FLOWER TRAVELLIN' BAND(フラワー・トラヴェリン・バンド)。
この名前をRising Sun Rock Festival 2009 in EZOのサイトで見たときは、ほんとうにびっくりした。
1970年代前半に活躍した、筆者にとっても「歴史的」なバンドであったからだ。
つまり、じぶんにとってリアルタイムの記憶がない存在なのだ。
筆者のような老人でさえそうなのだから、石狩湾新港にやってくる人々の大半にとっては生まれる前の存在ということになるのだろう。
カナダのシングルチャートでベストテンに入ったこともあるという。73年に活動を休止した。
むろん、70年代からずっと活動していたのではなく、2008年になって再結成されたという。
伝説の存在をひと目見たくて、EARTH TENTに足を運んだ。
お客さんがやや少なくて、バンドには気の毒な気もしたが、当時のファンとおぼしき60歳ぐらいの男性の姿もちらほらあって、ほかのバンドのライブとはいささか異なった空気が感じられた。
バンドは5人編成。音はずしりと重たい。
とくに、向かって右側にいる石間さんという人(最初見たとき、ダライ・ラマ14世かと思った)が弾いている楽器の音色がおもしろかった。ギターとシタール(インドの楽器)を合体させたオリジナル楽器で、「SITARLA」というらしい。
最後には、平和と核廃絶の祈りを込めた「HIROSHIMA」という曲を演奏。「LOVE&PEACE」というロックの原点がともすれば忘れられがちな最近にあって、なかなかやるなーという感じだった。
しかし、筆者がいちばん書きたいのは
ロックって、聴くものであってもいいのだ
ということである。
ライジング・サン・ロックフェスティバルでライブを聴いていると、それがロックだろうとテクノだろうと(さらにはジャズでさえ)、ほとんど「踊るため」「ノルため」の音楽になっている。
踊ったり手をおなじ向きに振ったり、さもなければモッシュ&ダイブ。あるいは、コール&レスポンス。
しかし、いまいちど歴史をふりかえるなら、ダンスから自立して「聴くもの」になったときにはじめて、ロックンロールはロックになったのではないか。
1970年前後、急速に進化した当時のロックは、踊ることのできないものが多い。
大音量に没入しながら聴き入るための音楽なのだ。
ディープ・パープル、ドアーズ、キング・クリムゾン、後期ビートルズ、クリーム、イエス、ロキシー・ミュージック、ピンク・フロイド、レッド・ツェッペリン、エマーソン・レイク&パーマー…。
みんなそうである。
当然、フラワー・トラヴェリン・バンドもその系譜に属するのだ。
70年代後半、パンクロックが擡頭して、ふたたびロックはロックンロールのほうに振り子がもどる。
音楽として精巧になっていったところに、初心を取り戻す動きが出てきて、直接性が見直されたのだ。
ロックシーンは巨大化していたので全体が一気に揺り戻されるということにはならなかったものの、あれから30年たってみれば、すくなくとも日本のロック界は、「聴き入る」よりも「ノル、踊る」ほうが優勢になっているのではないか。
フラワー・トラヴェリン・バンドは、その風潮に抗して、重厚な音の世界を構築し、守っている…。筆者には、そのように感じられた。
※関係するエントリ
忌野清志郎が特別な存在である理由
この名前をRising Sun Rock Festival 2009 in EZOのサイトで見たときは、ほんとうにびっくりした。
1970年代前半に活躍した、筆者にとっても「歴史的」なバンドであったからだ。
つまり、じぶんにとってリアルタイムの記憶がない存在なのだ。
筆者のような老人でさえそうなのだから、石狩湾新港にやってくる人々の大半にとっては生まれる前の存在ということになるのだろう。
カナダのシングルチャートでベストテンに入ったこともあるという。73年に活動を休止した。
むろん、70年代からずっと活動していたのではなく、2008年になって再結成されたという。
伝説の存在をひと目見たくて、EARTH TENTに足を運んだ。
お客さんがやや少なくて、バンドには気の毒な気もしたが、当時のファンとおぼしき60歳ぐらいの男性の姿もちらほらあって、ほかのバンドのライブとはいささか異なった空気が感じられた。
バンドは5人編成。音はずしりと重たい。
とくに、向かって右側にいる石間さんという人(最初見たとき、ダライ・ラマ14世かと思った)が弾いている楽器の音色がおもしろかった。ギターとシタール(インドの楽器)を合体させたオリジナル楽器で、「SITARLA」というらしい。
最後には、平和と核廃絶の祈りを込めた「HIROSHIMA」という曲を演奏。「LOVE&PEACE」というロックの原点がともすれば忘れられがちな最近にあって、なかなかやるなーという感じだった。
しかし、筆者がいちばん書きたいのは
ロックって、聴くものであってもいいのだ
ということである。
ライジング・サン・ロックフェスティバルでライブを聴いていると、それがロックだろうとテクノだろうと(さらにはジャズでさえ)、ほとんど「踊るため」「ノルため」の音楽になっている。
踊ったり手をおなじ向きに振ったり、さもなければモッシュ&ダイブ。あるいは、コール&レスポンス。
しかし、いまいちど歴史をふりかえるなら、ダンスから自立して「聴くもの」になったときにはじめて、ロックンロールはロックになったのではないか。
1970年前後、急速に進化した当時のロックは、踊ることのできないものが多い。
大音量に没入しながら聴き入るための音楽なのだ。
ディープ・パープル、ドアーズ、キング・クリムゾン、後期ビートルズ、クリーム、イエス、ロキシー・ミュージック、ピンク・フロイド、レッド・ツェッペリン、エマーソン・レイク&パーマー…。
みんなそうである。
当然、フラワー・トラヴェリン・バンドもその系譜に属するのだ。
70年代後半、パンクロックが擡頭して、ふたたびロックはロックンロールのほうに振り子がもどる。
音楽として精巧になっていったところに、初心を取り戻す動きが出てきて、直接性が見直されたのだ。
ロックシーンは巨大化していたので全体が一気に揺り戻されるということにはならなかったものの、あれから30年たってみれば、すくなくとも日本のロック界は、「聴き入る」よりも「ノル、踊る」ほうが優勢になっているのではないか。
フラワー・トラヴェリン・バンドは、その風潮に抗して、重厚な音の世界を構築し、守っている…。筆者には、そのように感じられた。
※関係するエントリ
忌野清志郎が特別な存在である理由
ビートルズぐらいでしょうか。
先日テレビで、岩見沢のキタオンで
開催されたフォークジャンボリーの
ライブが放映されていました。
加藤和彦さんがはるか昔所属してた
ザ・フォーク・クルセダーズの歌を
メロウなアレンジで歌ってましたよ。
「悲しくてやりきれない」や、あの
「帰ってきたヨッパライ」など熱唱。
個人的に「イムジン河」をテレビで
聴くことができたのが感動モノ。
北のローカルテレビ局だからこそ、
放映できたのでしょうか。
政治的背景抜きにしても心に沁みる
ステキな歌でした。
ビートルズはメンバーの半分が死んでますから、ちょっと無理じゃないですかねー。
あと復活しそうにないのは、ボウイ、フリッパーズギター、ブルーハーツ・・・。
いろいろあるじゃないですかー。
でも、Xジャパンもルナシーも米米クラブも再結成したし、なにがあるかわかりませんよね。
フォークルはどうなんだろう。
北山修さんはもう精神科医の大御所だしなあ。
なつかしいなー。フラワー(略)といえば音よりもダンボールジャケットを思い出す。当時くそがきだった私は良さもわからずジャケ買いしたのですねきっと。フォークルとはっぴいえんど(時代的にちょっと後)はジャケも音もよくおぼえているのに。
さすがにライジングサンはもういけない。街のライブハウスで鼓膜を損傷してくるのが精一杯です。梁井さんはすごいなー。
フラワートラヴェリンバンドのジャケ買いとは、すごいですね!
当時は、LPレコードは、まだまだ高価なものだったはず。
わたしは、恐ろしくって、ジャケ買いなんて、なかなかできません。単にケチなだけかもしれませんけど。