in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

声の年賀状

2007年01月01日 | Japan
今晩、先週収録のあったラジオ番組の放送があった。10分ほどにきれいに編集されてあり、自分でも驚いた。地雷の話も内戦難民の話もカットされていたが、番組の構成としては当然だろう。自分の声を聞きながら、大変だったことをいろいろ思い出していた。昨年初頭の日記が少し現実のものとなり、つまり活動の成果が出たことに満足する。

多くの人から反響を頂いたが、一番嬉しかったのは、Hさんと祖母からの感想であった。昔の職場関連で知り合ったHさんは、目が悪くて字が読めないため、毎年電話で新年のご挨拶をする。今年は「ラジオ聞いてや」と連絡しておいた。すると、放送が終わるとすぐに電話がかかってきて、「今年は幸先がいい」とめちゃくちゃ喜んでくれた。

ここでHさんの話を少し書きたい。自分の目が普通の明かりでは見えにくくなっていることを、中学になって気がついたHさんは、板前の道を選んだ。その選択した理由を聞くと、調理場はいつも明るいからだそうだ。それでも視力が落ち続け、40歳をすぎた頃、どう頑張っても包丁を握ることができなくなった。

そこで紆余曲折あった後、視覚障害者のための職業訓練センターに入り、鍼灸師になるための訓練生として3年間を過ごした。同時期に隣の職場で働いていた私は、たまに訓練生の試験台としてマッサージを受けたり、逆に建築物の使いやすさを知るために多くの訓練生に話を聞いたりしていた。そのうちに、話が合うHさんと彼と同年代の元上司らとで飲みに行く機会が多くなった。

Hさんは、目がよく見えないかわりに耳が鋭い。また過去の経験も手伝ってか、声音だけでたいてい私の体調や忙しさを当てる。したがって、隠し事ができない。こっちも開き直るしかなく、よく相談にのってもらった。そのHさんに喜んでもらえたことが嬉しかった。

話は戻って、番組中は祖母の病室で一緒に聞いていた。目をつぶってじっと聞いていた彼女の感想は「よかった」の一言だけ。それでも、目頭が熱くなっている様子がわかり、それが私には十分だった。

『あけましておめでとうございます。多くの読者の方々には、これまで励まして頂いたことを感謝しています。今年もよろしくお願いします。』