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Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

旧国時代の浜川崎線

2008年02月13日 00時44分28秒 | 南武線
先日の続きで浜川崎線の思い出も少々述べたいと思います。尻手と浜川崎を結ぶ通称浜川崎では、昭和55年11月までクハ16+クモハ11の17m車旧型国電が活躍しておりました。昭和51年4月1日現在の中原電車区からの編成表を見ると4本分在籍しておりました。編成は以下のとおりです。(左の番号は編成番号で、実際に札を付けて使用されるものではありません)
20 クハ16007 クモハ11270
21 クハ16215 クモハ11244
22 クハ16211 クモハ11248
23 クハ16003 クモハ11222
思い出としては鶴見線の73系に乗りに行く時に、何回かこの旧国に乗車しましたが、朝5時頃に武蔵中原発浜川崎行きが昭和50年過ぎあたりまで設定されていたため、当時私は小学生でしたがどうしても乗車したくて、朝早く起きて鹿島田から尻手まで乗車しました。たしかこの数分前に川崎行きがあったため、乗客はほとんどいなかったと思います。尻手駅の1番線に到着するとゆっくりと浜川崎を目指し、静かに去っていったと思います。また、浜川崎線の下り最終列車は尻手到着後、中原電車区まで回送扱いとなっておりました。私はダイヤ改正のたびに、この武蔵中原発浜川崎行きがなくなるのではと危惧しておりましたが、新しい時刻表を見て浜川崎行きの表示がなくなってしまった時は、とてもショックであったことを覚えております。将来的に復活されることを望みますが、おそらく復活は難しいでしょうか。
この他、本線用の附属編成として使用されることがあったり、極稀に本線の基本編成で使用されていたかと思われます。(73系の晩年の頃見たような記憶があるのですが、記憶違いだっったら申し訳ありません)

矢向駅での1コマ

2008年02月12日 23時59分53秒 | 南武線
ネガをあさっていましたらこのようなものが出てきました。私が小学高学年の頃に撮影したもので、とてもお見せできるような写真ではありませんが、雰囲気だけでも味わって、昔のことを思い出していただければと思います。また、この頃南武線にはED16の他EF13も活躍しており、写真をなぜか撮っていましたが、これは全くお見せできるようなものではありません。

南武線さよなら101系

2008年02月10日 22時56分49秒 | 南武線
南武線では平成元年2月~2年9月にかけて、205系16本が新製配置され、101系の非冷房車を置き換えるとともに、のちに冷房車も置き換えられました。南武線本線上の101系最後の営業は、平成3年1月20日であり、編成はMc208 M'262 T'c77 Mc206 M'260 T'c80の3+3の編成で、川崎~武蔵中原を1往復、川崎~立川を2往復しました。先頭車の前面には川崎方、立川方に異なるヘッドマークが取り付けられ、南武線の利用者やファンに最後の別れの姿をお披露目しました。また、同時にさよなら101系のオレンジカードも発売され、南武線にとってこの101系が南武線の歴史上、輝かしい功績であったか物語っているようです。
南武線の新性能化は全て101系によって昭和53年に達成され、同年に線内用の車両を使って冷房改造を実施し冷房車が初登場。(2本目の冷改車も線内の車両を使用) その後は総武・中央緩行線や中央線の冷改車が転入し、片町線の2本を除けば冷改車が全て集められました。もちろん中央線(豊田区)からの転入車はオレンジ色の車両が多く、1編成がオレンジ色のままであったり、カナリアとの混色編成も多く見られました。昭和57年の豊田区から103系の転入に際しても、オレンジ色のままの車両が多く、南武線はいかに冷たく扱われてきたかということを否めませんでした。まあーそれはそれで、古い車両や101系が好きな者にとっては、南武線は天国なような線区でもあるのですが、電車区の方々は寄せ集めの車両のせいで、相当苦労もあったかと思います。例えば101系の冷房車のMGは103系とは違い、160KVAと210KVAとMGのないものがあり、国鉄時代は編成を組む上で悩まされたと思います。
とにもかくにも、101系の思い出も103系と同様にいろいろと思い出がありますので、今後思い出の1コマを少しづつ紹介していきたいと思います。

南武線101系最後の最後の営業シーン

2008年02月10日 22時00分45秒 | 南武線
南武線101系の営業は、1413デ川崎14:01発、武蔵中原14:15着をもって終了しました。2番線には南武線にとって登場間もない103系高運が入線し、ツーショットが見られました。このあと101系は中原電車区に引き上げましたが、電車区ではファンにとっては嬉しい臨時一般公開が実施され、区内でこの101系を撮影することができました。

思い出の南武線快速電車

2008年02月09日 22時52分23秒 | 南武線
先日、南武線の快速電車について、思い出を少々述べましたが、この南武線の快速電車について、もう少し述べたいと思います。南武線には昭和44年12月15日から53年10月1日まで、川崎~登戸間に快速電車が運行され、およそ21分で結ばれておりました。10時~16時の間を60分ヘッドで運行され、停車駅は武蔵小杉と武蔵溝ノ口だけで、下り列車においては武蔵中原で各駅列車を待避させ快速を通過させるか、武蔵溝ノ口で緩急の接続を行っていました。上り列車においては立川方面からの列車が登戸で快速に接続し、快速が先に発車しますが、先行する各駅列車との接続がありませんでした。(追い抜きがありませんでした)ですので、快速が運行されることによって、快速の停車しない駅では運転間隔が大きく開いてしまい、15~20分程度開いてしまうことがありました。おそらく武蔵野南線の建設の見返りとして登場した快速でしたが、緩急の接続の問題、運転間隔の問題などにより、約9年間という短命に終わってしまいました。
デビュー当時は武蔵小金井区の車両を使用して運行され、幼かった私としても茶色の電車しか走らない南武線に金魚はとても新鮮でありました。昭和47年より101系が中原区に配置されるとカナリアの快速も見られるようになり、これはこれで楽しませていただきました。私は当時、鹿島田駅が最寄駅でしたので、この快速には縁があまりありませんでしたが、下りの各駅列車に乗車していて武蔵中原駅で快速が軽快に通過する姿や、親を説得させて快速に乗車し、運転席のうしろにかぶりついた思い出などが残っております。
稲城市内の高架化の完成や登戸駅下り線待避線の設置(現状の駅本屋の構造物では大規模な改造工事が必要)などにより、快速列車の運行も夢ではありませんが、10分ヘッドになってガラガラな列車も見られるので、快速列車の運行は当分先かもしれませんね。
ところで話しは変わりますが、私の雪予報が大外れでした。たいへん申し訳ありませんでした。気象庁の予報でも正午から雪が降り始めるようでしたが、実際には正午頃パラっと雪が散らついたものの雪を降らせる雲の本体が先に北関東の方に流れてしまい、南関東に届いたのは夕方5時頃からになってしまいました。午後10時30分現在の東京都下水道局のアメッシュを見ても雪を降らせる雲がないようですので、これ以上降らないと思われます。私の家のあたりでは3cmほど積雪がありますので、明日は奥多摩あたりで活躍もあと僅かとなった201系でも撮影しようかと思っております。

南武線で活躍するEF15

2008年02月08日 23時24分12秒 | 南武線
写真は昭和58年12月頃に撮影したものと思われますが、今からおよそ25年前にはEF15も活躍しておりました。武蔵中原駅もまだ高架化されておりませんでしたが、連続立体化工事がこの頃から本格化されました。私は貨車のことも詳しくはありませんが、たしかこのホキも貨物輸送が終了する晩年時には見られなくなっていたと思われます。(赤いホキだけ)
話しは変わりますが、さきほどインドネシア、フィリピン行きのスケジュールを組んで、チケットの手配を行いました。ジャカルタへは2月26日に入り、3月1日にジャカルタから香港を経由しマニラへ、3月6日にマニラから香港、翌7日に香港から成田にもどる行程にしました。今回、インドネシアでは3日半しか時間が持てませんので地方都市へ行かず、ジャカルタに留まり、JABOTABEKで活躍する車両を調査、撮影を行いたいと思っております。もちろん帰国後は詳細に御報告したいと思います。
昨日の続きで週末雪が降ると予想される話しをしましたが、さきほど16時に大雪に関する気象情報が出されました。9日18時までの降雪量は多い所で、関東地方の平野部で3cmと見込まれているようで、明日夜以降の分も含めるともう少し増えると思われます。9日朝にも大雪に関する気象情報が出されると思いますので、より詳細な情報が入ると思います。昨日は20cm降ると言いましたが、希望的観測もあるので、実際にそのようになるのかどうか。どうも3日に比べて上空の気温が若干高いようで、あとは低気圧の通るコースが南側にずれることを祈るばかりです。(チョット弱気になっていますが)

南武線を走行するEF65-1000番台

2008年02月07日 21時25分26秒 | 南武線
下の記事の続きですが、床屋で散髪したあと、ここ2週間ほど南武線内でハンドル訓練されているEF65を撮影してみました。光線状態が良い場所となると尻手~向河原あたりとなりますが、このあたりは住宅密集地域であり、線路脇の柵もかなり高いので、あまり良い撮影場所がありませんが、いつもの定番の場所で撮影しました。ちなみにこのあたりも元地元で、私が幼かった時の思い出が多く残っています。南武線では珍しく線形が良い場所ですので、快速が運行されていた頃は80km/h以上のスピードで駆け抜けていました。おかげで各踏切の手前に「昭和44年12月15日より快速列車が運行されるため、踏切の待ち時間が長くなります」というような看板が立てられていました。
快速列車の思い出については、後日掲載したいと思います。
ところで、そろそろインドネシアへ行こうかと思っており、フィリピンもセットでと考えているので、キャセイのオールアジアパスという航空券を使用するのがベストなのですが、どうも空席の状況がよくないようで、私のスケジュール調整が必要みたいです。インドネシアでは、できれば土日の滞在は避けたいし、フィリピンや香港(日本人)の友人との調整も必要なので、なかなか難しいですが、できるだけ早くスケジュールを確定したいと思っております。

本日(7日)の米タン

2008年02月07日 20時54分24秒 | 南武線
床屋はいつも、昔地元であった溝の口まで町田からわざわざ行くのですが、そのついでに本日運行された米タンを撮影しました。(というか、米タンを撮影するついでに床屋へ行ったというべきなのが正解かも)
昨日は運休であったようで、今日は運行されると賭けてみたのですが、私の思うとおり運行されていました。このEF64は3月のダイヤ改正後も見られるのか、はたまたEF65に交代されるのでしょうか。
話しは変わりますが、最近、雪がよく降りますが、3日の日曜日に我が家周辺では8cmほど積もり、今朝も朝起きたら雪景色で2cmほど積もっていました。雪景色の中の201系を撮影したいのですが、なかなか出撃できずじまいとなっております。今週末も雪の予報で、冷たい空気が日本列島を覆っていますので、雪になる確率が高そうです。あとは南岸の低気圧の通る位置や低気圧の発達しだいでは大雪になるかもしれません。私の予測では大雪が降ると予測し、積雪量は多摩東部で約20cm、青梅線の奥多摩駅周辺で30cmほどではないかと予測していますが、さてどのようになるのか楽しみです。雪が積もれば雪景色の中を走る201系を撮影してみたいと思っております。また、大雪警報が発令されるのも楽しみですが。

南武線EF65と205系

2008年01月31日 21時56分29秒 | 南武線
1月21日より南武線内においてEF65のハンドル訓練が行われているようで、普段EF65の姿を見せない尻手~府中本町では珍しく、私も25日に稲城長沼まで出向いてしまいました。205系との並びを撮影しようと思い挑んだのですが、シャッターを切るのががちょっと早かったようで、機関車の影が205系にかかってしまいました。しばらくはEF65が行き交う姿が見れそうですが、ダイヤ改正後はどのようになるのか注目で、逆にEF64による米タンは消滅してしまうのか気になります。
私は釜のことに関しては詳しくありませんが、私がまだ幼かった頃は南武線というと、EF15やED16が主力の機関車でしたが、その後、青い機関車を見てビックリ、なんとEF60の500番台の姿を短期間でありましたが見ることができました。

稲田堤~府中本町連立平面図と縦断図

2007年12月25日 17時52分27秒 | 南武線
平成22年度の完成を目指して、稲田堤~府中本町の4.3kmで連続立体交差事業が行われておりますが、第1期区間の稲田堤~稲城長沼の2.1kmは完成し、現在残る第2期区間の矢野口~府中本町の2.2kmの工事が着々と進められております。この連立の事業にちょっと興味がありましたので、稲城市役所へ行ってパンフレットを頂いてきました。
平面図を見ると、高架後の稲城長沼駅構内は2面4線となり、平面時代にあった立川寄りの電留線は廃止され、その分を駅構内の折り返し用の2線に宛てがうようです。現状のダイヤからすると2面4線は宝の持ち腐れのような気もしますが、将来的に快速運転を行う場合は威力を発揮するのではないかと思います。