NPO法人北九州・魚部 「魚ぶろぐ」

日本各地で生き物や自然とかかわってるあなた、つながりの一つに「魚部」という場を加えませんか?

新50号【鯉の滝登りへの憧れ? or トビハゼ願望?】

2014-05-31 08:52:14 | 淡水・汽水甲殻類


宗像市にて


ため池脇の水田用の水路。


コンクリートの滝状になっているところに

なんかくっ付いているなあ・・と近付くと



  スジエビたち、、、




鯉の滝登りみたく、登って上に行こうとしてるわけでなく

じいっとしている。

非常に暑い日だったので、涼んでる???

でも、水は冷たかったぞ。



あるいはトビハゼみたく、水がそんなに好きじゃなくなった?

たまには外の空気が吸いたくなったんかな。





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新49号【巨ドブ!】

2014-05-30 22:13:53 | 淡水貝類



キタキュウシュウのある池にて(大きな池じゃない、むしろ小さめ?)。

10年以上前から、水もほとんど抜いたまま。

膝くらいの水深? 

とはいえ、かなり「いぼる」けど。



そこにヌシのごとく、巨ドブさん(=巨大ドブガイ)。

胴長の足の大きさと変わらんし・・・デカすぎやろ。



まあ、重いこと重いこと!

これ美味やったら、絶滅しとうね、きっと。

※筑後の方のどこかで、味噌汁に入れるとか、昔だれか言ってた。
 ま、こんな巨ドブじゃないやろうけど。























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新48号【(ケツから)棘が出とうばい、ごまふがむし。】

2014-05-29 18:16:52 | 水生昆虫



お尻にトゲが。

トゲバゴマフガムシの仲間(福津市産)



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新47号【カルテット。】

2014-05-29 18:12:01 | 調査


標高550m地点のミズカマキリ。

10頭近くいた。







北九州ギョブ・メンバーのA君が採集。

昔のスジシマ小型種九州型。

今は、アリアケスジシマって言うんでしたっけ?




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新46号【ナガオカモノアラガイ】

2014-05-29 06:03:39 | 淡水貝類



小倉北区、止水域。

非常に多数の個体が見られた。
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新45号【エサキアメンボの口先に!?】

2014-05-28 23:24:35 | 水生昆虫

ウチで飼育中のエサキアメンボ。

ふと覗くと・・奥の方にいる1匹がなんか食いよる。


うん?

と、じいっと見ると



(奥の方なんで、写り悪し。これが限界っす)


ええ!?

ヒメモノアラガイの小っちゃいの食ってる???


そんなもんも食べるんだ、、、知らんかった。


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新44号【資料①を入手(41号つづき)。】

2014-05-27 22:40:00 | 日常

資料の無い状態での、41号。

資料①を入手したので、これも期間限定で掲載。


資料③・④はイノウエ先生が持っているが

「掲載する性格のものではない」とのことで見送ることに。


資料②も入手したが、これは多くのギョブ応援団の声であり

それぞれの了承を得るものなので、話し合った結果、見送ることにした。

(10名の方が、それぞれ深く、強い思いでイノウエ・ギョブ存続を訴えていて

 とても感激というか胸がじーんとするし、なのに、なんで?と思えます)


ま、なんと言いますが、虚無感漂う読後感必須ですが、

北九州ギョブ前身の経緯に興味のある方はお読みください。



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平成25年 12月 1日


福岡県教育委員会 教育長 殿
 


北九州高校・魚部の活動を平常に戻すために(請願書)
~井上大輔教諭の〈魚部〉活動への次年度復帰を求めて~



 私たちは、下記に詳しくご説明申し上げる理由により、井上大輔教諭の魚部活動への
次年度(平成26年度)からの復帰(北九州高校への復帰)を求めて、ここに請願申し上げる次第です。
何卒、このような思いをご理解いただき、特例中の特例とは存じますが、
全国で唯一の北九州高校・魚部の活動を子どもたちが昨年度までのように、
平常にできますよう、井上大輔教諭の北九州高校への次年度からの復帰を切にお願いする次第です。
万感お酌み取りいただき、御高配賜りますよう重ねてお願い申しあげます。



      記



1.突然の井上教諭の異動、「魚部」存続の危機

 平成24年度末、突如として井上教諭が異動となり、「魚部」が存続の危機に直面しました。
魚部の活動が立ち行かなくなりました。
 あとに述べておりますように、福岡県をはじめ国や北九州市、あるいは専門施設や機関、財団、
そして多くの一般市民から応援をいただいた魚部ですが、もちろん北九州高校の教育の
大きな特色でもあります。
数年前でしたか、教育長さまのご講演の中でも、福岡県の高校教育の特色ある活動として
話題に取り上げてくださったことがあるとうかがったこともあります。
 北九州高校自体も、これまでずっと管理職の先生方は魚部を大きな特色として捉え続けてくれ、
それを中核的に支えている井上教諭の役割を十分に理解して、積極的にご支援やバックアップを
なさってきたと聞いております。
 「赴任して長い」であるとか「通常の異動」であるとか、耳にはいたしますが、
どう考えても不思議でなりません。どこか後付けの理由にしか聞こえないのです。
関係の皆様方に、「魚部=井上教諭」であることをご承知ではない方がおられるとはとても思えません。
皆様、誰もが子どもたちを温かい目で見守り、さらなる活躍を期待してくださっていた魚部だと
思っていましたのに。
 下記に詳しく申し上げますように、魚部が魚部として立ち行かなくなると、
まずは現在所属している生徒たちが困難に直面します。先輩たち同様、魚部に憧れて入部してきた
生徒もいれば、入部後に学校生活の拠り所となった生徒もいます。   
何の前触れもなく、当然ながら何の準備もしようもなく、これまでの魚部が断ち切られたことに
子どもたちが激しく動揺し、強い不安を覚えています。



2.全国で唯一の高校生の部活動「魚部」

 福岡県立北九州高校・魚部の存在とその活動の文化的な質の高さは、福岡県・北九州市はもちろん、
広く全国的にも知られています。
当然、そのことに関連して北九州高校に対する地域の信頼の厚さ、期待の大きさもはかりしれません。
 全国唯一の魚部活動は、その活動内容の独自性、専門性、社会性、地域性といった点において
文部科学省、環境省といった国の機関、それにサントリー文化財団や河川環境管理財団といった
多くの財団、魚類学会や甲虫学会、博物館や水族館などの専門学会・施設など全国的なレベルで
高い評価を受けています。
同時に、地元である福岡県からも、二度にわたる福岡県教育委員会の表彰(平成19年度、
22年度福岡県教育文化表彰)、調査成果をまとめた図鑑の福岡県への贈呈式の実施およびその様子の
福岡県庁ホームページでの紹介、「教育福岡」誌上や「ふくおかニュース」での活動紹介、
環境省表彰や福岡県への図鑑贈呈式での福岡県教育委員会のご臨席等々、福岡県および
福岡県教育委員会からいただく北九州高校・魚部への直接的、間接的なご支援やご協力は
枚挙にいとまがありません。現在、改訂作業が進む福岡県版のレッドデータブックにも、
魚部の調査成果を多く盛り込んでいただいていると聞いております。



3.その「魚部活動」を発想し、展開するのが井上大輔教諭

 魚部の創部から関わり、地域だけなく全国的なつながりや関心、さらには信頼を得るような
魚部の活動を展開してきたのが、井上大輔教諭です。
活動を通じて大きく成長していく生徒のため、そして福岡県内の地域の自然財産のため、
多くの人々のご指導やご支援、ご協力をいただきながら地道に活動を続けてきました。
活動の主役は当然、部員である生徒たちです。
だから井上教諭は、活動が生徒の人間的な成長につながることを考えつつ、
同時に生徒たちが前面に出るように常に配慮しながら、活動内容や進め方を決めていると聞いています。
魚部の子どもたちは、自分の考えや思いを人前で話すことなどがそれほど得意ではない場合も
あるようですが、1年後、2年後、そして卒業するころには見違えるほど逞しく成長していきます。
 そのために必要なのは、井上教諭の持っている福岡県の水辺の生き物に関する「知識・知見」だけでは
困難です。たしかに、15年間で蓄積してきたものは他に類をみません。
前述の福岡県レッドデータブック改訂にも大きく寄与しているそうですし、北九州市立いのちのたび
博物館の学芸員さまからも「地域の自然の解明に大きく貢献した」と高く評されているそうです。
 「知識・知見」に加えて、その蓄積過程で生まれた「人々とのつながり」も、魚部の活動に
非常に重要な要素ですし、何よりも「知識・知見」と「人々とのつながり」を下敷きにして、
生徒に新たな活躍の場を与え、福岡県民へ市民啓発をするための「魚部活動の発想力・展開力」こそが、
魚部にとって不可欠なのです。
 つまり、魚部が魚部として存続していくためには、表面的には裏方に徹しつつ、
中核的存在である井上教諭が不可欠なわけです。
 非常に残念ですが、実はこのことは一般にはあまり認識されていません。
それは部員である生徒たちが前面に立つ活動の様子が、とても印象的だからかもしれません。
きっと、新聞記事やテレビの画面上などでは、魚部の高校生たちが易々と企画展示や
子どもたち対象の観察会、あるいは図鑑を発行したように見えるのでしょう。
そこには見えにくくても、「知識・知見」の混沌状態から新たな企画を構想し、
生徒に何をさせることで、何をどう伝えていくかという井上教諭の一貫した関わりがあるのです。
井上教諭がいてこそ魚部が魚部として存在している、こうした仕組みを、活動をご支援・ご協力
くださっていて魚部をご存じの方々や、生物・環境保全分野などご自身も何らかの取組みを
なさっている方々だけにしか、ご理解いただけていないようなのが、非常にもどかしく思います。
今年の夏、兵庫県のある有名校の生物部が、井上教諭と魚部を慕って遠征でやって来られました。
開催中の博物館での魚部展示を見た、先方の顧問教諭はおっしゃったそうです。
「1年でも早い井上先生の魚部復帰を願っております」と。



4.そんな「魚部」に憧れて入部する子どもたち

 創部16年目の魚部には、幼いころから「自分も魚部に入るんだ!」と思い続けて入学してくる
子どもたちが何人もいます。魚部の企画展示や観察会に参加し、あるいは報道された活動の数々を
何度も目にして、「魚部に入りたい、そのために北九州高校に入学したい!」と思うのです。
そんな子どもたちは3年間の魚部活動を通じて大きく成長し、社会のさまざまな分野に巣立っていきます。
中には、魚類の研究者を目指して大学院で研究を続ける者、大学で昆虫を学び、卒業後は自らが生き物を
通じて子どもたちに自然環境を伝える者等々、魚部での経験をさらに追究したり、
活躍の場を広げたりする卒業生たちもいます。
 ある大学で海洋生物を学ぶ魚部卒業生が語った、次の言葉はとても印象的です。
「僕の中味の9割は、魚部で出来ています。魚部での経験が無かったら、今の僕はありません。」
 もちろん、高校入学後に魚部入部を決意する子どもたちもたくさんいます。その生徒たちも、
憧れて入部する子どもたちと何ら変わりません。活動を続けていく中で、多くの生き物や人々に出会い、
さまざまな体験を通じて考え感じることを重ねていくからです。自分自身に自信を持てるようになり、
また魚部そのものにも誇りを持つようになるそうです。
 卒業生となっても、魚部OBやOGとして、現在の部員たちと活動を共にしたり、アドバイスや支援を
行ったりしてくれる子もいます。
他県にいるOB・OGの中には魚部だったことを話すと、「自分も福岡県の北九州高校に行って、
とても魚部に入りたかった!」という同世代の若者たちから羨ましがられることがたびたびあるそうです。改めて魚部の認知度や影響力の大きさに驚き、またうれしく誇りに思うのだと聞いております。



5.4月以降、現在も井上教諭が全面的に関わっている事実

 25年度の魚部は、通常の活動以外に大きな取組みを二つ、すでに前年度から井上教諭は準備中でした。
一つは、「北九州市立いのちのたび博物館の夏の特別展」への参加、
もう一つは「北九州市響灘ビオトープ開園1周年企画(兼NHK北九州放送局環境キャンペーン)」
というものです。
 従来の魚部活動同様、これらは単に生き物を並べれば良いと言うわけではありません。
企画・準備・渉外・調査採集・設営・維持管理・広報等々、部員の生徒たちにはもちろん、
新たに顧問となった先生方にとっても困難すぎる膨大な段取りが必要なのだそうです。
当事者全員で悩み、最終的に決断したのは、井上教諭が3月までと同じように
4月以降も魚部に関わるしか道はないというものです。
私たちもできる限り活動の手助けをしながら、井上教諭を中心に進めていくことにしたのです。
井上教諭が現顧問の先生、いのちのたび博物館の先生方、北九州市響灘ビオトープの方々、
北九州市の方々、魚部活動の支援者など、関係者と連絡調整をしながら、
少しでも子どもたちの不安を軽減し、なるべく今まで通りの活動ができるように、
ここまでずっと腐心してくださいました。
当初から、順調だったわけではありません。
いのちのたび博物館にしても、実施の可否から井上教諭と担当の学芸員さまとの間で、
何度も議論を交わしたそうです。決断したとはいえ、井上教諭も展示完成までこぎ着けられるか
大きな不安があったそうです。
それは当然だと思います、今までのように毎日、北九州高校で部員の生徒たちと接することが
できないわけですから。
しかしながら、担当学芸員さまの「地域の生物多様性や現状を伝える展示は外せない。
本来は博物館がすべきなのだが、残念だがその力が無く、今回もまた魚部さん(井上先生)に
お願いしたい。来場者も大いに期待し、楽しみにしていると思う」という言葉を受けて、
そこまで仰っていただきながら子どもたちに取り組ませないわけにはいかないと、
井上教諭が現顧問に決意を伝えたそうです。
この取組みは、いのちのたび博物館の特別展示史上、最高の12万6千人もの入場者があったそうです。
前回の昆虫展の実に約5万人増です。井上教諭はお約束通り、展示のテーマ・コンセプトに始まり、
展示する生き物の採集から展示物作成の指導、果ては2万冊も作成・配布した64ページにわたる解説書、
展示案内・広報に至るまで、制作・実行してくれました。
多くの新聞紙上やテレビ報道もなされました。中でも、展示や魚部そのものへの感動や活動への励まし、
あるいは将来の入部希望まで書いていただいた来場者の展示感想文には、私たちも感激いたしました。
夏以降は、上記の展示に並行して「北九州市響灘ビオトープ開園1周年企画」に取り組んで
いただいています。ワークショップと題した4回の観察会、ネイチャーセンターでの企画展示、
さらにはこれまでの調査成果や部員たちの調査風景をまとめて北九州市長さまにもご挨拶文をいただいた、
A4版80ページもの本格的な記念誌までも取り組みました。
案内チラシは10万枚作成し、北九州市内の小・中学生全員に配布され、興味を持った子どもたちが
続々と来園したそうです。
記念誌は2年生部員たちも執筆を任されました。自分が書いた文章が、あるいは活動する姿が
書籍になるという、ふつうではなかなか経験できないことを子どもたちはさせてもらうことができました。
 この二つの大きな取組みは、次世代の子どもたちや保護者の方々の「熱烈な魚部ファン」を
増やしたに違いありません。私たちの子どもたちのように、魚部に憧れて北九州高校に入学したいと
思い始めた子どももいることでしょう。
 それ以外にも、「北九州市環境キャラバン」・「NHK紫川水族館」等々、魚部の活動に関して、
井上教諭の下準備や助言をもとに実行することができました。


しかし、ご想像のように容易く実現できたわけではありません。
打合せひとつとっても、困難を極めます。間接的なやり取りは数え切れないほどいたしますが、
それだけでは到底不十分です。直接的に、何度も顔を合わせてやらざるを得ないのです。
井上教諭と子どもたち、現顧問は、井上教諭の自宅で面会し、何度も何度も打合せや確認を行いました。
こうした活動状況を誰もが好んでやっているわけではありません。しかし、そうせざるを得ないのです。
魚部に憧れ、魚部に誇りを持つ子どもたちが魚部として活動していくためには。
井上教諭や現顧問のご負担やご苦労は申し上げるまでもなく、子どもたち自身も大きな不安感や焦燥感の
中で、何とかやって来られたというのが実情です(関係の誰もが、この1年間の辛抱だと自分自身に
言い聞かせてきました)。
しかも、24年度のうちから井上教諭が少しずつ少しずつ準備をしていたからどうにか実現できたと
思います。
また、現2年生とは24年度の1年間、同じ学校の中で過ごしてきてお互いに人間関係の構築が
できていたからこそ可能だったとも思います。ふだん学校内で日常的に顔合わせて、互いに何を考え、
何を思うのかを共有しながら。
しかしながら、現在、もう誰もが疲弊しています。



.最後に~井上教諭が北九州高校にいてこそ魚部の継続・存続

一つひとつを最初から創り上げていくのが魚部の活動であり、他の部活動とは手法も内容も
全く異なるから、多くの皆さんが仰るように全国的にも稀有な存在であり、
北九州高校の特色ともなっているのでしょう。
いつ試合やコンクールがあって、そのためにどんな練習や準備をしておけばいいということが
ある程度「形」として決まっている、例えば剣道部や野球部、サッカー部などの運動部、
吹奏楽部や演劇部などの文化部など、既存のものとは異なる特殊性があるのはご理解くださっていると
存じます。
ただ単に、何かの部活動で、強豪校の顧問の先生が異動したから大騒ぎになった、というのとは
根本的に異なる問題だと考えます。
魚部には井上大輔教諭しかいないのです。福岡県内のどこを探しても代わりはおらず、
井上教諭にしか出来ないことなのです。魚部の膨大な知見やつながりを踏まえつつ、
子どもたちと毎日の学校生活をともにしながらそれぞれの個性や興味関心、得意不得意を見極めながら、
魚部の次なる活動を新たに構想していく。そんなことは例え、生物がご専門の先生であっても、
代わりはできないのは改めて言うまでもないことだと思います。


冒頭に申し上げましたように、子どもたちがこれまでのように平常に魚部活動ができることを
心から願っております。

今ならまだ間に合います。
何とか救いの手を差し伸べてくださることを願ってやみません。


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新43号【あ~ビバノンノ(35才未満は分からんて?)】

2014-05-25 19:06:58 | 両生類


初夏のような気候、水田にも水が入り始め

カエルたちの季節です。

ウチでも寝てて、アマガエルの大合唱が連夜、聞こえます。






近所を散歩してると、水路にヌマガエルが。

お風呂に浸かってるようなかんじ。

(ホントは人間に驚いてて、何言ってんの?ってとこ)





山間の小池のトノサマ。

まだ大人トノサマの手前かな。

これも気持ち良さげでもなんでもなくて

人間にビビって飛び込んだ・・けど陸に上がれないぜ

ってとこですわ。





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新42号【ニホンアカだらけ。】

2014-05-24 21:05:49 | 両生類

メンバー近所の池シリーズということで

行ってみると・・



 うじゃうじゃニホンアカガエルだらけ!





もう、ホントにうじゃうじゃ。文字通り。

自分はこんなにたくさんのニホンアカだらけは初めて。

よっぽど敵がいないんだろう。


そういや、水生昆虫はほんとおらん。

ヒメガムシがちょびっとだけ。







ドジョウの赤ちゃんも何匹か。

でも親ドジョウとは会えず。






マルタニシ、かなぁ。

ジャンボじゃないのがいいね。





アジアイトトンボ、かな?






在来種がまあまあいるもんだね。












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新41号【北九州ギョブの前身の件】

2014-05-24 10:30:10 | 日常

北九州ギョブです。

下記の、とある文書の一部を入手しました。

(※資料が①~④とあるようなので、十分理解できないかもですが)


新聞記事に出ていた話題です。

当魚ぶろぐの「北九州ギョブ」、前身に関するものです。

最近の当ブログへのコメントにも、この件の書き込みがありました。

検索ワードもずっと多い事柄なので、世間的に興味のあることかもしれません。



魚部という活動を理解していたり、

以前から交流のある方々は、「諸事情」を察しておられたようです。

ですが新聞記事は、おそらく高校生を非常に配慮しての視点で書かれていたので

事情を知らない方は、記事を素直にそのまま読んでしまうことでしょう。



北九州ギョブは、本来的な魚部活動の継承しています。

(おいおい、詳細はお伝えできるでしょうが)

一般の方で、魚部活動に興味関心、心配がある方々のためにも、と思い

井上先生にも話して、この文書を一定期間だけ掲載します。



※なお、こちらの判断で省略した箇所があります。



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魚部とご縁のある皆様へ


 『魚部の本来的な活動継続のため井上先生復帰を求め続けてきた私たちの取組と
   それに対する福岡県教委による「魚部潰し」としか思えない最終対応について』



■皆さまにはどこかの機会で、魚部の活動で大変お世話になりました。
実は、魚部を創り18年間顧問をしてきた井上先生は
24年度末で北九州高校を異動し、魚部顧問ではなくなっておりました。
ご存じでは無かった方も多くあろうかと思います。
というのも、1年後の26年4月から井上先生が魚部に復帰することで、
正常な状態を取り戻そうと取組んでいたため、敢えて広くお知らせしませんでした。


■井上先生=魚部、というのはこのお知らせをお送りする皆さまには
周知の事だと思います。
ですが、それを承知しておらず、
且つ××を心中に含んだ所属長の意向が県教委を通過し、
魚部の活動に何のフォローをする心構えも具体的準備もできず、
25年3月に突然異動となりました。

⇒ 「資料①」参照(※25年3月~10月までの魚部と井上先生の取組を詳述)


■資料①にあるように、
井上先生なくして魚部の本来的な、本質的な活動の継続はあり得ないことを、
1年間という時間をじっくりかけて県教委に理解してもらうことを目的として、
関係者全てで努力してきました。
同時に、25年3月の異動発表の時に撤回を求めて、多大なお力添えをいただいた△氏に、
改めて今年度の井上先生復帰の声を県教委幹部に直接届けていただくという、
大変な役割をお願いいたしました。
そうした努力の成果か、人事案作りの後半の時期(2014.12.2)に県教委幹部による
北九州高校・魚部へのヒアリングが行われることになりました。

その際、魚部OBや魚部仲間、支援者の中から、魚部(=井上先生)の傍にいてくださり
事情説明が可能だった10名の方々に、代表して魚部存続とそのための井上先生復帰の必要性を
県教委提出の文書にしていただきました。

⇒ 「資料②」参照 


■井上先生はもちろん、
その当時まで魚部と関わっていることを現在の所属先では全く話さず、
素ぶりに見せず過ごしていました。
魚部員たちがいる北九州高校でも同様です。
途中で潰されてしまうことを懸念したからです。

皆様にお知らせしなかったのも、
井上先生が居ないことが既成事実化してしまうことが
復帰の弊害になっては困ると考えたからです。


「魚部が井上先生を核として存在でき、
長い間培ってきた地域や全国の様々な人々の共感や支援で成り立っている」
これをお読みの皆さまなら当然のことですよね。
しかし、一般の方や北九州高校の長は仕方ないとしても、
肝心の県教委幹部に理解してもらうのは至難の業でした
(結局、結果からすると分からなかったのかもしれません)。


皆様の中でも、「井上先生は、新しく魚部作れば良い」や
「3年待って戻れば良いのでは」とお思いになった方もいらっしゃるかも知れません。
かつてはともかく、現在の(福岡県の?)高校教育ではそんな悠長なことが許容されないのです。
タイミング良く、北九州高校で花開いたのが魚部なのです。
とてもここがダメなら、別の高校でというほど余裕が無いのが現状なのです。

また、資料①の中にもありますが、何よりも第一に私たちが問題視したのが
県教委自ら認めてきた魚部に対しての無茶な人事であり、
それにより突然戸惑い困惑する子どもたちを作ってしまったことでした。

「子どもたちのために」が教育の最重要のお題目だとすれば、
今回の件は全く逆の事態を招いています。
私たちが改善を求めなければ、本来的な魚部は自然消滅していくため、
26年度からの復帰を求めた次第なのです。


■さて、魚部ヒアリング後の12月19日、
制作した響灘ビオトープの1周年記念図鑑の贈呈に福岡県庁にまいりました。
この時、△氏を仲介して、魚部員や顧問は、人事関係の最終的な責任者である
城戸教育次長とも面会し、言葉を交わし図鑑も贈呈しました
(※この図鑑も井上先生が総合的に手掛けたものです。
 ここでも、それを県教委が受け取ることの意味を持たせたつもりでした。
 婉曲的過ぎて彼らには伝わらなかったみたいですが・・)。

また、12月25日には、井上先生が所属先の校長に呼ばれ、
「北九州高校に復帰しても大丈夫か?」と
詳しい事情を申し上げてなかったのに、初めて聞かれましたそうです。
自分の所属先の長からも、そう言っていただけて涙も止まらず、大変心強く思ったと聞きました。

この頃、11~12月にかけて、県教委幹部はやっと何か対応しようかと思い始めたようです。
しかしながら、聞こえてきたのは「生物教諭を誰かあてがう」という、
きちんと話を聞いているのかと全く理解に苦しむものでした。

とは言え、12月の一連の働きかけから、私たちの思いを理解してくれて、
井上先生の復帰による魚部存続を考えてくれるに違いないと、皆で信じようとしました。

ところが、1月31日に県教委幹部と△氏との間で、区切りの協議が持たれました。
その結果を○○・井上先生は2月1日に△氏からお聞きしたのですが、ぼう然としました。

12月にヒアリングや面会など直接的な関係が生まれ、
1月中も○○は協議を続けてきてくれたにも関わらず、
県教委幹部が出してきた判断は「魚部には生物の教諭をあてる」というものでした
・・11月頃と何ら変わり映えのしない判断でした。

到底承服しがたいものでした。
同時に、どうしても大きな期待をしていただけに、大変な衝撃を受けました。
井上先生は11月末から心療内科に通院し、服薬をしていたのですが、
ここで断ち切られた思いになったようです。「25年3月に続いて、またしても・・なぜ?」と。

しかし、○○も、当の魚部の子どもたちも、まだ諦めていません。
周囲の応援してくれる方々もおられます。
○○・井上先生とも、△氏に再々度の県教委幹部への働きかけを、
たびたびお願いいたしました。
同時に、井上先生もそれを所属先の校長にも手紙にしたためて届けました。
子どもたちも、教育長と城戸教育次長のお二人に向けて、
井上先生が魚部に必要だという思いを直接手紙にしました。

 ⇒ 「資料③」参照 


■そうして、迎えた平成26年3月18日。
異動の内示の日です。
つまり、これが本当に最後の機会だったわけです。

結果は、「井上先生の異動無し」、
それと「北九州高校に生物教諭を新たにあてる」というものでした。
何も、何一つ変わらなかったですし、県教委幹部に届きませんでした。

子どもたちが現実として日々困っていようが、現場が立ち行かなくなろうが、
彼らにとっては痛くも痒くもないことなのかもしれません。

さらに酷いことに、こういう対応しかしない一方で、
「魚部は大事」だとか「魚部は続いてほしい」だとか、今も同じ口で言っているということです。

井上先生は城戸教育次長に、初めて手紙を出しました。

 ⇒ 「資料④」参照 


■○○も井上先生も、散々翻弄され、消滅を余儀なくされるであろう「魚部」を
このまま終わらせたくない、存在意義はあるはずだと考えています。

本来的で本質的な、いわゆる「井上魚部」については、
いずれ別な形で再開させたいという思いを井上先生は心の中で持っているようですし、
それをご自身の奮起の原動力にしたいと考えてもいるようです。
その時には、また魚部仲間であり支援をくださる皆様のお力添えや応援を
お願いしたいと思っています。

ですが、その前にまず、こうして「部活動としての魚部」が
評価して来たはずの福岡県教育委員会によって実質的に潰されることになってしまった現実を、
皆様にご報告したいと考えた次第です。



                             平成26年4月



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