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Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

フィリピン国鉄新型DMUの乗務員室に乗車

2010年02月11日 01時28分18秒 | フィリピン
先日からの続きで今回もフィリピン国鉄の話題を少々述べていきたいと思います。
先月1月に何度か一新されたフィリピン国鉄に乗車しましたが、15日のTutuban12時ちょうど発のCX109列車において、Rotem車製新型DMUの乗務員室に乗車することができました。
原則として新型DMUに限らず、Tutuban~Binan(ビーニャン)間の12系客車列車においても、一般乗客が乗務員室へ乗車することは禁止されておりますが、DOTC(Depertment of transportaiton and communication)の方の立ち会いのもと乗車することができました。
実はこの前日の14日にフィリピン国鉄の車庫やLRTの車庫へ訪問する方法を知るためにOrtigas駅近くにあるDOTCにアポもなく聞きに行ったのですが、そのうちの1人の担当者が一緒に車庫へ行ってあげるよとおっしゃるので、そのお言葉に甘えて同行することになりました。
ついでにフィリピン国鉄の担当者の方と御会いし、いろいろな話しが聞けるのではないかと期待しておりましたが、この15日はあいにく担当者は不在であり、車庫内の撮影だけとなりました。当初はこのままCaloocanにあるフィリピン国鉄の車両工場を見学することを予定しておりましたが、同行していただいたDOTCの方の申し出により、Pasay市内にあるLRT1号線のBaclaran車庫へ向かうべく、Tutuban12時ちょうど発の列車に乗車し、Baclaranに近いEdsa(Magallanes)で降車することにしました。
日本ではあまり考えられませんが、11時なのにもかかわらずTutuban駅内の待合所には早くも乗客が集まり始めておりました。発車時間の約30分前には新型のDMUが3番線に入線すると出札が行われ、待合所で待っていた乗客達が一斉に列車に乗り込みました。日中を走る列車としてはこのCX109列車とこの列車の折り返し列車であるCX110列車(Bicutan12:50発)しかないのですが、利用客があまりにも多いのにはどうも運賃が安いというのが大きな理由だと思われます。ちなみに運賃はTutubanからEdsaまでは10ペソ、F.T.I.から先は15ペソと安く、12系客車列車についてはDMUよりも約2割ほど安くなっております。

Tutuban駅で列車に乗り込む乗客。


Tutuban駅で発車を待つCX109列車。


CX109列車、Bicutan行きの車内の様子。日中においても先頭車は女性専用車。


乗務員室に一般乗客は乗車できないということはこの時点で知っておりましたが、ダメもとで乗務員に聞いてみるとやはりダメとのことでした。列車は12時ちょうどに出発すると間もなく乗務員の方から乗せてあげるとのことで、乗務員室に入ることができました。DOTCの方が同行しているというのも1つの理由かと思いますが、Tutuban駅付近においてはセキュリティーがしっかりしているため、見つかると乗務員にもペナルティーがどうもあるようです。

線路の両側には不法占拠の住居が撤去され、見通しが良くなりました。(Espana付近)


乗務員室では1人が運転士、もう1人が車掌役を担っており、どうも2人で列車を運行しておりました。(もちろん検札係は別におります) 運転士は右手で警笛のボタンを頻繁に押しながら、十分注意して運転し、危険な箇所についてはスピードを緩めますが、見通しの良い区間につては最高70km/hまで出すと述べておりました。(実際にはこのDMUは約80km/hまで出せるとのこと) もう1人の相棒である車掌はドアの開閉と各駅での停車時刻のチェックを行っておりました。

警笛を鳴らしながら、ハンドルを握る運転士。


車掌は各駅の停車時刻をチェックし、用紙に書き込む。


この列車は朝のラッシュ時と違い、この列車しか運行されていないため、対向列車が1本もなくスムーズに運転ができます。また、以前はスケーターを多く見ましたが、どうも今回は一度も確認できませんでした。

列車はマニラの南北を分断するPasig Riverを渡るところです。


列車はPaco駅を過ぎると左側に大きくカーブし、そしてOsmena(オスメニャ)Ave. とSouth Super Highwayに沿って一直線に進みますが、見通しが良いのかスピードも幾分上げました。

Vito Cruz付近?を通過するところで、Pacoの南側からAlabangまではほぼ一直線です。


運転士や車掌は乗務中につき職務に没頭することが必要でありますが、私も含めて他愛もない話しをしておりました。インドネシアでもそうですが現在の日本ほど厳粛ではなく、フィリピンはおおらかな国だということを実感しました。
あっという間に目的地のEdsa駅に到着し、乗務員にお礼を言って、我々はLRTの車庫があるBaclaranへとタクシーで向かいました。

フィリピン国鉄新型DMUに乗車

2010年01月30日 00時06分59秒 | フィリピン
1月10日深夜に大阪からマニラ空港に到着し、11日の午前11時台の飛行機でミンダナオ島のカガヤン・デ・オロに飛ぶことになっていましたが、この間の僅かの時間を活かしてフィリピン国鉄に昨年投入された韓国Rotem車製のDMUに乗車することにしました。

睡眠時間も僅か4時間でありましたが、6時前に起床するとすぐにシャワーを浴びて出かける準備を行い、タクシーでフィリピン国鉄の駅で最も近いBuendia駅に向かいました。Buendia駅には6:25に到着し、Tutuban方面からライトを付けた列車が豆つぶながらこちらに向かっていることが確認できました。早速、駅にある時刻表で確認するとBuendia駅発Bicutan行きは6:28発となっており、ほぼ定刻どおりに運行されておりました。とりあえずBicutanまで向かってみることとし切符を購入したのですが、その運賃が僅か10ペソ(20円)でありました。
韓国Rotem車製のDMUが到着すると朝6時台という早朝にもかかわらず、かなりの乗り降りがありました。私はこの列車の最後尾の車両に乗り込むと列車は気動車にもかかわらず電車のように軽快なスピードで走行しました。一番列車ということもあり車内はぎゅうぎゅう詰めのような混雑ではありませんが、それでも混雑率100%といったところでしょうか。列車はほぼ定刻どおりPasay Road、Edsaに停車し、いずれの駅でもかなりの乗り降りがありました。Edsaを過ぎると次の駅がF.T.I(Food Terminal Inc.)で、駅間が4kmちょっと他の駅間よりも長く、列車のスピードも70kmぐらいまで上げ、軽快に飛ばしました。この駅間が長いせいでしょうか、途中に新駅が設置されており、2月のダイヤ改正と同時にこの新駅が使用されるとのことです。後日、担当者にお尋ねしたところこの駅名はNicholsとのことで、PacoとVito Cruzの間にも新駅San Andresが同時に使用される予定とのことでした。F.T.I駅に近づくと私にとっては少々懐かしさが込み上げてきました。今から15年ほど前にちょっと友達の家に居候したことがすがあるのですが、その友達の家のあるところがこのF.T.I駅であり、私もよくフィリピン国鉄を利用し、この駅で乗り降りを行っていましたが、今や線路沿いの不法占拠者の家屋が撤去されてしまったことから、当時の面影とはまったく変わってしまいました。F.T.I駅に到着すると降りる人ばかりであり、ホームにはこの列車の折り返し列車でManila方面を目指すと思われる乗客が多く見られました。列車は現在のコミューターサービスの終点駅であるBicutanに少々遅れて6:50に到着しました。ドアが開くとホームで待っていた乗客が降りる客を差置いて我先に乗り込み、車内は一時騒然としました。

列車はBicutan駅でしばしの休憩をするCX102列車、Tutuban行き。


フィリピン国鉄はグランドレベルを走るため、Manila市内には大きな踏切が多くあります。
しかも踏切は自動化されておらず、踏切の番人の目視で踏切役を行うため、かなり危険です。踏切の番人曰く、ドライバーの中には石頭も多く、なかなか言うことを聞いてくれないとぼやいておりました。


再びこの列車に乗車し、終点のTutubanまで乗車してみたいと思うのですが、狭いホーム上は利用客でごったがえし、ホーム上で切符を売っている人の所へなかなか行けません。発車時間も迫っていましたので、仕方なく列車に乗り込むことにしました。
6:55ちょっと過ぎに列車はBicutanを発車し、F.T.Iに到着すると先程ホームで待っていた乗客が乗り込み、車内の混雑は新聞も読めないほどぎゅうぎゅう詰めとなりました。Edsaで降りる人もいましたが、むしろここでも乗る人の方が多く、車内の混雑ぶりは東京のラッシュ時と変わらぬほどになりました。

ラッシュ時の車内の様子。おそらくPandacan付近で撮影したものと思われますが、最混雑時はぎゅうぎゅう詰めでした。

ところで、このフィリピン国鉄のDMUですが、1編成が3両編成ということもあり、今後Manilaの南北の軸を支える交通機関として、キャパ的に相当問題があるのではないかと思いますが、列車の先頭車は必ず女性専用車(身体障がい者や高齢者も利用可)ということもあり、男性陣にとってはかなり苦痛を強いられます。レディーファーストのお国柄ですのでそれは仕方のないことかもしれませんが、女性専用車の方が空いているようなので、1両のうちの半分を女性専用とするような工夫も行ってみてはいかがかと思ったしだいです。

ホームには女性専用などを示す表示が見られます。LRTやMRTも同様に女性専用車があります。


続いてPasay Roadに到着するとビジネス街のMakatiに近いせいか、降車する人が多く見られました。ある程度、混雑率も緩和されるとフィリピン国鉄の検札係も切符の拝見を行い、乗客の切符(切符らしいものではありませんが)をちょっとちぎり、検札を行っていました。私も切符を持っていなかったので、Bicutanから乗車し、Tutubanまで行くことを告げるとスペイン語で15ペソですと言われました。約20kmを乗車するにもかかわらず僅か約30円であり、クーラー付のバスを利用して同じくらいの距離を利用した場合ですと30ペソぐらいはかかりますので、フィリピン国鉄は庶民の味方と言ったところでしょうか。

車内検札を行うフィリピン国鉄職員。


先程、乗車したBuendia駅でもかなりの降車があり、車内は少しずつ空いてきましたが、それでも立っている方は多くいました。Pandacan(Beata)駅で初めて対向列車と擦れ違うのですが、現在のところ全線にわたり単線運転を行っており、列車交換ができるのがEspana(エスパーニャ)駅Alabang側、Pandacan(Beata)駅Alabang側とPasay Road駅構内
の3箇所のみとなっています。しかもPasay Road駅を除いてポイント1箇所を使用しているため、Espana(エスパーニャ)駅とPandacan(Beata)駅では下り列車がスイッチバックを行い列車交換が行われています。Pasay Road駅では2箇所のポイントを使用していますが、そのうちの1箇所のポイントがホーム内に位置するため、結局ここでも上り列車がスイッチバックを行っているようです。(Pasay Road駅での列車交換については駅員の話しによるもので確認はしておりません)

写真はPandacan(Beata)駅Alabang側での列車交換のシーン。


写真はPasay Road駅構内にあるポイント。


対向列車であるCX103を進行方向右側に停車しているのを見ると、ゆっくりとPandacan(Beata)駅に到着しました。私の方の列車はそのままスルーでTutubanへと向かい、Espana(エスパーニャ)においてもCX105列車と擦れ違いました。
以前であればこのあたりも線路沿いは不法占拠の住居が建ち並んでいたところでありますが、現在は全線にわたり線路沿いの不法占拠者の住居は撤去され、しかもフィリピン国鉄の線路を含めて15から20mほど空間が確保されています。この空間は将来的に更に標準軌用の複線の線路が敷設される計画であり、現在のフィリピン国鉄の線路分も含めて実質複々線になるようですが、いつになることやら今のところわかりません。
Blumentrittを過ぎると右手側にCaloocanに向かうデルタ線の線路がありましたが、現在はリハビリ中ということでコンクリート枕木が敷設され、線路の敷設作業が行われているところでした。現在のところCaloocan車両工場とは線路が繋がっていない状況であり、この間の車両の行き来が全くできない状況です。
列車の進行方向を南に変えるとほどなく終点のTutubanに10分ほど遅れて到着しました。ここまで来ると車内もガラガラなわけでありますが、私のようにBicutanから全線乗り通した乗客はほんの僅かではないかと思います。
また、後日は日中走るDMUの運転席に乗車させていただきましたので、この体験談を述べていきたいと思います。

写真はせっかく車両に合わせて高床ホームを整備したにもかかわらず、車両床面と高さが合っていません。フィリピンらしくいいかげんなのですが、このようなことも簡単に許されるのもこのお国柄のせいでしょうか。

フィリピン国鉄(PNR)探訪

2010年01月26日 11時54分48秒 | フィリピン
たいへんご無沙汰しております。1月10日より21日までフィリピンに滞在し、フィリピン国鉄(PNR)やLRT1号線などを視察して参りました。22日に自宅に到着したもののフィリピンでの無理な行動から疲労が蓄積してしまったせいか、自宅に着いたとたんに酷い風邪を拗らせてしまい、ブログの更新ができませんでしたが、ようやく健康状態も良くなったため少しずつフィリピンの話題を述べていきたいと思います。また、メールなどをいただいている方々には順次お返事させていただきたいと思いますので、どうぞご了承いただければと思います。

それでは第一弾として、やはり最も注目されるフィリピン国鉄(PNR)の話題から述べていきたいと思います。私が訪れました時点においてマニラ首都圏内に運行されているフィリピン国鉄の運行本数はTutuban~Bicutan間にRotem車のDMUが8往復、Tutuban~Binan(ビーニャン)間に12系客車が1往復運行されています。全線にわたり単線(上り線使用)運行が実施され、Espana(エスパーニャ)、Beata(旧駅名Pandakan)、Pasay Roadで列車交換が可能ですが、全ての駅においてポイントが1箇所しかないため、スイッチバックをして列車交換を行っていました。これらの列車交換の詳細については後日述べたいと思います。

写真はEspana(エスパーニャ)駅南東側での列車交換シーン。


まず、韓国Rotem車製のDMUですが、現在のところ3両編成が6本配備され、そのうち3本が使用されています。以下に編成表を示しますが、私が滞在していた頃はDMU1、DMU2、DMU4が使用され、運用は同じ編成が同じ時間に運行されているようです。(ローテーションではないようです)
また、このDMUは先頭車にエンジンが装備され、中間車に電動発電機が2機装備されているとのことです。

←Tutuban 編成表 Bicutan→
DMU1 DMR-01 ITR-01 DMR-02
DMU2 DMR-03 ITR-02 DMR-04
DMU3 DMR-05 ITR-03 DMR-06
DMU4 DMR-07 ITR-04 DMR-08
DMU5 DMR-09 ITR-05 DMR-10
DMU6 DMR-11 ITR-06 DMR-12

DMR-12以外はフロント部分が全て青色に塗られていましたが、20日に確認したところこのDMR-12も青色に塗られてしまい、全てのフロントが青色となりました。

写真はDMR-12のフロントが無地であった頃のものです。(1月18日撮影)


現在のところDMUは計6本で、3本が運用に入っていますが、来月(2月)の最初の週にダイヤ改正が実施され、5本が運用に入る予定です。ダイヤ改正に伴い南側の終点であったBicutan からSucatに延長され、時期はわかりませんが早々にAlabang(今年中にSucat~Alabang間複線化)まで延長されるものと思われます。また、ダイヤ改正に伴い複線化され(線路は今週から使用か?)、現在の8往復から17往復に大幅に増発され、ラッシュ時では30分毎、データイムは1時間~2時間毎の運転間隔になる予定です。

2月ダイヤ改正時刻については以下のとおりです。
列車番号Tutuban→Sucat(下り)
101 5:05→5:55
103 5:35→6:25
105 6:05→6:55
107 6:35→7:25
109 7:05→7:55
111 7:35→8:25
113 8:05→8:55
115 9:05→9:55
117 10:05→10:55
119 12:05→12:55
121 13:35→14:25
123 15:05→15:55
125 16:05→16:55
127 16:35→17:25
129 17:05→17:55
131 17:35→18:25
133 18:05→18:55
201 18:35→20:15(12系客車Binan行き:時刻はBinan着)

列車番号Sucat→Tutuban(上り)
102 6:05→6:55
104 6:35→7:25
202 6:00→7:45(12系客車Binan発:時刻はBinan発)
106 7:05→7:55
108 7:35→8:25
110 8:05→8:55
112 8:35→9:25
114 9:05→9:55
116 10:05→10:55
118 11:05→11:55
120 13:05→13:55
122 14:35→15:25
124 16:05→16:55
126 17:05→17:55
128 17:35→18:25
130 18:05→18:55
132 18:35→19:25
134 19:05→19:55

写真は車庫へ入るため、入れ替え作業中のDMUです。


2011年10月完成を目標にNorthrail-Southrail Linkage Project Phase2によるAlabang~ Calamba間(約27km)の複線化とコミューターサービス化が実施される予定で、この計画によりDMUが5編成分増備される予定で、現在配備されている6編成と合わせ計11編成となるようです。現在のダイヤでは本数こそ少ないもののラッシュ時を中心にかなりの利用客があるため、この11編成分で足りるとは想像できませんので、もしかすると更に増備されるのではないかと思いますが、今のところは11編成分でTutuban~Calamba間のコミューターサービスを賄うようです。

次にTutuban~Binan(ビーニャン)間の12系客車列車についてですが、1日に僅か1往復の列車があります。Binan朝6:05に出発し、Tutubanに8:05に到着。逆はTutuban17:35に出発し、 Binan19:35に到着します。
列車はDL+12系客車6両で、使用されていた12系客車はTutuban側から7A-2029+7A-2019+7A-2006+7A-2014+7A-2015+7A-2007という順序で組成され、7A-2008と7A-2025はTutuban車庫内で予備車両となっています。いざという時はこの2両を使用するとのことですが、どの車両も投石や雨水などにより、かなり老朽化が目立っているため、Calambaまでのコミューターサービス開始とともに去就が心配されます。

写真はTutuban駅に到着するBinan発402列車で、この日は15分ほどの遅れで到着しました。


ビコール地方のコミューターサービスとしては、2009年12月16日の改正で、以下のような列車が運行されているとのことです。
Naga5:30→Sipocot6:45
Sipocot7:00→Naga8:14 8:30→Ligao10:30
Ligao11:00→Naga13:00 13:20→Sipocot14:35
Sipocot15:00→Naga16:15
DLが2機Nagaに配置され、12系を改造した車両が5両配置されているとのことです。
また、今年5月にTutuban~Legazpi間の全線開通を目指しているとのことであり、Bicol Expressが復活するものと予想されます。
この他、Bicol地方のコミューターサービスを補うため、JRユニオンに無償譲渡による交渉が実施されているとのことであり、もしかするとJR東から電車が譲渡され、床下機器やパンタを外し客車化した上で、DLに引っ張らせて使用することを検討中とのことです。

大まかなフィリピン国鉄の状況については以上でありますが、詳細については後日述べていきたいと思っております。

フィリピン国鉄、LRT車庫訪問

2010年01月16日 01時08分36秒 | フィリピン
こんばんは。
本日はマニラから投稿させていただきます。
先程、DOTC(運輸通信省)の方といっしょにフィリピン国鉄とLRT1号線の車庫に訪問いたしました。LRTやMRTの車庫は以前から中へ入ることは厳しいということはわかっておりましたが、14日に運輸通信省に突然アポもなくお邪魔し、何とか説明したのち、先程15日の朝9時から14時にかけて上記の2箇所の車庫へ訪問しました。
詳しいことは後日述べることとし、本日はフィリピン国鉄のことを少々述べたいと思います。現在DMUの車両を使用してTUTUBAN~BICUTAN間を8往復と12系客車使用のTUTUBAN~BINAN(ビーニャン)間を1往復、計9往復が運行されております。DMUは3両編成6本の計18両が在籍し、今後複線運行時に合わせ増備されるようです。
現在、全線にわたって上り線の線路を使用しておりますが、近々に下り線の方も使用できる状態になっております。またカロオカン方面へも軌道強化したのち線路を引きなおすような工事が行われております。
来週月曜日はMRTの車庫へ訪問する予定ですが、上記の2つの車庫へもう一度訪問し、インタビューしたいと思っております。

1994年頃のPNR(フィリピン国鉄)-北線

2009年10月29日 23時50分25秒 | フィリピン
特に興味のありそうなことを述べられるわけでもありませんが、ちょっとフィリピンの話題に火がついてしまったようですので、続けてフィリピン国鉄(PNR)の話題を述べていきたいと思います。
本日はPNRの北線の話題ですが、私が初めてルソン島北部地域を訪問したのは1994年11月から12月でした。バスやフィリピンの大衆の公共交通機関であるジープニーを乗り継ぎ、私は意地でも海岸線をなぞるように北上していったのですが、PNRのほうは古い地図を見ていただければわかるようにManila~Dagupan間は平野部が多く、海岸線とは関係なくほぼ一直線に結んでいることから、線路を見かけることはあまりありませんでした。しかし、おおよそDagupan~SanFernando(La Union州)間においては南シナ海の海岸線に平行する形でPNRが敷設されていますので、ところどころで線路や鉄橋を見かけたかと思います。
ManilaのTutubanから266kmに位置する北線の終点San Fernando駅周辺だけでもじっくり観察しておこうと思い、94年11月16日に立ち寄ってみましたが、たしか町の中心部から近いところに駅が位置し、下の写真のように駅舎とプラットホームが取り残されておりました。

さらにManila方面に行ってみると三角線のレールが取り残され、その先の本線はレールと枕木が見事に取り残されておりました。ちなみに下の写真はさらに5kmほど南下した地点で撮影したものですが、フィリピンの田舎であればどこでも見れるように水牛(Kalabaw)が草を喰んでいました。
鉄道紀行文の作家で有名な宮脇さんは、この北線に乗車し、たしか面白くないというようなことを申していたかと思います。いつしかこの北線も復活し、食堂車の付いた列車が走ることを夢見ていますが、ここSan Fernandoまで早期に整備されることを願っております。

1994年頃のPNR(フィリピン国鉄)

2009年10月28日 00時35分27秒 | フィリピン
先日に続きPNR(フィリピン国鉄)の話題を少々述べていきたいと思います。この頃は現在と比較して列車の本数もそこそこあり、ラッシュ時を中心にある程度Metro Manilaの南方方面の大動脈として担っておりました。

下の写真はCaloocanで撮影した通勤列車(1994年12月撮影)

1993年作成の国鉄通勤輸送力強化事業及び援助効果促進業務の報告書によりますと、92年9月22日現在の主な区間の1日の列車本数は、北線のCaloocan~Meycauayan間で上下4本、南線のEspana~Alabang間で約30本、Alabang~San Pedro間で12本、Binan~Calamba間が2本、支線のSan Pedro~Carmona間は8本でした。
当時の運行状況については、最も列車本数の多いManila中心部のPaco~Sucat間で、ラッシュ時は20~40分間隔、データイムでは40~150分間隔で、データイムにおいては等間隔ではなく、非常に利用しづらいものとなっていました。
また、運行開始の早朝においてはオンタイムでほぼ運行されているものの、列車運行の終了間際になると平均約40分の遅れが生じていたようです。
編成については6編成が運用につき、基本的にDL+PC3両の編成であり、また、DCもあったようで僅か18両が稼動できる状態でしたが、DCについては軌道が脆弱であるため床下を損傷してしまい、車両整備後数年で使用できなくなるような状況でした。

下のダイヤグラムは1992年9月22日現在のもの

PNRなどの計画では1993年12月から92年9月の列車本数の2倍以上にすることを計画し、稼動できる車両を増備した上で、朝夕のラッシュ時においては15分間隔、データイムは30分間隔で、下に示すダイヤで運行する予定でした。

下のダイヤグラムは1993年12月に予定していたもの

しかしながらこのような計画とは裏腹に計画は予定どおりにいかなかったようで、衰退の一途をたどりました。
先日も述べましたように韓国Rotem社製の編成が合計6編成揃うようですので、来年早々には複線化と同時にTutuban~Alabang間において、ラッシュ時は20分間隔、データイムでは30分間隔で運行可能かと思いますし、利便性や信頼性が向上すれば更に乗客が増加するのではないかと思います。将来的には連続立体交差事業を展開し、かつ電化も必要となってくるはずではないかと思いますが、そうなるとこのPNRにおいてもジャカルタと同様に日本の中古電車の活躍する姿を見ることができるのではないでしょうか。

下の写真はEspanaで撮影した通勤列車(1994年12月撮影)

フィリピン近況等

2009年10月26日 01時18分45秒 | フィリピン
前回のフィリピン訪問が2008年3月と私にとっては久しくなってしまいましたが、ようやく来年の1月頃にフィリピンに行けそうであり、今からワクワクしております。
今回は時間を取って、PNR(フィリピン国鉄)やLRT公社、MRT公社の車庫の訪問、国鉄南線・北線のリハビリの状況やMRT2号線North Avenue~Monumento間の建設状況などを確認することを予定しております。
下の写真はMRT3号線のNorth Avenue駅の末端部分(2006年9月撮影)

LRTやMRTの計画が思うように進んでいない中、PNRについてはホームの嵩上と沿線一帯の不法占拠の住宅の撤去がほぼ完了し、Tutuban~Bicutan間約28kmが単線ながら3両編成の韓国Rotem社製の車両(DMU)によって運行されているようです。このDMUはABS-CBN(チャンネル2)の取材によると、3セットが配置され、来年早々にももう3セットが到着するようです。現在の列車本数は少ないものの完全に複線として運行ができるようになればかつてのように利用客を取り戻し、Metro Manilaの通勤路線として復活することが期待されるのではないかと思います。また、Sucat~Alabang間についても複線化及びリハビリをすることによって、Alabangから南方方面のバス及びジープにーの利用客をこの南線を利用して都心部に誘導できますし、South Super HighwayやSkywayの道路混雑を緩和することも期待できるのではないかと思われます。
この他、ManilaからLegazpiまでの区間については橋梁などの修復工事を進めているようで、来年にはBicol地方へ列車が運行されるようです。そのため12系をBicol Express用に5両改造している模様です。(今年8月頃のABS-CBNの取材によりますと)
これ以上の現状については述べられませんが、フィリピンから帰国した際には詳細にレポートさせていただきたいと思っております。
下の写真はPNRのInspection car(2006年9月Tayuman駅付近)

Siguro pupunta ako sa Filipinas sa Enero. Kasi matagal na ako hindi pumupunta sa Filipinas at talagang namimiss ko na ang Filipinas. At intersado pa ako sa railway doon sa Manila, Pagdating ko sa Manila, dadalaw ako sa opisina ng PNR, LRT at MRT. Pagbalik ko dito sa Japan, isusulat ko ang tungkol sa railway sa Manila dito sa weblog ko.

冷房付きのジープニー

2008年03月13日 00時25分29秒 | フィリピン
またまた鉄道から話しがそれてしまいますが、フィリピンで独特な乗物と言ったら、ジープニーですが、ジープニーは戦後アメリカ軍のジープを改造したもので、フィリピン全土に最も身近な公共交通として広まりました。現在でもジープニーは必要な公共交通ですが、環境面では排ガスをまき散らしたり、騒音を発するなど、あまり良い乗物とは言えません。最近ではクーラーのあるFXという乗物(乗合タクシー)が普及しつつありますが、通常はクーラーのないジープニーにも、クーラーの付いたジープニーがお目見えしております。私もつい珍しくて撮影したのですが、この撮影したジープニーの運ちゃん、私に笑顔で答えてくれました。

フィリピン国鉄のリハビリの状況

2008年03月12日 23時55分11秒 | フィリピン
ジャカルタの話題から離れてしまいますが、3月1日14:50ジャカルタ発CX776便で香港まで行き、香港からCX905便でマニラへ入りました。マニラに着いたのは真夜中の12時であり、もうヘトヘトの状態です。2日の朝にはフィリピン南部のミンダナオ島のカガヤン・デ・オロまで行きたいのですが、飛行機の切符をまだ購入しておりません。マニラの空港で空港職員にこの真夜中に航空券が購入できるところを尋ねると、セブ・パシフィックの航空会社であったら24時間営業しているよと言うので、そこまで行くことにしました。そのセブ・パシフィックのお店は国内線の空港にあり、マニラ11:55発の切符を購入し、その後マニラのビジネス街で有名なマカティのとあるホテルにチェックインしました。時間の方はすでに午前2時で、近くのお店でちょっとビールを飲んで早々に寝ました。
連日の疲れの取れないまま午前9時に起床し、マニラの国内線専用の空港へ。12時過ぎにやや遅れてマニラを出発し、ミンダナオ島北部の最大の都市カガヤン・デ・オロに13時半過ぎに到着しました。ここに来たのは鉄道があるという理由ではなく、私の知り合いが多いというのが理由です。JICA(国際協力機構)の研修で、この都市から来日する方が多いのですが、何かと私を頼ってくるので新たな友達が増えつつあります。到着後は友人と再会し、ここへ来てやっとゆっくりできるようになりました。
3日はカガヤン・デ・オロから約100km西に位置するイリガンへ行き、やはり14年前に知り合った友人に再会。そこからイスラム勢力の強い地域を通り(Marawi経由)、ミンダナオ島南部のコタバトへ。途中、ラストトリップのジープが出発してしまい2500ペソ(約6,500円)を払って、コタバトに何とか着くことができました。コタバトでも夜、友人宅を訪問し、夜12時前まで飲んでいました。
4日はカバカン経由でカガヤン・デ・オロに戻りましたが、ほぼ1日中バスの旅。
5日は10時過ぎの飛行機でマニラへ戻りましたが、友人宅などを訪問し、フィリピン国鉄やLRTなどの鉄道を観察できる時間が取れませんでした。
6日は12:30発の飛行機で香港に行くので、朝早く起きてフィリピン国鉄の始発駅Tayuman駅に行こうと思っておりましたが、ここで初めて寝坊してしまい結局行けず、このホテルから最も近いBuendia駅まで行ってみました。
ホームはかさ上げ工事を行っているようで、軌道部分も若干上げるらしいです。
列車の本数は1日僅か上り線が6本、下り線が6本と以前より少なくなってしまいました。
また、確認はできませんでしたが、Bicol方面への列車の運行は行っていないようです。
前置きが大変長~くなってしまい申し訳ありませんが、次回は時間を取って調べたいと思います。

Panay Railwaysのディーゼル機関車

2007年09月19日 23時18分21秒 | フィリピン
昔、宮脇俊三さんの本で「椰子が笑う 汽車は行く」を読んで、Panay Railwaysに乗車してみたいと思っていましたが、残念ながらこの鉄道、1985年に旅客営業が終了し、その後はさとうきびなどの貨物営業が4年間続いたようで、1989年に鉄道が廃止されたようです。この鉄道はpanay島のIloilo~Roxas間の約115kmを結んでおり、非電化の単線路線で、軌間は1067mmです。1979年当時のダイヤグラムを見ると急行が3往復、準急が2往復、普通が4往復(1往復はiloilo~Passiまで)あり、所要時間は急行が2時間55分、準急が3時間30分、普通が4時間ちょうどで結ばれていたようです。
私自身ここには1995年2月15日に初めて行きましたが、Ilolilo周辺の線路跡を調べてみると、ほとんどが歩道として利用され、一部レールが切られなくなっていたりするところもありました。特にIloilo駅周辺では線路跡も見当たらず、Iloilo駅と思われるプラットホーム(貨物用?)と思われるものが残るだけでした。
LapasにあるPanay Railwaysの事務所付近には日本で製造されたディーゼル機関車が1両止まっているだけで、他の車両はどうもスクラップにされたようです。Museum Iloiloに行きますとこのPanay Railwaysの写真を見ることができたかと思います。最近ずっとIloiloには行っておりませんので、このディーゼル機関車がまだ残っているかどうかわかりません。いつか復活して宮脇俊三さんと同じ旅を味わうことができればいいのですが、たしか宮脇さんのフィリピンの鉄道旅行があまりおもしろくなかったような感想をもらしていたかと記憶しています。