NPO法人北九州・魚部 「魚ぶろぐ」

日本各地で生き物や自然とかかわってるあなた、つながりの一つに「魚部」という場を加えませんか?

355号「雑誌ぎょぶる、新聞全国版で紹介される」

2019-09-07 13:37:51 | ギョブイズム

2019年8月7日の朝日新聞夕刊。

月一連載「宮田珠己の気になる雑誌を読んでみた」にて。






雑誌ぎょぶるだけなく、魚部の本質の一面を
限られた文字数(原稿用紙3枚)の中で
すごく的確に抽出して言葉にしているとおもった。
基地部員に事前取材を受けたのかと聞かれたほど。

まったくそれは無く、ご自分で雑誌を入手されて
手に取って感じたものをお書きになったのだと思う。
いつもは理系のプロにおどろいてるが
文系のプロもすごいもんだ。

魚部(ぎょぶる)に興味を持ったり、魚部員になったり
なんか魚部おもしろそうだな、
みんなが漠然と思ってることをよく言い表してる。
というか、雑誌からそれを読み取るのがスゴイ。

「楽しげ」で「自然保護活動」なんて世間でいう
「杓子定規な説明では伝わらない自由さ」を持って
「ひとくせもふたくせもある人たち」が
いろいろな「枠」を超えようと
「そこらじゅうを巻き込んで」「自然体」に
「面白が」りつつ「好き放題」やってる、
魚部と言うものの本質の一つは
タマキングの言葉を借りればそういうことだろう。

何人かの基地魚部員とかなりリキ入れてがんばって
応募してたイ〇ンの生物多様性のコンテスト、
「落選通知」が来ててガッカリの日でもあった。
 ああ、審査委員に「わかりやすい」活動が
 いいのかなぁ・・・

※率直に言っていちばん&最大の動機的には
 高額な副賞金が欲しかったのだが、
 落選すると駄目だと言われてるように
 感じて哀しいもんだ、よね。
 水環境館指定管理、某水大賞などなど
 落選してばっかだと余計にね、、苦笑

ちゃんと伝え切れてないこちらの問題が大前提として
加えて「世間の理解の先」にあったりもするんかなーとも
ガッカリしながら考えてた。
なにも「わかりやすい」「既存の何かに当てはまる」
手法やアプローチやあり方でなくとも、
むしろそれは大勢の人がやってるもんだから
新たなものを探す人たちがいてもいいんじゃね?とも
おもったりする。

そんななか、「格段に面白い」と言ってくれる
タマキングさんの言葉を読んで元気が出た。
「かっこつけてないし、ときどきバカだし、
それでいてちゃんと問題提起もある」
ま、まだ若い活動だから。
これを励みに切り替えていきましょう。

ぎょぶたんぼプロジェクトも
カゼトゲタナゴプロジェクトも
魚部カフェ(案)プロジェクトも。
その他たくさんも
いっぱいありますから!
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北九ギョブ275号【卒研2006年度~はじめての沖縄】

2015-02-27 22:08:34 | ギョブイズム
振り返りの最後は、G.I.も初めてだった沖縄卒研。



これは当初、実施予定では無かったが

K藤君を中心とした7代目4名たちが

自分たちで計画し、飛行機やホテルを手配して実現。

G.I.は言われるままに行っただけ。



その意味ではこれまでの卒研と全くちがう。

自主性という視点でみると卒研の到達点だった。

(実際に8代目以降、無くなったし)



仕事の都合で、G.I.は遅れて那覇入り。

しかも到着が20時過ぎだった気がする。

どこだったかで7代目たちが出迎えてくれた。

(そんな成長ぶりも嬉しかったし、少しさみしかったかな)



晩メシは、後から考えると観光客の定番、

国際通りの「ゆうなんぎい」で。

でも、ここ良かった。






翌朝、ホテルを出て

みんなで国際通りをレンタカー屋まで歩く。

網やら、ギョブスーツを持って。

フシギな集団。






目的地に到着。


初めての沖縄のくせに、

いきなりヤンバルの池に行くとは

ハードル高いね。






当時のギョブ相談役で、現理事のNJ氏に教えてもらった池。

いきなりオキナワオオミズスマシが目に飛び込んでくる。

巨大さにみんな興奮!


※いろいろあったが元記事参照。






タイワンキンギョがいたり、





タウナギがいたり。

水生昆虫以外もおもしろかった。






最後に近くの川へ。

ここで最後の集合写真。


このあとお仕事のため、G.I.だけ離脱し帰る。

連中は、あちこち回ったそうだ。




このときK藤君がつくって来たCD2枚、

1枚はお別れソング特集、

もう1枚は沖縄ソング特集。

どちらも良かった。


SEAMOの「マタアイマショウ」をこれで知って好きになったし

かりゆし58の「アンマー」は今でも聞くたびに泣きそうになるし。




というわけで、振り返り終了。




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北九ギョブ273号【高知新聞2004年3月14日付朝刊。】

2015-02-26 00:53:26 | ギョブイズム
前号の2003年度の4代目卒業「四万十」研修。

それが、高知新聞で紹介されたと言いましたが

記事見つかったので、紹介しておきます。



2007年夏に1,000部限定で発行した

10周年記念誌『魚BOOK』にはそれまでの掲載記事を

ぜんぶ載せていますが、もはや入手不可能。



この魚ぶろぐは、2005年1月から(ホントは3月から)

開始のため、それ以前の7年間の活動は

今となってはだれも知らない、データも持ってない。



なので、全部を把握しているG.Iの役割かなと考え、

引っ張り出してきた、というわけ。







今後もときおり、こうした昔の出来事、

紹介していきます。


今に続く、ギョブイズムを再確認するためにも。



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北九ギョブ272号【四万十を体感した2003。】

2015-02-25 00:29:59 | ギョブイズム
つづきを書こうかな。



2003年度の4代目卒業研修。

2004年の3月下旬。

行く先は、四万十川。

なんとTNC(テレビ西日本)の取材クルーも同行。

(今から思うと、何かスゴイ。)



だもんで、帰って来た後に

TNCスーパータイムという夕方のニュースで


 「魚部が卒業旅行に選んだのは、四万十川でした」


なんて、特集が流れたのには、イイんかいな!?って思ったもの。







定番の道後温泉。

フェリーが5時に着くので、6時の一番湯。

6代目K野君の時も踏襲。






かなり山の中の、松野町っていうところ。

http://www.morinokuni.or.jp/publics/index/27







四万十トンボ王国で。

説明してくださってるのは、かの有名な杉村光俊さん。

この日も、とても情熱的なお話をいただいた。






翌日は、時間を取ってくださり、採集体験。

本流で、大きな網を引いての採集。

アカメ幼魚狙い、だったっけ?

ムカシすぎて忘れたけど。

クボハゼがたくさんいた記憶。






支流でルリヨシ探し。

G.I.とカメラマンのEさん。






帰り道は、沈下橋へ。






どうしても、泳いで四万十川を感じたい、んだと。

3月にパンツいっちょで泳ぐ、某君。


もちろん、これもTNCスーパータイムで

福岡県内に流れていましたけど(笑)




あ、今、思い出した!

高知県の新聞にも出ましたね。

魚部が来た、みたいな記事。

なんで???

記事探して見よ。

あったら、次号で紹介します。




  今から11年前のお話、で御座いましたよ。




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北九ギョブ271号【時節柄のせい? 後ろ向きな話題ば少し。】

2015-02-24 00:50:59 | ギョブイズム
ひさびさのG.I.です。


まもなく高校を卒業する知り合いと話したせいか

感傷的な気分になったのかな。

それとも時節柄、お別れの季節、旅立ちの季節だからかな。



むかしの魚部時代の、卒業旅行を思い出しているこのごろ。

旧魚部にやってきたことは

やはり今の自分や、新魚部を始める大事な基礎かと思うのもこのごろ。



当時、3代目魚部員から7代目魚部員までの時代、

卒業するときに最後のお別れギョブリを主目的に、

他所の展示見てのお勉強、

あるいは次の企画展準備(展示個体の確保)なども兼ねて

「卒業研修」をしていた。




■いちばん濃かった?雪の中国山地越え、だし。


2004年度の5代目卒業研修(に2こ下の7代目がくっ付いてきた)。


イメージはズバリこれ。




Jの作って来たCDに入ってた、

GLAYの「WINTER AGAIN」がハマってた。

https://www.youtube.com/watch?v=IzqLX_KVK0Q
YOUTUBEより





小倉駅に夜集合、10人乗りワゴンにギュウギュウで。

7代目はまだ1年生、初々しい・・なんでか学生服やし。





3年生女子部員が、デキル子たちだったので

こんな風に研修の栞も作って。


広島まで何とか行って、その晩はお好み食って泊。

翌日、寒波の中、中国山地越え。

目的の宍道湖自然館ゴビウスで、スタッフに説明いただきながら研修。





3代目魚部員と北九州市のA氏、水館スタッフBさんと

2002年にやはり展示のお勉強でゴビウス行ったのだが、

その時と同じように、出雲大社にも参拝。

今のようなブームはなくて、かなり人は少なかったな。


それにしても、コイツら、メチャ仲良さそうやん・・・



帰りも、網が瞬時に凍るような極寒の中、巨大カジカを見たり

冷えた体を温泉入って暖めたりしながら、191号線を南下。

下関くらいから車内がしんみりしてきて、

小倉で各自の家で独りずつ下ろして行く頃には

泣きそうな空気が満ちていたような記憶があるなぁ・・


 詳しい元記事は、こちら。

 http://blog.goo.ne.jp/gyobu2005/d/20050316





 ※長くなったので、つづきは次回、かな?



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北九ギョブ237号【新しいギョブ、命名由来(※FaceBook転載)】

2015-01-04 10:13:51 | ギョブイズム
魚ぶろぐ読者にも読んでもらいたいので

先ほどFaceBookに載せた「北九州・魚部」という名称の

名付けに至った経緯、込めた思いを転載します。

(むしろ、魚ぶろぐ読者の方が、理解していただけるかな)




新しいギョブ、誰もが参加し魚部員になれる魚部。

最初のうちは、旧魚部との混同は多少あるでしょう。


※前も書いたけど、昨夜も旧魚部で数件検索してる。

 何ぁ~も知らんお目出度い、おマヌケなテレビ局とかかのう・・!?(甚だ苦笑)

 まだ旧魚部は「過去の遺産」で取材がちらほらあるそうだし。
 

 旧魚部時代、我々が全力投球しすぎたために(?)

 今もネット検索であれこれ出ちゃうもんだから、しょうがない。

 この魚ぶろぐも、2005年2月以来、もう10年。

 大半は旧魚部時代の記事だしねぇ。

 でも、それは新魚部を育てていくメンバーたちの大切な財産であり

 福岡県を中心とした身近な自然や生き物の記録でもあるので

 消したり、止めたりはしないんだよね。




ま、しかし、新魚部は楽しく、地道にやっていくので。

一緒にしたい仲間、参加したい人は地味に増えていくでしょうよ。

息長く、を目指して、、ね。



------------------------------------------------------------------


「名称『北九州・魚部』~事務局長のこだわり。」


誰でも魚部員になれる新しいギョブは

ご存じのように「北九州・魚部」という団体名。

これには「事務局長のこだわり」があります。

どこにかって?

中黒(・)にあるのです。あるんです!



「北九州魚部」だと旧魚部と紛らわしい。

新しいギョブになったと分かってもらえないのではないか。

自分らのさまざまな活動が、旧魚部のものだと

世間様に誤解されるのはどうにも癪でならない。



そういうご意見を取り入れて、中黒(・)有りの

「北九州・魚部」になった、というわけです。

果たして第3者がどう見るかは、分かりません。

どっちにしろ、最初のうちは旧魚部と間違うしょ。

そこまで詳しく考えないと思う。

でも、そのうち、何かをきっかけに

「あ。北九州・魚部って、あの魚部と同じやけど

 全然違うんやね・・へえ!」

となっていくに違いないと思うのです、確実に。




でも、名付けは大事。

最近、旦過・大學堂の北九大TAKEKAWA先生や

学生らともそんな話をした。




名称は他者が呼ぶものでもあり、

それが定着することも多いものかも知れない。

反面、自分がこう呼ばれたいという思いを込め

名乗ることができるものでもある。

主張し、発信していくことで

名乗る側の呼称は、思いは、浸透させていくことが

できるものではなかろうか。



というわけで、われわれは「北九州・魚部」なのだ。




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北九ギョブ233号【魚ぶろぐ表紙、小変更。】

2015-01-02 19:10:06 | ギョブイズム
魚ぶろぐ、トップページの冒頭の言葉を

変えています。

タイトル上部分と、下部分です。



前号でFaceBookから転載した内容のように

2015年から皆さんがいろいろと動き始めるからです。


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北九ギョブ211号【お地蔵様が、にっこり見てござる。】

2014-12-04 18:46:36 | ギョブイズム
急激に寒いこのごろ、ウチの生き物たちも凍えてる。

特に、ホシマルミズムシちゃんたち、、、



寒さつながりで思い出した、以前の思ひで、のこと。


辛くて居ても立っても居られず、飛び出した。

それで最も辛いとされる場所を歩くことにした。

辛い思いをしながら歩いて歩いて、何も考えず、

あるいは考えて考えて考えて、苦しみぬこうと思った。


ある山を登って降りて、登って降りて、登ってゴール

という15㎞ほどのルート。




暖かな日が続いていたのに、急に寒波が来た。

この時は気温3℃くらい、だったか。




前夜に降った雪の名残。




歩を進め、山の中に入るに従い、雪深くなる。




氷柱も全開バリバリ。




途中、まだ半分も行かないところで、ベンチに腰掛けた。

横の石鉢の水は、カチカチに凍っていた。

体は汗だく、手足や耳はコチコチ。

バックパックからアンパンを出して

憤りに半泣きになりながら齧った。


ふと、視線を感じて顔を上げた。



お地蔵様が、にっこり静かに笑っていた。

情けないやら、惨めやら、自己嫌悪やらで

半泣きが本泣きになった。






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北九ギョブ196号【「穏やかな活動になって良かった」だと、、ハア??】

2014-11-02 11:04:49 | ギョブイズム
G.I.記述。


毎日毎日、100~150人くらいもの人が(!)

魚ぶろぐ、見てくれてる。

中には、魚部活動が好きな人もおろうから

こんな記事も。


自然や生き物って

研究だろうがなんだろうが

まず人との関わりにおいて存在する関係だと思う。

なので、魚部にしたって、当然

生き物だけでは存在しえない。

その前提に、人がいるわけで、こんな話題も大切。

(とまず、エラそうに言い訳ね(笑))





■先だって憂鬱な検索ワードと言いながら、

あえて今回の話題は「北九州高校の魚部」に関係したこと。




1.タイトルは某氏(仮に単純にAとでもしておこうか)の言葉だ。


 身近な自然の中で野外調査をして、知り・感じたことを

 企画展示や自然体験会、ゲストティチャー、出前水族館等々

 さらには図鑑という形にまとめるなどして

 市民啓発や保全保護につなげていこうとしてきたのが

 G.Iと子どもたちがやってきた、「魚部」という活動。



 それが、2014年度から大半が不可能になってしまって

 いわば「本質を失った状態」、

 あるいは「『世間の知る魚部』とは異なる状態」に陥って6か月。

 それをAが評すると、まるで真逆の、プラス評価の言葉となるらしい。

 (ちなみに、Aはこの状況を作った本人だが)



 魚部のことを「理解する」人びとにとっては

 まさにタイトルにある、ハア??であろう。

 「そんなん魚部じゃなかろうが!!!」って。



 でも、そうなのだ。

 「部屋の中でゴソゴソひっそりやっとけ!」

 「文化部なんだから出しゃばるな!」

 と言わんばかりのAの心中が透けて見えるようなのが

 「穏やかな活動になって良かった」

 という言葉なのである。





2.一方で・・・厳しい現実、悲痛な声

 このような状況に追い込んだ本人は、前述のごとく

 非常に驚くことに、「悪いことをしたとは毛頭思わず」

 それどころか逆に「良い事をしてやった」とご満悦なのだろう。


 しかし、当事者や周囲から聞こえてくる声は悲惨そのもの。

 痛切、極まりない。


 以前とは全く異なる活動の有様に「魚部、酷いな!」という外部の評価、

 思うような(=つまり本来の魚部らしい)活動ができず

 全く無視・疎外されていると日々感じて、

 また辞めていく者たちも続出の状況に

 見捨てられたという遣り切れなさや焦燥を感じている、

 子どもや保護者たち。



 1.と2.との、途方もないギャップ。

 断片的に聞かされる身ですら、身を切られる思い。

 辛い、なんて生易しい。

 そら恐ろしい感じさえする。


 過去50名超の子どもたちが楽しみながらやってきて

 数えきれないほど多くの市民の人たちに励まされ

 15年間も続いてきたものを

 たった1人の思い付きのような独断で

 絶滅させてしまっていいのだろうかと。
 

 こんなことが現実にあってて良いんだろうかと。

 許されるのだろうかと。






3.知らぬ顔を決め込む、管理監督部門

 分かってないはずはない。

 たとえ恙なくやってマスと「上っ面の報告」があってたとしても

 そんな訳が無いのは、分からないはずはない。


 知らぬ顔。

 だんまり。

 見てみぬふり。


 これがリードしていく部門の姿勢なんだから

 信じられない、あり得ない。

 これでは、

 「一人ひとりの子どもたちを大切にする」

 なんて、口が裂けても言えないだろうよ。



 当初は何の手も打たず

 皆が声を上げた1年後に、「お茶濁し」を慌てて講じる。

 後手後手に回った上に

 そんな対応してたらこうなるよ、ということは

 2013年度ずっと皆で訴え続け

 G.I.も、部門トップに3月末に手紙で必死に伝えたのだが・・

 最後までぜんぜん聞く耳持たず。
 

 秤にかけるようなことじゃないが

 あえてそうしても、どちらが大切かなんて一目瞭然なのに

 逆に子どもたちを切り捨てる方を選択する、

 通常の感覚では理解に苦しむ、思考のあり方。


 子どものために仕事をしているはずなのに

 いつしか組織的な体面を守ることが優先してしまっている

 ことに気づかない、フシギさ。



 要らぬ波風が、怖いのだろうか。

 そこまで自分が大事なのだろうか。

 正しいことを、たとえ理想主義と言われても

 行動に示すことが

 私たちにこそ求められているのではないだろうか。

 それが教育に携わるってことじゃないのか。


 正しいことをして

 あるいは誤りをきちんと正そうとして

 起こる波風なんて、そんなの波風とは言わない

 って思うのだけれど。




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