森信雄の写真あれこれ

日々の生活や散歩、旅の写真を掲載しながら、あれこれ思いを語ります。

河辺村 ふれあい橋

2005-08-16 21:40:42 | 旅の写真 国内篇
愛媛県河辺村に八つの屋根付き橋がある。数年前に、大洲での仕事を終えてさっそく河辺村を訪れた。免許取立てでレンタカーを借りて、しかも夜の山道を走らせたが少々無謀だったかもしれない。苦心の末に宿にたどり着いたときは、夜の闇の中だった。
 翌朝、待ち焦がれていた屋根付き橋を順番に訪ねる。この「ふれあい橋」は年代物ではなかったが、雨の多い山間の風景に似合っていた。雨が多いから橋に屋根を付ける、自然の発想だが、国内のしかも愛媛県に存在するのは感動ものだった。
 このあたりは坂本竜馬脱藩の道につながっていて、昔と変わらぬ風景がみられ、貴重な歴史の跡が残っている。
 屋根付き橋は雨露をしのぎ、米や穀物の倉庫代わりとして使われたそうだ。中国の屋根付き橋は、今でも老人の憩いの場として存在しているものもある。人の暮らしと密接なほど人の匂いが沁みついて、目に見えない歴史の息吹を感じさせる。
 
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スキャナーを使う

2005-08-16 01:31:58 | 旅の写真 国内篇
私の写真歴は20年くらいで、初めはとにかく歩いて撮りまくった。モノクロが好きで、風呂場を暗室にして写真を現像して、気が付いたら朝になっていたこともある。カラーフィルムに変えてこれは勝手に写るから楽だと思ったが、その分横着になった。デジカメになるともっと横着で、居ながらにしてプリントさえできる。
 先日スキャナーを買って、昔のフィルムの整理を始めた。この写真は初めてスキャナーを使ってパソコンに取り入れた、京都「高山寺」での風景写真だ。
 また遊びが増えて(?)仕事をしなくなる恐れがあるので、ぼちぼち整理していこうと思う。写真は撮るのも面白いが、選ぶ作業はもっと面白い。ただし将棋と同じで、ひとりで悦にいることもあるが、たいていは自分の至らなさにがっかりすることを確認する作業でもある。
 
 
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一億年

2005-08-14 21:24:09 | 日々の写真
春か秋に撮った写真のようだが、れっきとした夏の木漏れ日だ。森林浴にちょうどいいような光景で、原始に戻ったような錯覚をしそうだ。
 「留守と言え 一億年たったら戻って来る」確かダダイスト高橋新吉の詩だったと思うが、強烈なメッセージで、その詩にあわせたような情景である。
 今は刹那的な発想のことが多いので、この一億年という言葉を聞いただけで胸のつかえが少し取れた気になる。
 でも朝起きると現実の仕事やしがらみが消えたわけでなく、今日の日々を何となくさりげなく、あくせくと過ごすよりないのだ。
 
 
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農村の犬

2005-08-13 22:36:58 | 動物と花
突如犬に吼えられた。さぞかし大きな犬と思いきや、見るとミニチュアダックスである。これは勝てると近づいていくと、警戒して「君は何者だ」と言っているのか退屈しているのか、曖昧な吼え方だ。
 都会に住んでいそうな犬が田舎で飼われているのが、妙にアンバランスな写真である。中国の田舎と似ている光景だった。
 小さな犬は動きが早くて、ピントが定まらない。「おどかしてごめんな}と謝りながら、シャッターを切る。
 犬が言葉を理解したとして、日本語も英語も中国語も関係なくワンワンと吼えているのが不思議な気がする。やはり言葉は人間の道具なのだろうが、私が中国に行って言葉を話せないのに通じることもあるのは、ワンワンといっているのと同じなのだろうか。初めに言葉ありきでなく、初めにワンワンありきだ。
 
 
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立杭の里に行く

2005-08-12 19:52:20 | 日々の写真
 朝からどんよりした空でムシムシする天気だった。三田方面から丹波立杭焼、陶の里に行く。そこで早めの昼食を取り今田町市原方面に向かう。あてがあるわけでなく陶芸の里を気まぐれのドライブだ。ふと目にした茅葺の家あたりで車を止める。ところどころに茅葺の屋根のある家や白壁の土蔵(写真)が点在していて、自然に囲まれたのどかな田園風景が見られる。
 突然犬に吼えられた。「うるさい!」男の人の荒い言葉が飛んだが「うるさいやろう・・」すぐにやさしい声でなだめる。幸せな犬だなあ。
 のんびり散策していると東条川に出た。白鷺と青鷺が人の気配に驚いたのか、川から羽ばたいていく。あわててカメラを向けるが、間に合わない。人慣れしていないのだろう、遠くの田んぼのあぜに降り立った。
 夏の花のオンパレードのような小さな畑があり、赤、黄、ピンク、色鮮やかにいろんな花がある。
 茅葺の屋根のそばには、田んぼの中に小さな農道がいっぱいあって、背景には青々とした森と山が、懐かしい人の暮らしと自然の構図を描いている。
 高校のころ友人がこの詩いいだろうと見せてくれた。「海を愛し、山を愛し、人をこよなく愛しつつ、私は静かに山里に生きたい」
 エネルギーのない随分気取った詩だなあと思ったが、いまだに覚えているので、自分もどこかにこの詩へのあこがれがあるのだろうなあ。
 
 
 
 
 
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関西将棋会館

2005-08-11 20:46:42 | 将棋あれこれ
関西将棋会館が福島に出来る前は、大阪の阿倍野に関西本部があった。鰻の寝床のような古びた細長い建物で、もともと旅館だったらしい。私は奨励会のころ、そこで住み込みの塾生をやっていた。対局や食事の準備、宿泊する棋士の世話などいわば雑用係だ。将棋を指すわけでないが将棋漬けの毎日で、この時期があって自分は棋士になれたと思う。
 関西将棋会館に移ってから、棋士のイメージもがらっと変わった。将棋指しから棋士になったようなものだ。関西将棋会館が出来たときはあたりの環境もわりとひっそりしていたように思うが、最近はいろんなビルやマンション、店ができて人の波も増え大きく変わった。20数年経つのだから当たり前だが、今は特に変遷が早い気がする。ひとりひとりの人間がかすんでしまい、勝者組と敗者組にはっきり分かれる世の中になっっているのだろうか。どんなことでも勝ち負けだけの世界なら、これほどつまらないものは無い・・・人がそれぞれ夢を持ち、限界に挑戦することが素晴らしいと思うのだが。今は結果のみ重視で、損得や打算が多すぎるのではなかろうか。
 
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道のある風景

2005-08-11 00:19:52 | 日々の写真
 遮るものの無い細い農道が、真っ直ぐ伸びている。空には不穏な雲が広がり、今にも雷が鳴り出しそうである。ずっと奥のほうに民家がうっすらと見える。
 さりげない、どこにでもありそうな風景だ。既視感という言葉があるが、いつかどこかで見た風景、自分がかって住んで通った道、昔見たことがあるような錯覚しそうな風景に出会うことがある。
 出会うのでなく、そういう風景を求めて小さな旅をしているのかもしれない。
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禊萩(ミソハギ)

2005-08-09 23:19:00 | 動物と花
旧暦のお盆のときに、禊萩(ミソハギ)の花の枝を水に浸して仏前のお供えに禊ぎをしたところから、別名「盆花」とも言われる。
 どこかで見たような花だったが、なかなか名前がわからなかった。そろそろ黄色に色づき始めた水田のあぜに群がって生えているのを撮った。
 夏の花は生命力が格別なのだろうか、つつましくも鮮やかにピンク色の飾り付けをしているようだ。
 
 今日は奨励会の日で、夕方、弟子からの結果報告の電話が続いて鳴った。大体が成績のいい順番にかかってくる。糸谷三段が2連勝、大石初段が二段に昇段した。
 でも景気のいい電話ばかりではない・・・。勝負に一喜一憂していては身が持たないが、師匠は弟子の成績で結構気分を左右されるのである。
 
 
 
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ロゴス神学校

2005-08-08 20:00:07 | 日々の写真
午後から京都府船井郡瑞穂町方面にドライブする。173号線で道の駅「さらびき」で休憩してから田舎の風景を見ながら更に進む。水呑あたりで「ロゴス神学校」という小さい立て札を見て、行って見ることにする。しばらく進むと山間の空間に、目を奪われる白い教会が現れた。突如ヨーロッパに来たような錯覚をしそうなくらい、威厳と清楚な雰囲気が伝わる建築物だった。
 掃除をしている学生がいたので「写真を撮らせて下さい」とお願いする。すぐOKが出た。
 このロゴス神学校は10年前に、京都から移築されたものだそうだ。「いい建物でも街中にあるとね。でもあまり山奥でも困るのですよ」牧師さんらしき人が教えてくれた。それが神学校のスタンスなのだろう。「バラ園はアンネのバラです。まだ手入れが行き届いていませんけど」小さなバラ園のバラの写真を撮る。暑さと眠気が吹っ飛んで、教会の空気を吸わせてもらった。
 今日は夏の青空に、これでもかこれでもかと白い雲が沸き立っている。弟子の村山聖九段の命日に、いい出会いがあってよかった。
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世界の「木造屋根付き橋」写真展

2005-08-07 21:27:29 | 日々の写真
 JR神戸駅南地下街デュオギャラリーに「世界の屋根付き橋写真展」ヨーロッパ篇を見に行く。主催の出田肇さんには屋根付き橋のことでいろいろ教えて頂いた経緯があり、初対面という感じがしなかった。思っていた以上に気さくで、いかにも世界の自由人だった。屋根付き橋を追いかけて、世界を回り、建築学、環境学において貴重な書物を出版されている。将棋漫画「聖」の愛読者ということで、親しみも増して、以前からお会いするのが楽しみだった。
 屋根付き橋には世界の人びとの暮らしの中で、ひとつのロマンがある。私は中国の屋根付き橋を見たくて、数回旅をして、これからも世界の屋根付き橋を巡るのが大きな夢だ。そのきっかけになったのが、図書館で見つけた出田さんの書物だったのだ。いろんなお話を聞かせていただいた上に、お茶と食事までごちそうになった。「カナダにある世界最長の屋根付き橋に行って見て下さい」出田さんに奨められた。写真展の一枚一枚の写真が、出田さんの執念と情熱の結晶のようだ。ひとつひとつの橋が、わが子のように愛しく感じられるのだと思う。
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黒豚君

2005-08-06 22:38:48 | 動物と花
 電車に乗っているとき雷が鳴って、雨が降り出した。傘を持っていないし困ったなあと思っていたら、雨が止んでくれた。おまけに涼しくなって、これ幸いだ。
 いつも通っているバイク屋さんの店先にこの黒豚君がいる。写真を撮りたかったのだが、そばに黒い大きな犬がいるので撮れなかった。稽古の帰り道、思い切って黒豚君を撮らせてもらうことにした。大きな犬が居なかったからだ。
 黒豚君はすぐに擦り寄ってきてかえって写真が撮りにくかったが、喉を撫でると心地良さそうに満足していた。赤い紐に繋がれていたので女の子なのだろう。
 「ありがとうございました」と店の人に言ってさよならする。あわてていたので名前を聞くのを忘れてしまった。
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戦後60年企画「ヒロシマ」を見て

2005-08-05 22:35:11 | 日々の写真
戦後60年特別企画「ヒロシマ」のテレビを見た。”あの時原爆投下は止められたか、いま、明らかになる悲劇の真実”ドラマと証言と歴史的背景を映像で綴った内容だった。最後に原爆開発、投下、撮影したハロルド・アグニュー博士が広島を訪れ、被爆者と対面した。博士は彼なりの論理で、謝罪しようとはしなかった。
 意外だったが、60年経っても溝が埋まらない。日本人とアメリカ人との違いもあるが、戦争の引き起こす現実なのだろう。心情的に、一言なぜ謝罪しないのだろうと思った人も多かっただろう。博士から「真珠湾を忘れるな」この言葉を聞いたときも驚いたが、憎しみは憎しみを生むだけでしかない、そうわかっていても矛盾を抱えて生きているのが人間なのだろう。「私達の気持ちも伝わっていると信じます」二人の被爆者の方の声が印象的だった。
 博士の論理はある面で正しいと思うが、原爆で亡くなった人にはなんらの意味を成さない強者の論理にも思える。
 平和と言う言葉が揺らいでいるのが今の世界の現状で、歴史を見直すことはとっても大事なことのように思う。博士の謝罪なしは、どう捉えるかは別として強烈なメッセージだった。
 何かを衝きつけられたような気もする。

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永沢寺の夏の花

2005-08-04 22:24:22 | 動物と花
三田市の永沢寺(ようたくじ)の境内で咲いていた花だ。永沢寺は春の菖蒲園で知られる花の寺で、訪れる人も多い。この地域を永沢寺(えいたくじ)といい、お寺は同じ漢字なのにヨウタクジというのでややこしい。
 赤とピンクの種類があって、何と言う名前の花なのかわからない。
 女の人がドレスを着たようなあでやかさがあるが、キンギョ草ではなさそうだ。
 境内を歩いていくうちに、びっくり仰天したことがある。さりげなく見た絵馬に「今年も事故なく安全にドライブできますように。2004年1月3日 森 信雄 えみこ」と書かれてあったのだ。記憶が曖昧だが初詣に来たらしい。
 過去の自分と偶然出会ったような心境で、嬉しかった。でも家族の健康や弟子の勝運を祈るのでなく、安全なドライブと書いてあるのが気になるが・・・
<追記>花の名前は鳳仙花でした。
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少年のアートデザイン

2005-08-03 23:07:31 | 日々の写真
 少年が棒にぶら下がって、宙に浮いている。夏の空の幻想でなく、アートデザイン(アイロンクラフト)である。自然の青空を生かしたデザインで、少年の未来と夢を表現しているのだろうか。日本の農村を歩いていても、あまり子どもの姿は見られない。
 写真を撮っていると、用心棒の怖い顔をした黒い犬が、突如吠え出した。驚かされて、足がすくんだ。私は吼える犬とでっかい犬は苦手なのである。
 少年の日の幻想に浸ることなく、初めての道で次のシーンに向かって、車を走らせた。未知なる道は小さな探険なのだ。
 
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阿古谷のバス停

2005-08-03 01:37:50 | 日々の写真
 免許を持っていないときは、もっぱらバスを使って写真を撮りに行った。田舎のバスは一日数便しかないことも多くて、バス停は時間の命綱みたいなものだった。
 目を凝らして帰りの時刻をチェックする。車に乗るようになって、その心配は無くなったが、その分撮影地を探す作業が雑になった気もする。
 兵庫県川辺郡猪名川町の阿古谷で毘沙門堂に寄っての帰り道のバス停だ。一日数便なので車を止めても大丈夫と思って田園風景を撮っていたら、何とバスが来るではないか。確率からするとあり得ないはずなのに、あわてて車を移動させた。
 このバス停のベンチには人がいないのに、人が座っている郷愁を感じさせる。
 
 
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