くぬぎのたろぐ

くぬぎ太郎の日常的視点

電車内における時間の跳躍

2007-10-26 14:53:41 | Weblog
現在東京の恵比寿で絵の展示をしている。
現在の住まいは愛知県だが横浜に実家があるので
展示期間中は実家で生活をしている。
展示をしているカフェへは電車で通っているのだが
横浜といっても鎌倉市に隣接している地域で、
最寄の駅までバスで20分、
最寄の駅から恵比寿まで1時間かかり、
山に囲まれて自然が豊かなのはいいけど、
交通の便がいまいちよくない。

学生時代も実家から八王子にある大学に通い、
片道で2時間、往復で4時間かかっていた。
さらにサークルの活動がある日は
練習場所から実家まで3時間かかっていたので
起きている時間の四分の一近くを電車で過ごしていたことになる。
もちろん必ず席に座れるという保障はなく、
3時間立ちっぱなしということもよくあったりして、
特に運動になってるわけでもないのに、脚がとても疲れた。
我ながらよく毎日通っていたものだと思う。

愛知県ではそこまで長時間電車に乗ることはほとんどなく、
長くてもせいぜい40分程度のものであるから、
東京・横浜にきて久しぶりに長時間電車に乗っているとすぐに退屈してしまう。
学生時代の私は電車の中でいったい何をして過ごしていたのだろう。
恵比寿のカフェへ行く経路には
途中学生時代に毎日利用していた路線も含まれているので、
駅名のアナウンスをなつかしく聞きながら思い出してみる。

揺れる車内で字を見ていると疲れるので、
本はたまにしか読まなかった。
音楽はMDプレイヤーでよく聴いていた。
週刊誌の吊広告を見るのが好きだった。
大学の課題のことなど考え事をしていた。
朝は早く夜は遅いので眠ることはよくあった。
上記のどれか、あるいは合わせ技で
時間が過ぎていた日が多かった気はする。
ただ、それらのいずれでもない時間の過ごし方も存在していたことを、
実際に電車に揺られていると思い出してくる。
それが電車内における時間の跳躍である。

電車に乗ったらとにかく何も考えない。
何も考えないでただ立っっていたり、座っていたりすると
いつの間にか目的地に到着している。
その間に起きたことはよく覚えてはおらず、
時間がすっぽりと抜けている感じ。
それが時間の跳躍である。

楽しい時間は短く、つまらない時間は長く感じられるように
人にとって時間の流れ方は一定ではない。
一般的に楽しい時間ほど早く感じられると思うが、
それはつまらないことをグチグチと考えていないからだろう。
でもそれ以上に何も考えないのが
実は一番時間の流れは早いのだ。

大学へ入学したばかりの頃は
長い通学時間に辟易としていたが、
大学2年生くらいから時間の跳躍を習得した。
もともとボーっとしている性格なので
その延長線上にある奥義だったのであろう。
傍から見ていると本当にボーっとしているようにしか見えないし、
何もしないという時間の使い方もいかがなものかとも思ったりもするが、
昔の感覚を思い出して、
今日も私は時間を飛び越え恵比寿に通う。