
最近は南武線の103系の話題ばかりですので、205系登場時の話題を少々掲載したいと思います。
今まで山手線や中央線などの主要線区で活躍した車両が、南武線や横浜線などの東京郊外の路線で第ニの活躍の場として転入するのが当たり前であり、車両の墓場までと比喩された南武線でしたが、国鉄からJRに移行して間もない平成元年に、南武線では社線時代以降初めて新製車が配置されることになりました。南武線よりも東京の外側に位置する横浜線に昭和63年から平成元年にかけて205系を新製配置し、同線区の103系全車の取り替えを行い、続いて南武線に205系3本を平成元年3月11日のダイヤ改正までにとりあえず投入しました。その後元年9月~10月に205系4本を投入し、南武線で使用されていた101系冷房車を鶴見線用とすると同時に、鶴見線用の101系非冷房車を置き換えました。翌年の平成2年にも8月~9月にかけて9本が投入され、南武線の全車両のほぼ半分を205系、残りを103系とする陣容になりました。当初の計画ではその翌年の平成3年にも205系16本を投入し、オール205系化を達成させる予定でしたが、計画が途中で変更されたようで、その後は209系が2本配置されるだけとなりました。おそらくこの計画変更は武蔵野線用と相模線用の205系に変更されたと推測されるのですが、もしオール205系化が推進されていたら、103系の活躍期間も短かったかもしれません。以前、中原区の方から平成3年度の車両転配の話しをお聞きした時に、私に全て205系化した方が良いかと質問されたことがありますが、私はこのままの方が良い(205系と103系半分ずつ)と即答してしまいました。だからと言ってそのように願いが叶ったわけではありませんが。
今となっては205系が南武線の主流の車両であり、205系の活躍期間も約20年になりますが、今後も他の線区に転出することなく、長い間活躍されることを願っております。(205系も結構気にいっています)
205系のエピソードなどについても、今後時間がありましたら、掲載したいと思います。
写真はナハ第27編成のTc86です。この当時と現在では編成番号が違います。
今まで山手線や中央線などの主要線区で活躍した車両が、南武線や横浜線などの東京郊外の路線で第ニの活躍の場として転入するのが当たり前であり、車両の墓場までと比喩された南武線でしたが、国鉄からJRに移行して間もない平成元年に、南武線では社線時代以降初めて新製車が配置されることになりました。南武線よりも東京の外側に位置する横浜線に昭和63年から平成元年にかけて205系を新製配置し、同線区の103系全車の取り替えを行い、続いて南武線に205系3本を平成元年3月11日のダイヤ改正までにとりあえず投入しました。その後元年9月~10月に205系4本を投入し、南武線で使用されていた101系冷房車を鶴見線用とすると同時に、鶴見線用の101系非冷房車を置き換えました。翌年の平成2年にも8月~9月にかけて9本が投入され、南武線の全車両のほぼ半分を205系、残りを103系とする陣容になりました。当初の計画ではその翌年の平成3年にも205系16本を投入し、オール205系化を達成させる予定でしたが、計画が途中で変更されたようで、その後は209系が2本配置されるだけとなりました。おそらくこの計画変更は武蔵野線用と相模線用の205系に変更されたと推測されるのですが、もしオール205系化が推進されていたら、103系の活躍期間も短かったかもしれません。以前、中原区の方から平成3年度の車両転配の話しをお聞きした時に、私に全て205系化した方が良いかと質問されたことがありますが、私はこのままの方が良い(205系と103系半分ずつ)と即答してしまいました。だからと言ってそのように願いが叶ったわけではありませんが。
今となっては205系が南武線の主流の車両であり、205系の活躍期間も約20年になりますが、今後も他の線区に転出することなく、長い間活躍されることを願っております。(205系も結構気にいっています)
205系のエピソードなどについても、今後時間がありましたら、掲載したいと思います。
写真はナハ第27編成のTc86です。この当時と現在では編成番号が違います。
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