観・環・感

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いかにして契りおきけむ白菊を都忘れと名づくるも憂し

2018年05月03日 | 野鳥
1221年(承久3年)後鳥羽上皇を中心とした朝廷方が討幕の兵をあげ,鎌倉幕府軍に鎮圧された承久の乱、敗戦により後鳥羽上皇は
隠岐に配流、順徳上皇は佐渡に配流、仲恭天皇は廃位、土御門上皇は、幕府は責任を不問としていたが自ら土佐へ行った。
この時、佐渡に配流された順徳上皇が詠んだとされるのが「いかにして契りおきけむ白菊を都忘れと名づくるも憂し」。
菊の花は元来皇室のシンボルで、特に後鳥羽上皇はは白菊を好んでいた。配流された佐渡の地で順徳上皇は、父が愛した白菊に似た
花を「都忘れ」と名付けて……嘆息している。
ところで、現在、「都忘れ」と呼ばれている花は、江戸時代以降に作られた園芸品種である。順徳上皇が見たのは別の花だったことになる。
都忘れは、園芸種なので品種は多い。
我が家にも




私の好きなのはこの紫色









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