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Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

施工順序図

2007年12月25日 17時06分57秒 | 南武線
施工順序図を見ますと、来年6月頃には第一次施工の形へ移行し、稲城長沼駅においては下り本線と上り本線の2線のみとなり、折り返し用は設置されないようです。先日の写真では川崎寄りにダブルクロスのポイントが設置されておりましたので、今後も稲城長沼行きが設定されるようです。現在のダイヤで2線だけでの処理は不可能ですので、今後のダイヤ改正(来年6月?)では大きな改正があるのか、または立川寄りに引き上げ線が設置されるのか、いろいろなことが予想されます。また、現在、夜間停泊している4本も立川などに振り分けられるのではないかと予想されます。
第二次施工においては、下り線が高架化され、稲城長沼駅構内も下り線(4番線)が高架化されるのと、電留線(2番線と3番線)も高架化され使用されるようです。この場合ですと下り線が高架化され、上り線がグランドレベルであるため、折り返しの場合はどのようになるのかわかりません。(折り返し上り列車は稲城大橋有料道路まで高架化された上り線を走行するのでしょうか?)
完成時には下り本線が4番線、上り本線が1番線、2、3番線が電留線となり、折り返し用の列車も使用されると思いますが、夜間においてはこの2線の電留線を使用して、停泊させるのではないでしょうか。また、快速設定時においては待避線として使用も可能かと思います。

浜川崎線205系運用開始

2007年12月12日 23時29分50秒 | 南武線
いつも南武線本線の話しばかりですので、たまには浜川崎の話題を少々述べたいと思います。101系の置換用として205系の中間電動車を先頭車改造し、2両編成の205系が登場しました。運用開始は2002年8月20日からで、この時点で205系2本が用意され、それぞれヘッドマークが付けられました。朝は2本が運用につくため、川崎新町での並びを狙ってみました。

晩年の頃の浜川崎線101系

2007年12月12日 23時14分50秒 | 南武線
浜川崎線では1980年以前はクハ16+クモハ11の17mの旧型国電の2両編成が活躍しましたが、1980年11月から2003年11月まで、101系が24年間に渡って長く使用されました。登場当初は南武線本線用と同じカナリアでデビューし、1987年暮れから浜川崎線用の車両を工場へ臨時入場させ、ワンマン化改造を行うと同時に、外板の塗装もクリームをベースに青緑と緑のラインが入ったものに変更されました。1988年の3月13日のダイヤ改正からはワンマン化改造された車両がヘッドマークを付けて登場し、2年後の1990年にはAU712の冷房装置を付けて冷房化が行われました。2002年8月20日には浜川崎線に205系の運用が開始されましたが、辛うじて101系1本が205系の運用開始後も時々運用に入り2003年11月28日まで使用されました。101系が浜川崎線を去ったあと、労をねぎらうかのように2003年12月13日と14日に鶴見~大川でさよなら運転が行われ、101系の幕を閉じました。
2002年の頃は休日となると、最後の活躍姿を撮影しようと浜川崎線沿線に足を運びました。撮影場所となると限られておりましたが、なぜかこの101系を撮影される方は少なく、同業者の方をあまり見かけませんでした。ワンマン化の話題やさよなら運転の時の乗車体験などの話題は、後日掲載させていただきたいと思います。

稲城長沼駅構内の仮線の様子

2007年12月09日 21時05分24秒 | 南武線
青梅から川崎の千鳥町へ行く途中、稲城市内で現在連続立体化工事が行われている様子を撮影してみました。現在第2期区間の上り線仮線敷設工事がたけなわで、来年6月の使用開始に向けて着々と工事が進められております。写真は稲城長沼駅の川崎寄りにある踏切から駅構内の様子を撮影したもので、仮上り本線と仮下り本線の間にダブルクロスのポイントが配置されております。なぜ、ダブルクロスを入れるのかわかりませんが、もしかするとダイヤ改正後、もしくは仮下り線の使用後にはその答えがわかるのではないでしょうか。

南武線205系初登場

2007年12月06日 21時13分32秒 | 南武線
最近は南武線の103系の話題ばかりですので、205系登場時の話題を少々掲載したいと思います。
今まで山手線や中央線などの主要線区で活躍した車両が、南武線や横浜線などの東京郊外の路線で第ニの活躍の場として転入するのが当たり前であり、車両の墓場までと比喩された南武線でしたが、国鉄からJRに移行して間もない平成元年に、南武線では社線時代以降初めて新製車が配置されることになりました。南武線よりも東京の外側に位置する横浜線に昭和63年から平成元年にかけて205系を新製配置し、同線区の103系全車の取り替えを行い、続いて南武線に205系3本を平成元年3月11日のダイヤ改正までにとりあえず投入しました。その後元年9月~10月に205系4本を投入し、南武線で使用されていた101系冷房車を鶴見線用とすると同時に、鶴見線用の101系非冷房車を置き換えました。翌年の平成2年にも8月~9月にかけて9本が投入され、南武線の全車両のほぼ半分を205系、残りを103系とする陣容になりました。当初の計画ではその翌年の平成3年にも205系16本を投入し、オール205系化を達成させる予定でしたが、計画が途中で変更されたようで、その後は209系が2本配置されるだけとなりました。おそらくこの計画変更は武蔵野線用と相模線用の205系に変更されたと推測されるのですが、もしオール205系化が推進されていたら、103系の活躍期間も短かったかもしれません。以前、中原区の方から平成3年度の車両転配の話しをお聞きした時に、私に全て205系化した方が良いかと質問されたことがありますが、私はこのままの方が良い(205系と103系半分ずつ)と即答してしまいました。だからと言ってそのように願いが叶ったわけではありませんが。
今となっては205系が南武線の主流の車両であり、205系の活躍期間も約20年になりますが、今後も他の線区に転出することなく、長い間活躍されることを願っております。(205系も結構気にいっています)
205系のエピソードなどについても、今後時間がありましたら、掲載したいと思います。
写真はナハ第27編成のTc86です。この当時と現在では編成番号が違います。

ナハ第29編成 Tc88

2007年12月06日 20時10分43秒 | 南武線
こちらはナハ第29編成のTc88で、この編成はダイヤ改正時の3月11日の615デから使用を開始しました。ヘッドマークは川崎方、立川方ともに同じです。この編成は平成2年4月21日に武蔵新城駅下り線でホームと接触事故を起こしました。どうもレールがホームよりに移動したためということが、事故の原因だったと思います。

南武線に初登場の全車エメラルドグリーン103系

2007年12月01日 00時38分19秒 | 南武線
昨夜は昭和61年10月下旬から11月上旬の動きについて掲載しましたが、本日は11月中旬以降の動きについてご説明します。この頃から南武線の103系にATS-S型を設置することになり、豊田区より103系6両と101系1000番台7両を借りて、不足する車両を補いました。101系1000番台については下記に示しますが、103系も11月下旬から6両を借用しました。その6両はMc151 M'318 T143 M325 M'481 T'c634で11月24日より運用を開始しました。車両は全車エメラルドグリーンであり、1編成がエメラルドグリーンであるのは南武線では初登場となり、車体の側面の中央には黄色地に南武線と書かれたステッカーが他の異色車と同様に貼付けられておりました。翌年の2月に入るとT143のみ先に返却され代わりにT760(黄)が編成の中に組み込まれました。(T760以外にも他のTが組み込まれていたかも?)ATS-S型設置工事に伴う不足する車両は当初習志野区より補うことを聞いておりましたので、豊田区からエメラルドグリーンの103系やオレンジ色の101系1000番台が助っ人に来て、個人的にはビックリしておりました。
話しは変わりますが、約2週間前に川崎港を出港した東急の8610Fの編成がジャカルタのTanjung Priok港に到着し、11月30日に陸揚げされたようです。(Kereta Api社JABOTABEK管区の社員からの情報です)

豊田区101系1000番台

2007年12月01日 00時06分16秒 | 南武線
こちらも豊田区から武蔵野線用の101系1000番台を借りました。まず昭和61年の11月中旬頃にT1208のオレンジ色1両を借り、11月18日よりTc76 M112 M'c130 T1208 M244 M'c179を組成し、1718デから営業に入りました。そして11月の終わり頃にMc1003 M'1006 T1207 T'1001 M1004 M'c1003を借り、12月1日よりMc1006 M'1006 T1207 Mc175 M'222 T'c91を組成しました。(営業日は未確認)
最初に借りたT1208は12月に豊田区に戻されたようですが、12月20日には全車オレンジ色のMc1003 M'1006 T1207 T'1001 M1004 M'c1003が組成され運行を開始し、103系のエメラルド編成や103系の混色編成(黄+黄緑や黄+青緑)とともに異彩を放っていました。