関西将棋会館が福島に出来る前は、大阪の阿倍野に関西本部があった。鰻の寝床のような古びた細長い建物で、もともと旅館だったらしい。私は奨励会のころ、そこで住み込みの塾生をやっていた。対局や食事の準備、宿泊する棋士の世話などいわば雑用係だ。将棋を指すわけでないが将棋漬けの毎日で、この時期があって自分は棋士になれたと思う。
関西将棋会館に移ってから、棋士のイメージもがらっと変わった。将棋指しから棋士になったようなものだ。関西将棋会館が出来たときはあたりの環境もわりとひっそりしていたように思うが、最近はいろんなビルやマンション、店ができて人の波も増え大きく変わった。20数年経つのだから当たり前だが、今は特に変遷が早い気がする。ひとりひとりの人間がかすんでしまい、勝者組と敗者組にはっきり分かれる世の中になっっているのだろうか。どんなことでも勝ち負けだけの世界なら、これほどつまらないものは無い・・・人がそれぞれ夢を持ち、限界に挑戦することが素晴らしいと思うのだが。今は結果のみ重視で、損得や打算が多すぎるのではなかろうか。
関西将棋会館に移ってから、棋士のイメージもがらっと変わった。将棋指しから棋士になったようなものだ。関西将棋会館が出来たときはあたりの環境もわりとひっそりしていたように思うが、最近はいろんなビルやマンション、店ができて人の波も増え大きく変わった。20数年経つのだから当たり前だが、今は特に変遷が早い気がする。ひとりひとりの人間がかすんでしまい、勝者組と敗者組にはっきり分かれる世の中になっっているのだろうか。どんなことでも勝ち負けだけの世界なら、これほどつまらないものは無い・・・人がそれぞれ夢を持ち、限界に挑戦することが素晴らしいと思うのだが。今は結果のみ重視で、損得や打算が多すぎるのではなかろうか。