れない。新しい芸術を模索している過渡期なのかも知れない。まん丸い陶芸作品を恥ずかしいと思うように、成熟した時代においては、芸術然としたアートは鼻持ちならないのかも知れない。そこが村上さんの受け入れられた要因なのでしょうか。

 何年か後には、「マネキンを飾ってアートだって言ってた時代があったよね」などと、ガングロギャルが忘れ去られたように、村上隆さんのインスタレーションも忘れ去られるときが来るのかも知れません。しかしアメリカのとあるロックバンドのメンバーの一人はこう言ってました。
「俺たちは、奇抜な格好と派手なパフォーマンスで世間の感心を集めただけだって? 違げぇねぇ。俺たちの演奏はお粗末だったし、曲も誰かのに似ていた。パフォーマンスも幼稚なもんだったさ。だがな、俺たちがいったい何億ドル稼いだと思ってるんだ。俺たちはな、勝利者なんだよ!」

文化祭に展示して思い知らされる未熟度

2010年10月30日 | 陶芸
「よ、要釉斎先生、本気でこの作品を文化祭に展示なさるお積もりで……」
 写真は我が陶芸クラブの観自在菩薩であらせられる要釉斎先生の作品ですが、こんなあられもない……とぼくは懸念したのです。
「うむ、君ぃ、般若波羅密多というのは、智恵の修行の完全無欠なる完成形を謂う、而して理趣経においては性欲を否定しておらん、即ち、色即是空、空即是色じゃ」
 う~む、智恵の完成が近づいた者のみが達し得る境地なのでしょうか。ぼくのような無明の者がこういう作品を作ったなら煩悩意外の何でもないと人は見るでしょうし、実際に煩悩の塊ですんで。

 色即是空というのは、見える物は見えない物と異ならなず精神世界における存在であり、空即是色というのは、見えない精神世界の物も見える実在とたがわない、という意味だそうな。
 それゆえ、無明というものはなく、悟りというものも無い。汚れることもなければ浄化されることもない。全ては最初から無なのだから、死ぬことを恐れることもないのだそうな。

 ま、そうは言っても要釉斎先生の作品群の隣にぼくの作品を展示するのは腰が引けてしまって、対角線上の空きスペースに作品を並べたんですが、その隣には県展に連続入選している方の彫塑作品が展示されているじゃないですか。これはこれで気後れするなと思っていたら、先輩がワンクッション置いてくれて胸をなで下ろしました。

 ぼくの上の姉は、西洋思想と東洋思想の統合、具体的にいえばイエス・キリストの弟子の一人であった聖ヨハネの転生が空海その人であるとする思想を研究しております。早い話が、西洋科学の発見した物質不滅の法則は、お釈迦様によって紀元前に解き明かされていた、となるのだそうです。

 この説が正しいかどうかはさておき、地球がドカンと消滅した暁には富も名声も全てが精神世界に帰する、というか、精神世界そのものが元々無く、煩悩すら存在していないのなら、どんなエロチックな作品を展示しようが恐れることはないのでしょう。それを知っていてもなお先生の隣に展示できなかったぼくの、般若波羅密多はいつになることやら。

なんだかユダヤブルーな日

2010年10月28日 | 陶芸
 窯出しの朝、クラブ員の見守る中で窯の扉をギギ~と開けた瞬間、全滅だぁ~! 窯焚きのエラーもさることながら、トルコブルーにするかペルシアンブルーにするかで悩んだあげく、トルコに惹かれたのも大間違いでした。だいいち音感が良くなかった。正しくはターコイズブルーと呼ぶべきだったと気がついても、後の祭りってもんでさぁ……。

 ペルシャってのは今のイランでしょ、トルコはその隣だけど、中東というよりほとんどヨーロッパじゃないですか。だけど同じイスラム文化圏ならどっても似たようなもんだと思い込んだのも間違いでした。そして陶芸家の中にもトルコとイランを十把一絡げにしている人がいるのだと気がついても、後の祭りってもんでさぁ……。

          Itzhak Perlman Chopin Nocturne in C#minor
          

 いやぁ、バイオリンやピアノを演奏させたらユダヤ人のもんですねぇ。ホロヴィッツだったか、「ピアニストは三種類しかいない、ユダヤ人とホモと下手くそだ」と言ったのもうなずける気するし、バイオリンもやっぱりユダヤ人がすごい。

 演奏技法の面から言えば、このパールマンのスタイルはやや古いのかなぁと思うんですが、それがために彼独特のロマンチシズムに溢れた音色を生み出しているんじゃないでしょうか。
 陶芸作品が全滅した現実から逃避を図ってみましたが、ターコイズブルーでもなくペルシアンブルーでもなく、本日はユダヤブルーな気分でありました。

金を払ったからといって技術が身につくわけではない

2010年10月25日 | 陶芸
 釉薬かけをして窯詰めしました。ブログにアップしようとその窯の写真を見たら、アウッチ! 一つの棚で間違えてるじゃないか。棚板を3点で支持しているんですが、三角形が逆になっているところがあって、これは絶対にまずいぞ。
 棚板を破損させようものなら大目玉を食らうでしょうね。1枚が1万円くらいする物なので、窯一杯のぼくの作品が売れたってペイするわけがない。失敗は成功の母などと言って見過ごしてはくれそうもないので、明朝は早めに出かけて詰め直す所存にございます。

 ぼくみたいに失敗ばかりやらかして痛い目に遭っていると、次からは慎重になるし痛みを忘れることはありません。しかし、だれかから手取り足取り教わったことは残念ながら忘れてしまいやすいです。
「一子相伝とは、教えないことである」と、歌舞伎役者だったか狂言師だったか、我が子に芸を伝えるのに芸を教えてはいけないというのです。もちろん箴言、レトリックであり、「技は教わるものではなく、盗むものである」と共通する格言でしょう。

 我が陶芸クラブはその昔、鄙には珍しくといっては叱られるかも知れませんが、著名な陶芸家を師と仰いでおったそうな。その時代の資料をひもといてみると、膨大な釉薬の調合リストやテストピースがあって驚きます。先生は非常に親切丁寧な方で、粉骨砕身クラブのために尽くしてくれたであろうことは想像に難くありません。それなのにどうして先生の技術は伝承されずに今にいたってしまったのでしょう。

 思うに、人は気前よく教えてもらったことは気前よく忘れてしまうものじゃないでしょうか。流血の末に自力で獲得した自由は死守しても、占領軍から与えられた自由はぞんざいに扱ってしまうのと似ているでしょうか。伝統芸能にしても、子どもが自力で身につけた芸でなければ伝承されないのでしょう。

 師と仰いだ陶芸家が亡くなり、教わった技術がわずか数年で失われた要因を、クラブ員の高齢化と分けて考えることはできないと思います。しかし主因として、先生の微に入り細をうがった指導が、クラブ員の自力で考える習慣をスポイルしたのかも知れないのです。
 知り合いの陶芸家を訪ね、よその陶芸クラブを見学し、陶芸教室に飛び入りで受講したりするぼくの姿を見て「あなたは本当に熱心よね」と、褒めているのか呆れているのか知らないけど、技術の獲得に苦労しなければ身につかないとしたものです。

 親はなくとも子は育つと云うけれど、親がいるから育たない子もいる。童話講座だって同じことですが、金を払ってまでして「千尋の谷に突き落としてください」と懇願する生徒もいないので、お師匠さまも頭の痛いこって。

線刻がなんとか終了

2010年10月22日 | 陶芸
 徹夜になるのかなと覚悟していたんですが、さすがにそんな馬力はなかったので、線刻の途中から手を抜きました。黒化粧土っていうけど、釉薬みたいに柔らかくて、削るのは楽だけとすぐにはがれてしまう。もう一回塗れば良いだけのことなんですが、扱い易いのか難いのか今ひとつ良く分かりません。

 絵心のない男なもので、ネットで見つけた写真を切り抜いてなぞりました。どんな仕上がりになるのか謎のまま明日は素焼きです。2基の窯を同時に焚くことの不安と喜び二つ我にあり。

線刻を描く黒化粧皿

2010年10月21日 | 陶芸
 童話講座を見学に来られた方が「レベルが高すぎる」を理由に受講を断念なさったとか。特にレベルが高いわけじゃないし、レベルが高いとどうして分かったのか不思議ではあるものの、「レベルが低すぎる」とは言えませんもんね。

 我が陶芸クラブにも見学者が来られました。表でコンプレッサーを使って黒化粧土を皿に吹きつけておりますと、そのお二人の見学者がやって来てぼくの皿をしげしげと眺めてから素人っぽい質問をいくつかされました。
「この皿ですか? 絵を描くんですよ、線刻で」と、それなりの答えをしたんですが、分かったのか分からなかったのか。後でクラブの会長に尋ねたら、「レベルが低すぎる」と感じて帰って行かれたかも知れません。

 うちのクラブでレベルが高いのはたった一名。ぼくじゃありません。同じクラブの寡黙な方で、自慢話を聞いたことがないシルバー男性です。手捻りの作品を見たらぼくよりはるかな高みに立っておられるのは一目瞭然。自宅に電動ろくろがあるらしく、クラブでろくろを回したのも見たことないけど、そっちも上手なはずです。

 月末にある文化祭に出品するので、レベルが高かろうが低かろうが、とにかく焼かなくてはいけないのに、皿に描く図案が決定していない体たらくです。
 大皿が多いので、もしかしたら一人で2基の窯を焚かないといけないかも。そうすると今度は隙間が空きすぎるので、詰め物にする湯飲みやぐい飲みもこしらえてみました。
 線刻なんて初めてなので体が勝手に動くようなことはなく、頭と神経を使わなくてはいけないのは厳しい。どうやってもギリギリの仕上がりになりそうです。

第28回備前焼まつり ろくろ実演 2010年

2010年10月17日 | 陶芸
 備前焼まつりの会場へはスムーズに到着しました。が、こちらは広大なイベント会場に無数の出店があり、全てを見て回るには1日がかりだと思うのに、滞在できるのはわずか2時間だけ。美術館で六古窯展を見ていると轆轤の実演時間が迫り、現場に急ぐと日本酒の試飲会があるじゃないですか。渡りに舟、蛙の面にションベン、HALにアルコールと言われるくらいだから、受けて立とうやないか!

倉敷の地酒『燦然』は、普通酒だとやや無骨な風味を感じるものの、大手の酒蔵のワンカップと同じ値段なら個性と受け止めて毎日楽しめるでしょう。雄町米の純米酒は洗練されていましたけど、そういうお酒はいくらでもあるので、あえて本醸造を買いました。
 試飲ありがとうとおいとましたら、隣にはワインの試飲会があるじゃないですか。「高級ワインの試飲できます」と、巧みな誘惑の言葉が……うむぅ抗えない!
「これは川島なお美さんが……、これはジャッキー・チェンが……」と、何やら権威のような著名人を引き合いに出しては次々に試飲させてくれ、こりゃあ買わざるを得んわなぁ……悩んだあげく、一番安そうなワインに対して「これが好みです」と。
 いや事実好みの味だったんですが、1本で1800円は最安でした。ここまで試飲させてもらったなら仕方ない、1本買いましょうと降参したら、「6本単位で後日の発送です」との答えで、ゴメンナサイ!

          第28回備前焼まつり ろくろ実演 2010年
          

 ほろ酔い加減になったころちょうど陶芸職人さんがやってこられました。場馴れした感じで滑舌も良く、見栄えの良い作品をこしらえて見せてくれました。あぁでも、ケチを付けるつもりは毛頭ないけれど、名人芸を期待していた身からすると……。
 
 今回の旅は詰め込みすぎでした。備前焼まつりだけで一日仕事なのに余計なものを絡めたばっかりに、しんどい思いした割には得るものが少なく、反省しているのは添乗員さんも同じです。
 今年は他にも望まない旅行が2件残ってます。どれも断るつもりだったし、そうしても咎められることはないんですが、それぞれのコミュニティでの立場上いやいや参加することになりそうです。

備前祭りに行くつもりなら

2010年10月14日 | 陶芸
 同じM女でも、ミーナさんコイケダさんでは随分とスタンスが違うんだなぁと独りごちつつ、決して他人様の趣味嗜好に横やりを入れるつもりはないけれど、ぼくは断じてS男です。
 何でS男なのかというと、Mドナルドはガキが多くてうるさい。Dトールはミラノサンドが好きなんだけど、Sターバックスみたいに全面禁煙じゃないんですよね。この三店が近くにあったら、迷わずS男になります。そんなわけで今朝は、トムヤム・ペースト味のミラノサンド風を作ってみましたが、不出来だったので画像なし。

               

「君ぃ、焼き物は備前に始まって備前に終わると云うが、備前祭りに行くつもりなら予習をしてから生きたまえ」と、我が陶芸クラブのナビゲーターをお務めになられる(二重敬語の誤用も甚だし)要釉斎先生が、ご自身のコレクションを持ってきて下さいました。
「備前焼きは即ち器であり、釉薬は用いない。火と木灰の釉薬が織りなす偶然の景色こそが見所である」※
 器(せっき)というのは、磁器と陶器の中間に位置するものだそうで、磁器のようにガラス質ではないものの、陶器のように水は通さないのだそうです。

 この16日に備前祭りがあるのでツアーに参加するんですが、要釉斎先生もお誘いしたところ、「ワシはもうすぐ死ぬ」と、拒否されました。
「君ぃ、『備前の徳利、唐津のぐい呑』という言葉があるが、君も酒飲みなら備前の徳利を買うてきたまえ」
 お言葉ながら、ぼくは備前の徳利みたいな渋さがイマイチ分からないのです。それもだし、須恵器みたいな感じられて衛生面に不安があるんです。

「君ぃ、ワシのコレクションは、まだこの倍はあるんぞ。こら、見て行かんかい、これは人間国宝の作品ぞ!」
 スルーしようと思ったのに、先生に捕まって30分ほどもネチネチ抗議を聞かされました。自慢したかったらしいのですが、陶芸クラブじゃどうしてもM男にされてしまうんですなぁ……。

※作為的に釉薬をちりばめた物もあるらしく、見る目を養わないと、つまらん物を買って満足するんだとか。