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Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

南武線205系オリジナル編成営業終了(第1弾コラボレーション終了)

2015年12月07日 15時37分24秒 | 南武線
先日も述べましたように、11月16日から南武線205系の最後のオリジナル編成でもあるH39に「南武線→海外譲渡」と書かれたヘッドマークが付けられ、11月30日より沿線の子どもたちが描いた205系の塗り絵が車内に飾られていましたが、12月6日の1865Fの運行をもって営業が終了しました。これでオリジナル編成は引退することになり、205系としては先頭改造車のH46が残るのみとなりますが、先日の横浜支社からの発表にあるように来年1月9日に「ありがとう運転」と題して、205系のさよなら運転が予定されていますので、南武線本線上の205系の営業運転は残すところあと1ヶ月となりました。

ということで、205系の活躍もあと僅かとなりましたが、私は先頭改造の編成は好みではなく、オリジナル顔の編成のほうが好みであり、昨日6日のH39編成の最終営業によって、私の南武線205系の歴史も終止符を打ったものと感じておりますが、このH39の勇姿を撮影すべく、南武線沿線に頻繁に出没していました。

ヘッドマークが掲示された11月16日から12月6日にかけての3週間、時間があるたびに南武線沿線に行ってみましたが、E233系との並びは1度で良いから撮影したいということで、平日朝、向河原で撮影していたところ見事に並んでくれました。


続いて、12月5日と最終日の6日は中原電車区の計らいでしょうか、通常、ジャカルタへ譲渡される編成は新津へ配給されるちょうど1週間前の金曜日が営業最終日となりますが、記念列車の運行ということに対して特別に01F、65Fと日中運用に充当していただきましたので、私もたまたま仕事が忙しくなく思う存分撮影してみました。
5日は前日夕方の25Fの運用を引き継ぎ、武蔵中原駅滞泊の翌日01Fに充当される予定でしたので、多摩川橋梁に行ってみましたが、天気が良く、紅冨士の姿も見えましたので、ツーショットということで撮影してみました。


休日の01F(コロイチ)運用は全て各停列車であり、快速に充当されないことから、これも私の昔からの定番ですが、矢向駅の通路から鹿島田周辺や武蔵小杉周辺の中高層ビル群とのツーショットということで撮影してみましたが、この季節、影が長いことから車両の左はじが影になってしまいました。


その後、午後3時頃に川崎駅を折り返すため、立川方の顔も撮影すべく柳町踏切へと行ってみましたが、この季節、この時間では車両の側面に日はあまり当たらず、真っ正面に日があたるような感じでした。おそらく30分遅くなると影が障害となるため、この季節ここでの撮影は難しいのかもしれません。


最終日の6日は、この日も天気が良く、富士山も見えましたので、多摩川橋梁で下り列車と富士山を入れて上の写真のように撮影したのち、上り列車も撮影してみましたが、予想どおり50人以上の大勢のギャラリーが撮影されていました。私はこのヘッドマークをできるだけ目立つようにということで線路際に近い所で撮影しておりましたが、大半の方々は私よりもおおよそ50mの所で撮影されていました。もう少し線路から遠ざかったところで撮影したほうが良かったのでしょうかね?


ここをあとにするとすぐに登戸~中野島間の河原第3踏切付近で撮影すべく、スクーターで直行しました。この日の午前中も天候に恵まれ、列車の通過時間を考えると光線状態も良いと考えていましたのでここを選びましたが、この65F運用は日中において、立川→川崎が快速に3回も充当されますので、「快速」表示も撮影できるのが目玉です。


その後も沿線各地で撮影し、最後の最後の立川→川崎の1764Fと川崎→武蔵中原の1865Fは乗車し、最後の記念ということでMT61のモーター音などを録音して楽しんでおりましたが、やはり私と同じように録音されている方々も多く見られ、最後の乗車を堪能されていたようです。
川崎に到着すると跨線橋から1枚撮影しておこうかということで思っていましたが、やはり他の方も同じようなことを考えているようで、私もヲタの1人だとあらためて認識した思いです。(他の方から見れば私は立派なヲタなのでしょうね。それもいい年のオヤジが)


最後の最後の1865Fも南武線ファンとしては乗車すべく、2004年12月16日の川崎→武蔵中原の最終営業の103系に乗車して最後のお別れをさせていただのをはじめ、つい最近では南武線生え抜き205系の最終営業のH12にも乗車したのですが、103系でさえも車掌からなんの労いの言葉やお別れを乗客に告げる案内もなく、ひっそりと営業を終了してしまいました。この1865Fにおいては武蔵小杉を出発したあと、車掌から詳細なアナウンスについては他の方のブログ、ウェブサイトなどをご覧いただければと思いますが、「本日をもちまして南武線の営業運転から引退し、今後は海を渡り、ジャカルタで走り続けます。~ また、この電車との想い出もお持ち帰りいただけたら幸いでございます。」という労いの言葉がありました。(矢向車掌区では4日夕方の運用から駅間の長い区間で、このような案内がされていたようです)

武蔵中原到着後、多くのギャラリーは下りホームの立川方に集結し、「ありがとう」や「お疲れ」などと入庫する列車に叫んでおられたみたいですが、私はひっそりと上りホームの川崎方でH39が去って行く様子を眺めておりました。


南武線オリジナルの205系編成の営業が終了するとともに、私にとってはイケメンとも言えるカッコイイ顔の205系が見れなくなるのは寂しい限りですが、来年1月のジャカルタ訪問の際には、またお会いできると思いますので、言葉を投げかけるのであれば「Selamat jalan. Mari kita bertemu di Jakarta」(さようなら。ジャカルタでお会いしましょう)と心の中で呟いております。

ということで、南武線とKCJとの共同企画である第1弾コラボレーションが終了しましたが、第2弾はH39編成の車内に掲示されていたように、南武線沿線の子どもたちの絵がジャカルタにおいてもそのまま掲示され運行される予定ですが、ヘッドマークについても海上輸送等の際においては障害になるため一時的に取り外されるものの、ジャカルタ到着後、転入整備を経たのち約1ヶ月間はこのヘッドマークを再度取り付けて運行される予定のようですので、私も1月の訪問時にこの姿を見ることができることを大変楽しみにしております。(前回のブログの記事ではいろいろと私自身の企画を書いてみましたが、どうもやらなくて済むようです。)
最後にそのイメージだけでもということで、H39に取り付けられていたものをKCJ仕様の元南武線編成に取り付けてみました。おそらくこのような姿になるのではないかと思いますが、私個人的にはKCJ仕様ではない南武線オリジナルの姿で取り付けてもらえると嬉しいのですが、それはないかもしれませんね。
また、Nambu線からNambo線でシャレにもなりませんが、運行されると面白いかもしれません。実際、1日、Nambo~環状線のDuri間に3往復の設定があり、元ハマ線の8両編成が充当されているようですので、ここへ南武線の編成が充当されることもありえるかもしれません。

南武線、ジャカルタ(KCJ)とのコラボレーション開始

2015年12月01日 16時40分37秒 | 南武線
大変ご無沙汰しております。
10月20日のブログ更新以来、連日、仕事のほうが忙しくなり、休日や深夜も仕事づけの毎日でありましたが、そのような中、元地元の南武線もいよいよ205系の譲渡が終盤を迎えつつあり、気がついてみればジャカルタ譲渡向けの編成として営業しているのは12月1日現在、最後の1本となりました。
今年10月12日に武蔵中原駅において、E233系の展示ならびに南武線に関する展示、体験などのイベントがありましたが、何か面白いものがあるかもということで私1人で楽しんできました。会場では駅員さんや矢向車掌区、中原電車区の方々が対応しており、その方々と南武線談義を少々させていただきましたが、その中で私は胸のあたりに付いている名札も確かめないまま、社員の1人にお話しをさせていただきましたが、「いよいよ南武線の205系の活躍もあと僅かですし、ジャカルタに譲渡された南武線の205系も南武線カラーで活躍していますので、ジャカルタ(KCJ)とのコラボレーションで何かイベントをやっていただくのもよいかもしれませんね」と提言させていただきましたが、そのお相手をしていただいた方は中原電車区の区長さんで、私もこのようなところでお会いできるとは思っておらずビックリしました。その願いが通じたのかどうかわかりませんが、すでに皆さんもご存知のように11月16日より205系H39編成に「南武線⇨海外譲渡」と書かれた73系時代に使用されたデザインのヘッドマークが付けられ、ジャカルタとのコラボレーション第1弾が開始されました。

ということで、11月16日の初日にそのヘッドマークの付いた車両を少しでも早く拝みたいという欲にかられて、朝7時前に武蔵中原駅へ行って観察しておりましたが、早起きは三文の得という言葉にもあるように、下りと上り出庫の列車の発車時刻が近い627Fと628Fのどちらかに205系もしくは209系とE233系との並びが見れるのではないかと予測していたら、なんと205系どうしが並んでくれました。


朝から縁起がいいとでも言うのでしょうか。ラッキーではありましたが、最後の朝の出庫の731Fにヘッドマークの付いたH39が充当されるかもしれないということで、下りホームで待ち構えていると、朝日を浴びながらお目当てのH39が入線し、とても感動しました。


私の他に待ち構えている人はどうもいなかったようで、ほとんど1人で撮り放題でありましたが、このあと例の運用表を見られた方々が多く、沿線や駅にはあっという間にカメラを持った人たちが見られるようになりました。


このヘッドマークは既にご存知かもしれませんが、川崎方のものと立川方のものはほとんどデザインが同じですが、立川方のほうには「for Indonesia」と書かれており、立川方も奇麗に撮影したいということで、南多摩で撮影してみました。


撮影は朝のラッシュ時だけにと思っていたところ、この31Fはせっかくの日中運用にも就いてくれたのだから、お昼まで撮影タイムということで、以前、3年ほど暮らしていた近くの踏切でバチリといただきました。


ここまでは撮影日誌ということでご覧のとおりですが、今朝も撮影がてらにH39に乗車してみると、車内には沿線の子どもたちが描いた205系の塗り絵が車内に飾られ、インドネシア語で「Dari anak-anak Jepang untuk Anda sekalian」と書かれ、日本語で「日本の子どもたちから皆さんへ」とメッセージが書かれ、これらの絵は貼付けたままジャカルタに送られるようで、ジャカルタでもこの日本の子どもたちが書いた塗り絵を見ることができるようです。
また、展示期間については12月6日と書かれているため、今度の日曜日まで運用に充当されることが予測され、その後は予定どおりジャカルタへと送られるものと思われます。


ジャカルタとのコラボレーション第1弾ということで、南武線ファンの1人として嬉しいイベントでありますが、ジャカルタ側としても南武線とのコラボを是非実現してほしいということで、個人的にジャカルタ側の企画をしてみたのが下の写真です。
以前、国鉄時代に中原区の検修の方からいただきました73系の行先表示にH39と同様に「Jalur Nambu→KCJ」(南武線→KCJ)と書いて、9月にジャカルタ訪問した時に撮影したKCJ仕様の元南武線編成にそのヘッドマークを貼ってみたのですが、どうでしょうか?これはこれで我ながらカッコいいと思うのですが、KCJ側にこのような企画を提案しても、日本から中古車が譲渡されているということをあまり表面に出したくないような風潮もありますので、おそらく却下されてしまうのではないかと推測されますが、時間がありましたらこのようなヘッドマークを作成してみようかと思っています。


上の提案が無理であれば、これも約25年前に検修の方にいただいたものですが、103系や101系で使用されていた誤乗防止用の「南武線」という黄色のステッカーをいただきましたので、下の写真のとおり撮影の際にちょっと貼付けてみたいと思います。


ということで、205系の活躍もあと僅かになりました南武線の話題でしたが、来年1月に再びジャカルタを訪問し、元南武線の205系の活躍をレポートする予定です。
最後に、H46の先頭改造の205系は1月9日に「ありがとう運転」が実施され、205系が引退する予定のようです。209系のH53についてはいつまで使用されるのかわかりませんが、今月下旬には来年春のダイヤ改正が発表されるため、もしかすると今後の行方がわかるのかもしれません。

南武線E233系デビューから1周年

2015年10月04日 23時55分07秒 | 南武線
ジャカルタの話題を中心に報告しましたが、本日、10月4日は南武線E233系のデビューからちょうど1年ということで、南武線の話題を述べていきたいと思います。
埼京線や横浜線の205系からE233系への置き換えに比べれば遅いものの、1年も経ってしまうと気づいてみればE233系も28本も投入されており、残るのはあと7本の2割程度となり、めっきり205系や209系を見ることは少なくなり寂しいかぎりです。
しかも、先月の中頃から毎週末の土曜日・休日は205系や209系をできるだけ運用に入れないこととしているのか、平日以外ではE233系が運用に入る可能性が高くなり、先月のシルバーウィークの期間中においては全てE233系が充当されるという、いかにも205系や209系は運用に入れませんよと見え見えの方針があるようにも思えます。
おそらく、中原電車区以外での夜間滞泊において、205系や209系の車両が荒らされるという事件からの措置かと推測されますが、はっきり言ってこのような盗鉄(とりてつ)は立派な犯罪であり、早期に捕まることを願いたいものです。

下の写真はちょうど1年前に武蔵中原駅で実施されたE233系デビューのセレモニーの様子です。
あと数ヶ月もすれば、ハマ線205系のさよならの時と同様にさよなら運転が実施されるのかどうかですが、いつ頃に実施されるのか、最後の1本は209系のH53となるのかなど気になるところです。


8割近くが既にE233系によって置き替わり、すっかり南武線の顔になりましたが、7月からN14の編成に川崎アゼリアのラッピング車両がお目見えし、E233系では初めての広告車両となりました。ヘッドマークを付けてくれるとなおさら良いのですが、最近では広告車両の編成にはヘッドマークが付いてくれないのが残念です。


また、本日4日はちょっと時間がありましたので、久しぶりに南武線に乗車してみました。先程も申し上げたように日曜日ということで、日中は205系H36の1本のみが運用に入り、残りの205系、209系については全ての編成が中原で寝ていたようで。本当に寂しいかぎりです。


ついでにこの205系H36に乗車してみましたが、車内を見回してみると、今まで南武線独特の黄色の号車番号札が枠ごと外され、ステッカーのようなもので号車番号が示されていました。これも盗鉄対策かと思いますが、側引戸横の外の号車番号札は従来どおり黄色の号車番号札が使用されていました。


駅には小さなお子さんにはおなじみの「南武線ニュース」と「なんぶ南でも情報」が掲示されていますが、下の写真のとおり「南武線の古い車両はどうなるの?」と書かれており、その答えとして「6月から順次船でインドネシアへと運ばれており、すでに現地へと到着しております。インドネシアへ旅行へ行ったら南武線が走っている姿を見ることができるかもしれません。」と書かれています。


これを読んで、はい、確かにインドネシアで南武線が走っていますよということで、できれば下の写真のように示してくれたならば、ちびっ子たちもわかってもらえたかもしれませんし、インドネシアのしゅとであるジャカルタで走っていますと付け加えてもらえるとよかったのではないかと、ちょっと突っ込みを入れたいところでした。(インドネシアと言っても日本の国土の約5倍もありますし、インドネシアのメジャーな観光地であるバリには鉄道がありませんしね)


というようなことで、南武線の話題については、また、イベントがありましたらご報告したいと思いますが、先日、浜川崎線(南武支線)の新駅の駅名が、住民投票の結果「小田栄」駅に決定し、来年3月に開業するようです。今後、新駅建設に向けて短期間で工事が実施されるかと思いますが、今後、この新駅建設の様子についてもお伝えしていきたいと思っております。

Selamat datang ke Jakarta! 南武線205系、ついにジャカルタに到着

2015年07月01日 21時50分13秒 | 南武線
まずはこの話題からお届けしたいと思います。
4月24日からジャカルタKCJ向けに新津への配給が開始され、その後、5編成分30両を乗せた船は6月18日に新潟西港を出港しましたが、先程、ジャカルタのTanjung Priok港に到着し、早速、船からの積み降ろしとPasoso駅までトレーラーでの輸送が開始されました。
今回、到着した編成は新津への配給日順にH35、H4、H8、H44、H2(中間MM'ユニットはH50)の5編成分30両で、今年、譲渡予定の計120両のうち1/4となります。残りの編成も先頭改造車であるH46を除いて順次新津へ配給されると推測されますが、次回、第2陣は編成数は何編成になるのか、また、いつ頃ジャカルタに到着するのか気になるところです。


今後、これらの車両はDipo Depokへ搬入し、そのままDipo Depokにおいて転入整備が実施され、埼京線や横浜線からの譲渡車と同様にKCJカラーへ変身してしまうものと推測されますが、以前、南武線沿線に住んでいた私にとってはこの南武線カラーのままの205系が、ジャカルタの街を快走しているシーンを一度でよいから見たいものです。
この他、これらの車両は8両編成に組成されるものと思われ、以前、紹介しましたように南武線車両による編成ではTcMM'MM'MM'T'cとTcMM'T'cTcMM'T'cの2通りの組成の編成が登場するのではないかと思われます。

(上の写真2枚はBpk.Liberdi氏からの提供)

話しが前後してしまいますが、フィリピンからの帰国後、6月7日、H50編成(MM'ユニットは元H2)が浜川崎線用のW1と併結し、国府津へ回送されました。H2は5月2日に車両故障が発生し、修繕が困難な状況になったものと推測され、問題のないH50編成のMM'ユニットをH2編成と差し替えられたようですが、このH50編成はM232のパンタが上がっておらず、死重扱いの上、回送されたようです。その後、H50は6月9日に廃車目的と思われる長野へ回送されました。


6月13日、14日とジャカルタへ旅立つ前の南武線の205系を撮影したいということで新潟へ行ってまいりました。両日ともにこの205系が留置されている新潟西港へ新潟駅近くで自転車を借りて行ってみましたが、両日ともに天気が良く、13日は午後からの訪問となりましたので、山の下みなとタワーからでは順光になりませんでしたが、信濃川の西側にある入船みなとタワーへ行って撮影してみると、下の写真のとおり信濃川の向こう岸に留置されている205系を見ることができました。


続いて14日も自転車を借りて、再度、山の下みなとタワーへ行ってみました。この日は留置場所で作業している方が数人いらっしゃり、留置場所近くのフェンスからでは作業する車が邪魔をしていて良い写真が撮れませんが、このタワーへ登って撮影してみるとさほど気にならないようです。


この4日後にこれらの車両は船に積み込まれ、18日に出港したのですが、6月19日にH40、26日にH41が続いて新津へ配給され、これらの編成は同じく新潟西港に留置されているようですので、今後、配給される編成についても続々とこの新潟西港に集結するものと思われます。


それから185系の話題ですが、例年、7月と秋のシーズンに川崎市の小学校を対象に修学旅行用の列車が運行されていますが、そのシーズンを前にして185系が南武線に入線し、数日間ハンドル訓練が実施されました。


また、6月27日~29日にかけて185系による修学旅行列車が運転され、天気の良い28日朝、南武線車両との並びを撮影したいということで武蔵中原駅へ行ってみたのですが、この日は運良く11F運用にH42が充当され、205系との並びを撮影できました。
ダイヤ改正前であれば185系が出庫する時に武蔵中原駅で南武線車両との並びが撮影できたのですが、現在では平日しかできないようで、しかも今年の秋シーズンでは205系は僅かに残るだけかと推測されるため、205系もしくは209系と185系の並びは大変貴重なものになるかと思われます。


以上、簡単に報告しましたが、今後も南武線205系の譲渡の動きが多くあると推測され、このような動きに注目すると同時に、適切な時期にジャカルタに訪問したいと思っています。

次回は先日、速報版でお知らせしましたPNR(フィリピン国鉄)の話題について、報告したいと思います。


南武線ウォッチング-2015年5月

2015年05月15日 20時14分16秒 | 南武線
今週、少々時間が取れましたので、13日と本日15日と南武線ウォッチングを実施しました。
13日は茅ケ崎に疎開されていた205系H41+H40のうちH41が中原に返却されました。一度、茅ケ崎から国府津へ12連のまま回送され、H40は再び国府津から茅ケ崎に戻されましたが、H41については中原に返却されました。おそらく、H2がゴールデンウィーク中に運用から離脱し、現在、車庫内において3両、3両に分割され留置されていますが、何らかの故障が発生し、予備編成の確保を必要とされていると推測されていることから、H41が中原に返却されたのかもしれません。

ということで、南武線の12連のシーンは珍しいですので、その姿を狙うべく東海道線沿線で撮影しようと思ったのですが、平塚駅で簡単に済ませてしまいました。


同じ13日になりますが、KCJへの譲渡目的と推測される中原から国府津への回送がありました。
回送されたのはH4で、既にJRのロゴマークは車両前面、側面ともに消されており、KCJへの譲渡目的であることが伺えます。
この編成のエピソードとしては、平成2年4月に高架化された武蔵新城駅下り線においてホームと車両が接触し、車両の山側にホームとこすったキズが付いていました。どうもレールがホーム寄りに動いていたようです。


弱冷房車のステッカーは貼付けたままでありますが、一年を通して常夏のジャカルタでは必要はないかもしれません。また、この編成だけ南武生え抜き車+山手車であり、中原区で修繕中に高圧電流が機器に流れてしまい、1ユニットは再帰できなくなり、仙石線に転出したH48の中の1ユニットをH4の編成に組み込んだ特異な編成です。


続いて本日15日の出来事になりますが、13日に国府津へ回送されたH4が新津に向けて回送されました。前回の新津への回送は4月24日で今回は2回目となりますが、今週末はこのH4も新潟西港に新津からトレーラーで運ばれ、H35の脇に並べられるのか気になるところです。


南武線ではE233系がN18まで投入され、全体のうち半分がE233系で占められるようになり、205系、209系の姿を見る機会も少なくなり、南武線ファンとしては寂しい気持ちでもありますが、南武線の205系がKCJ譲渡決定となり、今後は元埼京線や元横浜線の205系とともにジャカルタで活躍することを考えると楽しみが1つ増えたのかもしれません。

南武線205系、KCJ譲渡に向けて新津へ配給開始

2015年04月29日 23時39分09秒 | 南武線
先日、4月20日にJRからKCJに対して南武線205系を譲渡すると正式な発表があったばかりですが、早速、先週金曜日の24日に国府津から新津に向けて1編成が配給開始されました。最初の記念すべき編成はナハH35編成でありましたが、南武線で最終在籍の車両が他の会社へ譲渡されるのは秩父鉄道に譲渡された101系以来(最終在籍が南武線ということでなければ、ジャカルタの103系のT210)であり、日本ではこれが最後となるため私の元地元である小倉陸橋で撮影してみることにしました。列車の通過30分前に行ってみたものの、結局、ギャラリーはこの私1人だけでありましたが、この場所では逆光になってしまうことから、人気がなかったのかもしれません。


JRで開設している南武線のFacebookを見ますと、国府津へ回送される前にKCJなどの立会のもと中原電車区で受取検査が実施されているとのことで、JRマーク、広告類などの撤去も実施されているようです。今後も国府津へ回送する前にはこのような受取検査が中原電車区で実施されるものと思われます。

また、同じ24日に東海道貨物線において、南武線のE233系が試運転表示で通過していくのを確認しましたが、これについてはハンドル訓練と推測され、ちょうど茅ケ崎へ疎開されたナハH40とのツーショットを撮影することができました。


新津へ配給されたナハH35はてっくう撮影隊のGO様をはじめ知り合いの方々からの情報によりますと、埼京線や横浜線の205系譲渡時には新潟東港に車両を留置し、新潟東港から出港しましたが、今回の南武線では新潟西港に留置されているとのことで、今後の配給においてもこの新潟西港に車両が留置され、出港するものと思われます。私も6月上旬頃にでも新潟に訪問し、港に留置されている姿を撮影したいと思いますが、願わくは船に車両が積まれているシーンを撮影できるのでしたら最高かもしれませんね。

最後に1つ報告することを忘れていましたが、今年3月のダイヤ改正から武蔵野線で増発されるということで、南武線の205系のナハH5、H6そしてH9の3編成分を転入整備し、2編成が新たに組成されました。その編成表は以下のとおりで、中間のM'のMGは撤去されたものの、6M2TでVVVF改造はされず、シングルアームのパンタや方向幕など南武線時代をそのまま踏襲し嬉しいかぎりです。

M51 Tc101 MM'270 MM’271 MM'272 T'c101
M52 Tc130 MM'355 MM'356 MM'273 T'c130

ナハH5とH6が使用されていますので、仕様が同じH7を武蔵野線増発用にするのが最適ではないかと思いますが、なぜかH7は昨年9月早々に運用から離脱し、茅ケ崎や尾久に疎開されており、使用するにあたって何か不具合が生じていることが伺えます。今後は当分の間、この新M51とM52の編成は武蔵野線での活躍が期待され、私個人的にはこの2編成とVVVF車ではない界磁添加励磁制御でメルヘン顔の4編成分が将来的にKCJに譲渡されることを期待していますが、ナハH7がKCJに譲渡されるにあたり、問題なく使用されるのかどうか気がかかりでもあります。


南武線205系もKCJへ譲渡

2015年04月20日 20時04分23秒 | 南武線
2月22日以来のブログの更新になってしまいましたが、先程、ついにJRから南武線205系120両をKCJへ譲渡すると正式な発表がありました。
発表の内容については南武線で使用してきた205系120両を4月下旬より譲渡開始すると書かれていますので、おそらく今週あたりからその動きは見られるのではないかと思いますが、KCJの入札事前説明会のスケジュールでは今年12月までにはジャカルタへ輸送されるようですので、11月頃までには国内(新津へ?)での配給を終了させるのではないかと推測されます。
また、両数が合計120両と発表されていますので、20編成分になるかと思われますが、以前も申し上げたようにKCJへ譲渡されるであろう20編成は、H2~4、7、8、10~13、34~44が想定されるのではないかと思っています。ジャカルタ到着後は転入整備を実施するとともに、8両編成への組成変更が実施されるものと思われますが、これについても2月2日に述べましたように、4+4の編成が5本と中間車がオールMの貫通編成が10本となるのではないかと推測されます。


南武線ファンとしては、是非、最初の第1陣がジャカルタに到着する頃に訪問し、Tanjung Priokで陸揚げのシーンを狙いたいところですが、今年のラマダーン(断食)は6月18日から始まり、7月16日まで続くようで、もしかするとその期間に第1弾が到着するのかもしれませんが、そうなると日中においてはファーストフードやデパートなどの飲食店は営業しているものの、屋台やオフィースビル内の食堂は全く営業していないことが考えられますので、空腹との戦いも強いられるのかもしれません。また、私個人的にはマニラにいる私の子供が5月末で2才の誕生日を迎えますので、カトリックの風習に従い洗礼式を予定しているため、私もその機会にマニラを訪問する予定で、同時に南武線の205系がジャカルタに到着してもらえれば、そのままジャカルタへと足を運ぶことも可能ですが、5月下旬頃の到着はどうも難しいのではないかと思います。やはり、マニラ訪問とジャカルタ訪問は別々になりそうですが、そうなると旅費も余計にかかってしまい、私の家内が何て言うかわかりませんし、地理的に考えてもジャカルタはマニラの延長線上にあり、マニラ上空を素通りするような卑劣なこともできませんので、これからどのような予定を組むか悩むところです。

南武線ウォッチング-2014年12月~2015年2月

2015年02月22日 17時55分18秒 | 南武線
ここ最近、南武線近況の報告をしておりませんでしたので、時系列ごとに簡単にご報告させていただきたいと思います。

まずは昨年の12月からですが、12月13日、鶴見線営業所において鶴見線こどもフェスタが開催されました。展示された車両は中原から南武線のH47、浜川崎線用のW2が駆けつけ、先頭改造車編成ばかりが勢揃いし、飛び入り的にEF65-1118も並べられました。当初はこれらの先頭改造車の前面に先日開催された中野電車区のように八高線・川越線や仙石線の帯を貼付けようと試みたようなのですが、失敗に終わってしまったようで、カラフルな205系先頭改造車が勢揃いした姿を見ることは実現なりませんでした。


このフェスタ開催と同時に鶴見~弁天橋間において、浜川崎線用の車両を用いて臨時列車が運転され、鶴見~弁天橋間はノンストップの快速列車が運行され、弁天橋~海芝浦間は回送として運行されました。


続いて今年になりますが、1月17日、「夢のピクニックトレイン」が運行され、「あなたの夢叶えます☆」企画で応募のあった109件の中からある幼稚園が当選したようで、落成間もないN12編成を使用して武蔵中原~稲城長沼間で運行されました。中原電車区ではドラえもんがお出迎えし、電車区内での洗浄体験やドラえもんとの撮影も楽しまれたようです。
また、1月18日~31日(実際には31日以降も運行されていたようです)にかけて、「みんなの『夢』ミュージアムトレイン号」を運行され、HMは「夢のピクニックトレイン」と同じものが取り付けられたままでした。


そして、1月28日、尾久に疎開していたハマ線から転入した異色のH17編成が国府津から長野へ回送され、帰らぬ旅へと旅立ちました。南武線では僅か7ヶ月ちょっと使用されただけで短命に終わってしまい、ハマ線の大勢の仲間が待っているジャカルタへの夢は叶いませんでしたが、トレードマークとも言える205系オリジナル顔で行先表示がLEDの姿は貴重なシーンかもしれません。


2月3日、大宮から中原のH5とH6編成で構成された編成が、M51編成となって出場しました。
編成はTc101 MM’270 MM'271 MM'272 T'c101の8両編成となり、M’271のMGは撤去されているようです。


また、H5の先頭車であるTc100 T'c100は、川越で余剰となっていたT82を方転の上、Tc T'cの真ん中に挟み込み、2月12日に長野へと回送されました。


続いて2月15日、H52が中原から国府津へ回送され、2月17日に長野へ回送されました。209系としては2月3日にH54が長野へ回送されたのに続き2本目となり、209系は残り2本となりました。


残り2本の209系は更新工事を受けていないH32と更新工事済みで検査も通っているH53ですが、H32は検査時期が迫っていると推測されますので、そろそろ何らかの動きが見られるかもしれません。やはり更新工事を受け、既に長野へ送られたH52とH54と同様に長野へ送られてしまうのか気になりますが、かつて中原区に在籍していた川重製のH1とともに南武線にとっては貴重な生え抜きの編成ですので、少しでも長く活躍できることを願いたいものです。


ということで、南武線の主に車両の動きを簡単に述べてまいりましたが、現時点でE233系は13本が配置され、横浜線の置き換えの時期に比べれば置き換えのペースが落ちますが、それでも既に全体の1/3はE233系が占めており、乗車するチャンスも増え、E233系が連続で来るということも珍しくなくなってきています。
また、既に長野へ回送された車両については鉄道雑誌の車両の動きを見ますと廃車日付が出ていることから、長野へ送られた車両はおおよそスクラップになってしまうのではないかと推測されます。

今後の動きですが、稲城長沼駅の上り本線(1番線)が3月1日の始発から使用開始される予定で、念願であった2面4線化が完成します。3月1日以降、ダイヤ改正前までの13日まで、稲城長沼駅折り返しの列車は今までどおり下り中線(3番線)からの発着になるようで、時間帯によっては立川方面からの列車は上り中線を使用する列車があるようです。また、上り本線の使用によって、上の写真のように下りホーム立川方から上り列車をきれいに撮影できましたが、ダイヤ改正以降はこの駅で快速を待避する列車しか撮影できなくなるところから、撮影チャンスが少なくなります。


この他、稲城長沼駅では券売機横の出口が先週あたりから使用され、駅前が広々したような空間になりましたが、今後は区画整理事業を進めるとともに駅前広場の整備、川崎街道側からのアクセス道路も整備されるものと思われます。


続いて、3月14日のダイヤ改正の動きで、世間が北陸新幹線開通や上野東京ラインの開通、トワイライトエクスプレスの運行終了など沸き上がっていますが、そのようなことは私にとってはどうでも良いことで、南武線ファンとしては南武線開業以来念願であった川崎~立川間全線での快速運転が最大のニュースであります。
快速の停車駅については下の図で示す通り、稲城長沼以北については府中本町と分倍河原に停車し、川崎~立川間の所用時間が現在の快速よりも5分短縮の42分となり、日中の稲城長沼折り返しの列車は立川まで運転区間が延長され、多摩地域と京浜地域の利便性が高まります。快速と各停の緩急接続は上りにおいては稲城長沼で、下りについては今までどおり武蔵溝ノ口で実施されますが、それ以外の駅での緩急接続については残念ながらないようです。また、土休日の快速列車の運転本数は1時間あたり2本から3本に増えますが、逆に各停が7本から6本になります。


上りの快速と各停の緩急接続は、現在、武蔵中原で実施されていますが、ダイヤ改正以降、武蔵中原では見られなくなります。


最後にこのような4本の並びは、平日の朝、見ることが可能なようで、かつ日中においては19Fの馬臨のある日は見ることができますが、ダイヤ改正後は日中において見ることが難しくなってしまうのかもしれません。
E233系が多く占める中、2月15日は205系と209系のみで揃ってくれました。


南武線205系の調達に関する続報

2015年02月02日 14時02分59秒 | 南武線
巷では南武線205系、ジャカルタ(KCJ)に譲渡と報じているところもあるらしいですが、現状、調達に関する入札公告を行っただけで、譲渡についてはJR、KCJ双方から正式な発表が今のところありません。
先日もご報告しましたように予定としては南武線205系6両編成を20本の計120両が、おおよそ4月~12月にかけて輸送されることが計画されているようで、ジャカルタ到着後にこの6両編成をどのように使用されるのか気になるところですが、入札事前説明の資料を読んでみますと下記のようなことが記述されていました。
計120両20編成で構成される車両をインドネシアでは8両編成に組成し計15本にすると記述されており、私が当初想定していました4+6の10両編成に組成し、あまりのMM'1ユニットはハマ線の編成に組み込み10両貫通編成に仕立てるというのはどうも違うようです。よーく考えてみればBogor線・中央線系統以外では基本的に有効長が8両までにしか対応していないのですから、ある程度想定はできたかもしれませんが、この記述どおりに組成変更を実施するとしたら、どのように組み替えられるのか考えてみることにしました。


基本的には6両編成4本を1組とすると全部で5組となりますが、この1組を基本に組成変更すると上記のようになるのではないかと思われます。やはり、どうしてもKFWや103系のように4+4の編成が5本と中間車がオールMの貫通編成が10本となるようですが、現地で車両搬入後に転入整備と同時に以上のような組成変更が実施されるのではないかと思われます。
また、この南武線の205系は8両編成に組成されることが想定されることから、ジャカルタ首都圏の各路線で使用されることが予想され、南武線ファンの私としては103系以上に追いかけることが大変になるかと思いますが、今まで活躍していた都営6000形や103系、東急車など廃車に追い込まれる編成も出てくるのかもしれません。

一方、南武線205系ならびに209系の現状ですが、現在、E233系のN1~N13の13本が運用に充当されており、209系は2本が疎開され、205系については6本(H14,16,17,47,49,51)が長野へ送られ、3本(H5,6,9)が大宮へ送られて武蔵野線の増発用に、そして3本(H3,7,15)が疎開されていますが、このような現状を踏まえるとKCJに譲渡されるであろう編成は検査日も考慮するとH2~4、7、8、10~13、34~44が想定されるのではないかと思っています。

今後、入札が順調に実施され、JR、KCJ双方から譲渡に関する正式な発表があるのではないかと思われますが、南武線ファンの1人としては嬉しい一方、従来活躍した103系や都営6000形などの去就も心配されますので、ジャカルタ鉄の方々は複雑な心境なのかもしれませんね。


上の写真のような姿をジャカルタで見たいと願うのは私だけなのでしょうか。ちょっとマニアックで申し訳ありません。

南武線に新駅設置へ、JRと川崎市が包括連携協定を締結

2015年01月30日 23時10分03秒 | 南武線
昨日、各報道機関から南武線の支線である通称浜川崎線の浜川崎~川崎新町間の地点に15年度末の開業を目標に(仮称)小田栄新駅を設置すると報道がありましたが、本日30日午後、川崎市からその内容について詳細な発表がありました。
詳細については以下の川崎市のウェブサイトをご覧いただければと思いますが、JRと川崎市は「鉄道」と「まち」をともに発展させるために鉄道と沿線のブランド向上、地域の暮らしの安全・安心の向上、低炭素化・スマート化、そして公共交通の利用促進の以上4本のテーマを柱に協力して取り組む内容になっています。

具体的にはその第1弾として、先程も申し上げましたとおり、15年度末の開業を目標に(仮称)小田栄新駅設置に向けて、現地調査や関係各機関との調整に本格的に入るとのことですが、具体的な駅舎施設の規模、駅舎位置、施設機能については未定とのことです。
川崎市発表のこの新駅の概要を見るかぎりでは、1日乗降者数が約3500人を見込んでおり、駅の位置については浜川崎~川崎新町間のほぼ中間地点である小田踏切の前後が想定されております。
また、この地域では商業施設であるイトーヨーカドーや昨年9月にオープンしたコーナンが近くに立地し、集合住宅も建設されていることから公共交通の利便性向上が緊急的な課題ですが、新駅を設置したとしても日中40分間隔の運行では利便性向上と言えるものではないため、南武支線の利便性向上を進めるべくフリークエントサービス輸送についても検討されるものと予測され、小田踏切の立体化についても協議される可能性があるかもしれません。
この他、連続立体交差事業についても協力して取り組むことから、現在、調査、検討が進められている尻手~武蔵小杉間の連続立体交差事業を推進するものと予測され、矢向駅付近の横浜市の協力がさらに不可欠になると思われます。


この新駅設置を契機にさらなる浜川崎線の期待される未来を個人的に想像してみましたが、今後、横浜方面と羽田空港を結ぶルートも計画されるのであれば、同様に南武線を利用して多摩方面と羽田空港を結ぶルートも考えられ、東海道線との交差部に八丁畷新駅が建設される(従来の八丁畷駅は廃止するが、京急との乗換は可能な構造に)気運も高まるのかもしれません。そうなればますます南武線の速達性や輸送力増強、武蔵野南線の旅客化など必要になってくる可能性は大きいかもしれません。逆に川崎~尻手間が廃止される可能性も出てくるかもしれませんし、おおよそ10年前から計画されていた川崎~八丁畷を結ぶ川崎アプローチ線は実現が不可能になるかもしれませんが、この点において自治体の川崎市とJRが連携してどのような未来図を描いてくれるのか楽しみです。

包括連携協定の内容は以下のウェブサイトをご覧ください。
http://www.city.kawasaki.jp/templates/press/cmsfiles/contents/0000064/64646/setumeisiryou.pdf