(承前)
旭川市中央図書館の中に入ります。
したがって、厳密に言えば「野外」彫刻ではありません。
この人物像は1階カウンターの近くにあります。
旭川叢書『あさひかわと彫刻』によると、田村審火は1900年(明治33年)、旭川生まれ。
東京美術学校(現東京藝大)西洋画選科に入学し、北村西望に師事して彫刻を学ぶ。
1924年(大正13年)、第5回帝展に初入選。
台座のパネルには1967年という歿年と「制作年不詳」という文字が刻まれています。
モティーフは上半身裸で、腰に布を巻き付けた女性。
右足を大きく前に踏み出し、腰をやや低めにして少しひねり、右肘を折り曲げながらも上部に高く上げ、左腕はやはりひじを曲げて後ろに向けています。
靴ははかず、裸足です。
また髪は、束ねているのか、それともダイナミックな動きを表現しているのか、後ろに渦巻きのように流れています。
ダイナミックな踊りのワンシーンといった印象です。
フラメンコの、1曲の最後のポーズのようにも思えます。
難しい指の動きもしっかりと表現されていて、この彫刻家のたしかな力量を感じさせますが、あんまり名前は聞かないですね。
あるいは、道内での発表が少ない人だったのかもしれません。
旭川市中央図書館の中に入ります。
したがって、厳密に言えば「野外」彫刻ではありません。
この人物像は1階カウンターの近くにあります。
旭川叢書『あさひかわと彫刻』によると、田村審火は1900年(明治33年)、旭川生まれ。
東京美術学校(現東京藝大)西洋画選科に入学し、北村西望に師事して彫刻を学ぶ。
1924年(大正13年)、第5回帝展に初入選。
台座のパネルには1967年という歿年と「制作年不詳」という文字が刻まれています。
モティーフは上半身裸で、腰に布を巻き付けた女性。
右足を大きく前に踏み出し、腰をやや低めにして少しひねり、右肘を折り曲げながらも上部に高く上げ、左腕はやはりひじを曲げて後ろに向けています。
靴ははかず、裸足です。
また髪は、束ねているのか、それともダイナミックな動きを表現しているのか、後ろに渦巻きのように流れています。
ダイナミックな踊りのワンシーンといった印象です。
フラメンコの、1曲の最後のポーズのようにも思えます。
難しい指の動きもしっかりと表現されていて、この彫刻家のたしかな力量を感じさせますが、あんまり名前は聞かないですね。
あるいは、道内での発表が少ない人だったのかもしれません。
(この項続く)