練習とかの内容ではありません。
世間の出来事を気の向くまま徒然にメモのように書いています。
*****
日本国、在留邦人を含めた国民を国家としてどうやって守るのか?
という命題があり、そこをきちんと明確にしないとそもそも何も始
まらないと思います。その結論が今国会で政府があげている集団的
自衛権行使であれば、そのために何をすべきなのか、法律は作れる
のか?ということじゃないと難しいのではないでしょうか?
かたや法治国家なのだから憲法にそぐわない(違憲な)ことは議論
の俎上にものせられないという原理原則論だとすべてが硬直化して
何も始まらないですよね。
いやいや。戦後70年、議論はさんざん尽くされていて、最高裁判所
はその判断を棚上げしたままだし、政府見解も「できない」と繰り返
し答弁してきたではないか。それが国際情勢は大きく変わっているが、
憲法他、立法・司法の国内情勢は何も変わっていないのに、なぜ解釈
が180°変わってしまうのか?憲法学者が違憲というのは今に始ま
ったことではないし・・。だからそもそも議論するには値せず、とい
うことなのであろうか?
ホルムズ海峡だ、米国の戦争に巻き込まれるだのと枝葉の話にしか
聞こえないことを一生懸命つつく、というのは成立前提の質疑になって
いるからなのでしょうか。
そうだとすればやはり順番が違います。
違憲だからだめです。
では、合憲ならいいのでしょうか?
それは議論のすり替えだ。
そもそも日本は、国際紛争はすべて話し合いで解決すると決めている
から、海外派兵を伴う集団的自衛権の行使は必要ない、ということな
のか。
右のほほをうたれたら左も差しだしなさい、という博愛平等が教義の
キリスト教徒が大多数の国々が戦力を持ち、戦争を紛争解決の手段と
しているにも関わらず、「話せばわかる。」と犬養さんのようなことを
言っている場合なのでしょうか?そりゃ理想ですけど現実ではないです
よね。
現にISもクリミアも尖閣も、竹島も話し合いで解決していません。
尖閣諸島に外国の軍隊が突然上陸してくる。
海上保安庁の巡視船もスクランブル発進の自衛隊機も完全に無視。
もちろん発砲もレーザー照射とかの敵対行動は一切とらない。そして
基地を築き、港湾を整えて実行支配してしまう。
南沙諸島で人工島をつくることができたのだから次は・・・。
(ヒトラーがポーランド侵攻した際に恐れていたのが英国。その
英国が静観したことがヒトラーを増長させ、WWⅡになった)
そのとき日本はどうするのでしょうか?
対馬に突然やってきて島民を紳士的だが強制的に船に乗せ九州に運んで、
武力を背景に実行支配をはじめる。
そのとき日本はどうすべきなのでしょうか?
石油タンカーが海賊にシージャックされて原油が入ってこなくなる。
邦人が国家ではないテロ組織に誘拐される。
シミュレーションは無数にできますし、それは可能性がゼロとは言い
切れない私たちが今住んでいる現実社会でです。
昨日までは誰もが、誰かが考えてくれる、と「見えないふり」をして
真剣に考えていなかったのではないでしょうか。本当にこの国を国民を
財産をいわれのない武力から守るためにはどうしたらいいのでしょう?
崇高な9条の下、されるがままに任せる。いや違う。そうではない。
今までもわかりあえたはずだからこれからも大丈夫と思い込むことに
する。
米国と共に行動する。
中国と同盟を結ぶ。
自衛隊だけでちゃんとする。
違憲だ合憲だ はそのあとの話だと思います。
さっきTVで、「私は人を殺したくありませんし、戦争に巻き込まれ
たくありません。平和に暮らしたいだけです。戦争に加担する法案には
反対します。」と若い方が集会で訴えていらした。
戦争をしたい日本人なんて誰ひとりいません。
みんな仲良く平和に楽しく暮らしたいと願っています。
それは今の政府も同じです。
それでも、そうとられる法案をあげてきた。そこにはどんな背景が
あるのでしょうか?米国にいい顔をしたいとか、そおいううわべの話で
はなく、なぜ、今、過去の政府見解を曲げてまでもゴリ押ししようとして
いるのでしょう?
そこを政府もきちんと説明すべき(今国会の答弁は説明になっていません)
だし、私たちもそこをきちんと理解しないといけないと思います。
世界にはいろんな人がいます。すぐ隣にも歴史認識でわかりあえない友人
がいるのです。自分たちが崇拝する宗教の教義以外、全否定する集団も
います。個人の自由な意見を言うことがでいない政府による言論統制が
恐ろしく強化された国もあります。その人たちの言う平和と私たち日本人
が思う平和が同じものである保証はどこにもないのです。でもその人たちも
平和に暮らしたいと思っているのです。
同じ「平和」のはずなのに、対立してしまったとき、あなたはどうするの
ですか? 全世界の人が自分と同じ価値観をもっていると思うことが
どれほど危険なことであるか。
みんな平和が一番と思っています。
世間の出来事を気の向くまま徒然にメモのように書いています。
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日本国、在留邦人を含めた国民を国家としてどうやって守るのか?
という命題があり、そこをきちんと明確にしないとそもそも何も始
まらないと思います。その結論が今国会で政府があげている集団的
自衛権行使であれば、そのために何をすべきなのか、法律は作れる
のか?ということじゃないと難しいのではないでしょうか?
かたや法治国家なのだから憲法にそぐわない(違憲な)ことは議論
の俎上にものせられないという原理原則論だとすべてが硬直化して
何も始まらないですよね。
いやいや。戦後70年、議論はさんざん尽くされていて、最高裁判所
はその判断を棚上げしたままだし、政府見解も「できない」と繰り返
し答弁してきたではないか。それが国際情勢は大きく変わっているが、
憲法他、立法・司法の国内情勢は何も変わっていないのに、なぜ解釈
が180°変わってしまうのか?憲法学者が違憲というのは今に始ま
ったことではないし・・。だからそもそも議論するには値せず、とい
うことなのであろうか?
ホルムズ海峡だ、米国の戦争に巻き込まれるだのと枝葉の話にしか
聞こえないことを一生懸命つつく、というのは成立前提の質疑になって
いるからなのでしょうか。
そうだとすればやはり順番が違います。
違憲だからだめです。
では、合憲ならいいのでしょうか?
それは議論のすり替えだ。
そもそも日本は、国際紛争はすべて話し合いで解決すると決めている
から、海外派兵を伴う集団的自衛権の行使は必要ない、ということな
のか。
右のほほをうたれたら左も差しだしなさい、という博愛平等が教義の
キリスト教徒が大多数の国々が戦力を持ち、戦争を紛争解決の手段と
しているにも関わらず、「話せばわかる。」と犬養さんのようなことを
言っている場合なのでしょうか?そりゃ理想ですけど現実ではないです
よね。
現にISもクリミアも尖閣も、竹島も話し合いで解決していません。
尖閣諸島に外国の軍隊が突然上陸してくる。
海上保安庁の巡視船もスクランブル発進の自衛隊機も完全に無視。
もちろん発砲もレーザー照射とかの敵対行動は一切とらない。そして
基地を築き、港湾を整えて実行支配してしまう。
南沙諸島で人工島をつくることができたのだから次は・・・。
(ヒトラーがポーランド侵攻した際に恐れていたのが英国。その
英国が静観したことがヒトラーを増長させ、WWⅡになった)
そのとき日本はどうするのでしょうか?
対馬に突然やってきて島民を紳士的だが強制的に船に乗せ九州に運んで、
武力を背景に実行支配をはじめる。
そのとき日本はどうすべきなのでしょうか?
石油タンカーが海賊にシージャックされて原油が入ってこなくなる。
邦人が国家ではないテロ組織に誘拐される。
シミュレーションは無数にできますし、それは可能性がゼロとは言い
切れない私たちが今住んでいる現実社会でです。
昨日までは誰もが、誰かが考えてくれる、と「見えないふり」をして
真剣に考えていなかったのではないでしょうか。本当にこの国を国民を
財産をいわれのない武力から守るためにはどうしたらいいのでしょう?
崇高な9条の下、されるがままに任せる。いや違う。そうではない。
今までもわかりあえたはずだからこれからも大丈夫と思い込むことに
する。
米国と共に行動する。
中国と同盟を結ぶ。
自衛隊だけでちゃんとする。
違憲だ合憲だ はそのあとの話だと思います。
さっきTVで、「私は人を殺したくありませんし、戦争に巻き込まれ
たくありません。平和に暮らしたいだけです。戦争に加担する法案には
反対します。」と若い方が集会で訴えていらした。
戦争をしたい日本人なんて誰ひとりいません。
みんな仲良く平和に楽しく暮らしたいと願っています。
それは今の政府も同じです。
それでも、そうとられる法案をあげてきた。そこにはどんな背景が
あるのでしょうか?米国にいい顔をしたいとか、そおいううわべの話で
はなく、なぜ、今、過去の政府見解を曲げてまでもゴリ押ししようとして
いるのでしょう?
そこを政府もきちんと説明すべき(今国会の答弁は説明になっていません)
だし、私たちもそこをきちんと理解しないといけないと思います。
世界にはいろんな人がいます。すぐ隣にも歴史認識でわかりあえない友人
がいるのです。自分たちが崇拝する宗教の教義以外、全否定する集団も
います。個人の自由な意見を言うことがでいない政府による言論統制が
恐ろしく強化された国もあります。その人たちの言う平和と私たち日本人
が思う平和が同じものである保証はどこにもないのです。でもその人たちも
平和に暮らしたいと思っているのです。
同じ「平和」のはずなのに、対立してしまったとき、あなたはどうするの
ですか? 全世界の人が自分と同じ価値観をもっていると思うことが
どれほど危険なことであるか。
みんな平和が一番と思っています。