2009.1.22
最果ての小河川、もう一つにもヤマトシマの
生息情報を得て、次に向かったわれわれ。
しかし、予想していた以上の悲惨な有様の方に
気持ちを奪われた。
数年前、準主役的な男の子が実は名を忘れた川の神様
だったというアニメ映画があった。
その彼は、開発や改修でもはや「川」ではなくなり、
人々からも存在すら忘れ去られた小さな川だったように記憶する。
他にも、人間によってひどく汚されてしまった川の神様が、
お風呂にやって来て再生する・・ようなシーンもあった(かな?)
この日の2河川目、その映画を思い出して、
やりきれない悲しさを感じながらのギョブリとなった。
しかも、久々(この10数年でほとんど無かった経験)に、
川に入っていて「オエっ!・・」とえずく始末。
それほどの良い貴重な経験で、いろいろ考えさせられた。
まずは、チェーン展開する店舗があれこれある場所の裏から見た。
川向うは住宅地。
両サイドともきれいな護岸。
誰も川を顧みていない場所にありがちな「独特の荒涼感」漂う。
ただし、川は思ったほど汚れていないかな。
さらに下っていく。
どうやら、この辺は近年になって市街地化が急ピッチで
進んでいる雰囲気。
昔の田園の名残と、開発したてホヤホヤの空気が混在。
やがて流れは汽水と分けられる堰にたどり着く。
左手からはさらに小さく、さらに人造パキパキの支流が合流。
真新しい大きな道路を渡って、この支流を少しさかのぼる。
いやはや・・・。
至る所から、排水なのか何なのかが、ちょぼちょぼ、ザーザー、
流れ込んでいる。
画面奥では、ナイアガラの滝のような流れ落ちるところも。
白と黒のセキレイが川面を飛んでいる。
一同、しばし互いに口を利かないまま沈黙。
意を決して、水に入ることにした。
こういう川に、あるいは場所にありがちだが、
目を背けたくなるような様々な人間の廃棄物が、目一杯散乱。
降りてみたところ。
変なブクブクとか、濁りとかは・・無い。
でも、でも。
そこはかとなく漂う、1970年生まれにはどこか懐かしい下水の匂い。
(幼い頃って、珍しくなかったような・・)
さらに網を入れると、ヘドロとともに正体不明の油膜が浮き出る。
それとともに、そこはかとなくでは無くなってしまった、
掻き出された強烈なヘドロの匂い。
うっ・・。
見れば、ここもあちこちから、
ダイレクトに油膜や悪臭のもとになりそうなものの流入が。
そんな中、生き物たちは生きている。
ちょっとした砂地には、カマツカが。
一生を淡水で暮らす身には、まさか海を伝って
水のきれいな川に引っ越すわけにもいかないだろうし。
ゴクラクハゼやテナガエビ、モクズガニといった
海から上がってくる連中も。
彼らにとっては、ここが先祖代々の故郷なんだろうか。
なんか、かなしくなった。
ギョブってて、悲しくなることは偶にはあるけれど、
何だか悲しくなった。
すぐ下の汽水域では、何と親水護岸的なものを作ってる。
周辺の開発に合わせてかどうかは分からないけど、
いわゆる「河川公園風」に整備しているみたい。
よくやってしまいがちだけど、
川を上から目線でしかみていない、人間目線でしかみていない、
そんな雰囲気。
周辺に新しいきれいな建物、道路、散歩できる河川公園風なもの・・
きれいで便利でお洒落で、いろいろ人間に都合よくっても、
足もとの川は、水は、暮らしてる生き物たちの現状には、
気づかないまま、気づけないまま、なんだろうか。
「鯉を放流しています、みんなで可愛がりましょう!」
「泳ぐな、危険!」
この“汽水域”の親水河川公園風の場所にはそんな看板までもあった。
魚部のホームリバー「紫川」、
北九州市の河川関係の方々と発表会などでご一緒すると、
“下水道化100%”と仰るのを何度かお聞きした。
時間とお金をかけた地道な努力が、
幼いころの川や溝のイメージをいつの間にか忘れさせていたんだ、
と改めて思った2009年初ギョブリの貴重な体験だった。