M馬日記(元、日曜レーサー)

塩噴きじいさんの独り言
※2011年11月をもって一時停止
 (再開未定)

2017/01/17・火:あれから22年

2017年01月17日 | Weblog
阪神淡路大震災から22年経ちました。

朝起きてTV付けたら日本地図に震度の数字。
地震かぁ~と何の感慨もなく出社して業務をこなし(95年当時、PC
なんて会社でも1台/人の時代ではなかったような記憶。それにIEも
どうだったか?今の若い衆にはわかるまい)て帰宅してから見たニュース
に大層驚いたのでした。そして極めつけは翌日の新聞の第一面。高速道路
が横倒しになっていた写真でしたっけ。

いま思い返せば、あの一面の火災の下に尊い人命が多数取り残されていた
のですね。消化したくても道路は跡形もなく、消火栓もつかえず水が出ない。
助かる命さえも消えていった無念。


高橋シンさんの「いいひと」というマンガで子供たちが主人公に訴えます。
「復行、ふっこう っていうけど、単にビルがたっただけや。
 わてらの気持ちはあのときのままや」

あれから22年経ったけど、今も時が止まったままの方々、苦しんで生きて
こられた方々もいらっしゃる一方で、22年という月日が記憶を風化させて
いるのも事実でしょうし、あのときを知っているみなさんも確実に減って
いることでしょう。

でも、人が人を思う想いというのは忘れてはならないと思います。

「私がいたことを忘れないで」と直子が主人公にいい、彼は「忘れるものか」
と約束するのですが、数十年を経て思い出すのがとても難しくなってしまう。
どんなに特別な事でも時がたつとそれは薄れていってしまうのですよね。
その記憶をとどめおくためには「語り継ぐ」ことが大切です。

個人的なことは困難でしょうが社会的な記憶(記録)はそうすべきですよね。

あれから22年。
1.17 になると思い出しますがともすればニュースで思い出すように
なっていることに反省しきりです。

でも、95年1月17日。あのとき僕はなにをしていたんだろうか?
その個人的な記憶はすでに手の届かない遠いところに沈んでしまって決して
思い出すことはできないような気がします。

***

帰宅後に20分。
たった2日目なのにきつかった。

コメント
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