早いものでこの業界に入って丸7年が過ぎた。
日本から離れて生活して、何が懐かしいかと聞かれると、いろいろあるのだが、(ここで書ける範囲で)一番懐かしいのは、音楽のあった生活だろう。
学生時代からずっとオケ(オーケストラ)をやっていて、卒業しても市民オケに所属していた。職種や年齢の垣根を越えたメンバーで練習していた時間が懐かしい。毎週日曜日夕方6時から9時の練習、なんとなく義務で通っていた気持ちもあったけれど、あんなに平和で満たされていた時間はもうやってこない。そんなことは、いつも過ぎてから気づくものだろうか。
最近、ヴォーン・ウィリアムズの5番のCDが古荷物の中から出てきて、思わず聴きまわす。情景的な(と思う)曲調に、練習していた当時をはっきり思い出すと同時に、自分の今置かれている状況を当時を比較せざる得ない。失うことと得られたこと、そういうことか。
写真はKinam hotel。Victorian(ビクトリア朝)Gingerbreadという様式らしい。ハイチの震災前はこういった植民地時代の名残の建物が多く残っていたという。
日本から離れて生活して、何が懐かしいかと聞かれると、いろいろあるのだが、(ここで書ける範囲で)一番懐かしいのは、音楽のあった生活だろう。
学生時代からずっとオケ(オーケストラ)をやっていて、卒業しても市民オケに所属していた。職種や年齢の垣根を越えたメンバーで練習していた時間が懐かしい。毎週日曜日夕方6時から9時の練習、なんとなく義務で通っていた気持ちもあったけれど、あんなに平和で満たされていた時間はもうやってこない。そんなことは、いつも過ぎてから気づくものだろうか。
最近、ヴォーン・ウィリアムズの5番のCDが古荷物の中から出てきて、思わず聴きまわす。情景的な(と思う)曲調に、練習していた当時をはっきり思い出すと同時に、自分の今置かれている状況を当時を比較せざる得ない。失うことと得られたこと、そういうことか。
写真はKinam hotel。Victorian(ビクトリア朝)Gingerbreadという様式らしい。ハイチの震災前はこういった植民地時代の名残の建物が多く残っていたという。