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朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

インド:ピプラハワ、カピラヴァストゥ、ネパール国境

2011-09-16 | インド仏教研修2011
日本の篤志家が設立した「祇園精舎の鐘」(1981年建立)。





既出の記事はこちら



ネパール国境に近いピプラハワのストゥーパから1898年銘文入りの舎利壺が発見され、シャカ族の都カピラヴァストゥであると比定されました。

その仏舎利は、現在、デリーの国立博物館に展示されています。



釈尊の父、シャカ族の王とその家族はこの城に住んでいたことになります。ネパール側にもカピラヴァストゥがあるようですが、当時にはインド・ネパールの国がなかったので同じ地域だったのでしょう。

我らはネパールに向かってバスに乗って村々を抜けていきます。



やぎを何匹も並べて取引をしていました。

この翌日はイスラムのラマダンが明ける日なので、その時のごちそう(犠牲)として山羊を買いに来ているそうです。



黄色いお菓子も並べて販売しています。とても甘そうです。



これは、路上に鎮座する電力トランス。金網の柵もありません。感電の危険があると思うのですが、建設とメンテナンスの容易性を優先しているのでしょう。

さて、ついに、国境に到着です。



地元の人々は、見かけ上自由に交通しています。



われらは所定の手続きをしますが、インド人ガイドがパスポートと両国の通関書類をまとめて代行してくれるので、30分くらいバスの中で待つだけ。
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仏教遺跡の地図、訪問場所とルート

2011-09-15 | インド仏教研修2011
耳慣れないインドの地名、それも、イギリス植民地時代の英語地名、その日本語カタカナ、現代のインド語を英語表記にした地名、その日本語カタカナ(b、v、延ばす音、の記述不統一)で、インド地図を検索して調べるのには多少苦労します。

わかりにくいかもしれないので、地図に位置関係を整理してみました。ただし前記の理由で正確な地名とその位置の理解はかなり曖昧です。ご容赦ください。

まず今回の全体概念図です:
注:「デリー」は、「オールドデリー」と「ニューデリー」を合わせた地名で、現在、インドの首都はデリーと呼ばれるのが普通です。



前半は北インドの仏教遺跡研修です。(8泊)

後半は、イスラム文化、ヒンドゥー教、仏教が一部で融合のタジマハール。マトゥーラの州立博物館とデリーの国立博物館見学です。


北インド、仏教遺跡訪問のルートは概ね下図でした。



日本から飛行機でデリーに深夜着き、1泊して国内便でラクノウに飛びました。その後、貸し切りバスで時計回りに東北方面に走りました。

道路事情が悪いので、バスの平均時速は30~50キロです。想像以上に時間がかかります。さらにはタイヤのパンク、交通事故、工事規制、通行税(州)、地域の祭り寄付金徴収など予測できないことが発生しました。

周回の順は、釈迦の年代順ではありません。

お釈迦様は、ルンビニ(現在はネパール)で誕生して、父の王城カピラバストゥで少年時代を過ごし、(父の反対を押し切って)出家し修行した後、悟りを開き、説法をして弟子が増えました。各地を巡りその思想を語った後、涅槃となります。その地はクシナガラ。入滅の後、弟子たちがその思想を体系化し記録しました。教義を深め研究する場所として、高弟シャリープトラ(舎利弗)がその生地ナーランダに大学を設立したのです。

7世紀、唐代の中国の僧、玄奘三蔵(三蔵法師)はナーランダに到達して学んでいます。

仏教よりも以前に成立していたインド古来のヒンドゥー教、それから派生して仏教よりも新しいジャイナ教、シク教(ターバンを巻く)。そしてアラブ圏から到来したイスラム教が中世にはインド亜大陸を支配しました。その圧力により仏教はインドでは衰退する一方、ヒマラヤを越えてチベットを経て中国へ。さらに形を変えながらもビルマ、タイ、ジャワ島などに広がり、モンゴル、朝鮮半島、日本に伝わったのです。

・・では世界史的に、西の方角にはなぜ広がらなかったのでしょうか。

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インド:シュラヴァスティ、祇園精舎(サハート)、舎衛城(マヘート) 

2011-09-14 | インド仏教研修2011
インド田舎の国道は、集落の真ん中を通過します。日本でも昭和30年代までは同様でしたが、徐々にバイパスが建設され、さらに完全に立体交差の高速道路のネットワークができていきました。

インドの国道の現状は、一応舗装はされているのですが、表面が至るところではがれていてあなぼこだらけ。バスで走ると常にガタガタ揺れ、時にはガツンと大きな衝撃も感じます。



牛がいっぱい、集落の道路にもあふれています。



日本の高速道路にあるSAやPAのようなトイレ施設はありません。
現地の一例がこれ。奥の露天に並ぶのは男性小用、右が個室です。



突然、日本人の若者多数が現れたので、現地の人々が多数集まってきて、一部の人が持っているケータイカメラで撮影して喜んでいました。





政治家の大きな看板。この方の実績を写真で表現しています。農業改善、工場建設など。

ラクノウから数時間走って、シュラヴァスティのホテルに到着。

午後は、祇園精舎(サハート)を見学しました。
コーサラ国のスダッタ長者が園林を買い釈尊に寄進した精舎です。ここで釈尊は24回の雨安居(うあんご)を行いました。

サハートの写真と記事はこちらにも。



スリランカからの信者団体。



コーサラ国の首都であった舎衛城(マヘート)は、祇園精舎から北東に0.5キロ。



長かった一日でしたが、陽が落ちてきれいな夕焼けとなりました。



夕食、インド料理の一例です。



(追記)
我らの経験したほとんどのレストランでは、グループツアーなので、ビュッフェ形式でした。興味あるものを少しずつ選べるので好都合です。何度も行くのが面倒なので皿いっぱいの盛りつけになってしまいます。

旅行中どこのレストランでもインド料理は種類が多く、予想外に美味しくて毎日十分に食事を楽しめました。必ずしも、すべての料理が「カレー」味ではありませんでした。


~~~~

舎衛城では、集まってきた子供たちと夕焼けに祈りました。



コメント (2)
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インド:デリー到着、国内移動

2011-09-12 | インド仏教研修2011
さかのぼって、順々にインド研修旅行を簡単に記録していきたいと思います。



関空を出発したインド航空機は香港に立ち寄って、乗客の乗降、給油をすませました。デリーまでの乗客は機内で待機。

香港からのルートは、座席のディスプレイで見ると中国雲南省上空にはいりほぼ真西に飛行していきました。



新設されたデリー空港では、巨大な手のひらの印が出迎えます。

到着した日は、空港近くのホテルで1泊。翌日は早朝に起こされて、食事のあとに空港に戻り国内線で移動です。



北インドの都市、ラクノ-(Lucknow)まで飛びました。この都市は、Uttar Pradesh州の首都です。道路に交通信号はなく、ロータリー(roudabout)で交通整理しています。



この州の知事は、女性で、しかも仏教信者だとインド人ガイドから聞きました。インドの仏教は非常に信者数が少なく、しかも社会の最下層の人々が多いそうです。



道路脇の目立つ場所に、大きな政治看板が立っています。この看板は女性知事の実績を誇る掲示のようでした。



都会の道路橋の下は雨が避けられるため、浮浪者が寝ています。

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デリーから関空へ

2011-09-10 | インド仏教研修2011
デリーの空港は1年前に新しくなっていて、将来の拡大を見越して驚くほど大規模でした。



チェックイン。

免税品店も多数。

ほぼ定刻に出発しましたq
香港経由便ですが、往路同様に機内待機です。掃除の人や、空港係官などが乗り込んできます。狭い椅子に座っていると足が萎えるので、座席の周りで立ったり座ったりしました。いわゆる「エコノミ-クラス症候群」。

香港で8割位の乗客が降りて、それよりはやや少ないお客が乗り込んできました。若い中国人のツアーが周辺に座りました。日本で、ぜひいっぱいお金を使ってください。



関空に到着。

研修中の写真と記事は整理してから、ぼちぼち掲載していきます。

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インド門(デリー)

2011-09-09 | インド仏教研修2011
インドの国道2号線を数時間バスで北に走りました。この国道の舗装は田舎と比べてまずまず良い。



馬車、リクシャ(自転車で引く乗物、人力車からの借用語)、三輪自動車、オートバイ、自転車、自動車、そして当然、人、牛、犬、時には猿が路上に共存する地方都市を通り抜けて、一路首都へ。

首都の周辺には、有料の高速道路(立体交差)が出来ていましたが一部だけ長くは続きません。多少の交通渋滞はありましたが、まずは順調にデリーに入ることができました。



これはデリーの中心、インド門。
事件現場はここから1キロくらいと思いますが、厳戒の雰囲気はなく日常的な交通整理でした。



地元テレビ番組では、昨日のテロに対して、コメンテーターから政治家、行政、警察の職務怠慢を議論しています。

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タージマハール

2011-09-08 | インド仏教研修2011
デリー(インド)から南に200キロ離れたアグラにある世界遺産のタージマハールを見学しました。



インド人の観光客はもちろん、世界中からお客さんが来ています。

イスラム教の皇帝が亡くなった妻を偲んで17世紀に建設したモニュメントです。

デリーでは、9月7日に死傷者のでる爆弾事件があったようです。なかなか南アジアの諸国では政治問題に起因する治安が不安定です。そのため、国の経済開発が遅れて、国民の生活もなかなか良くならないと思います。

(投稿が細切れにになって恐縮です)

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祇園精舎の鐘

2011-09-04 | インド仏教研修2011
日本の有志団体が30年ほど前に寄贈して設置した「祇園精舎の鐘」が、ここインドの祇園精舎(サハート)にあります。



自由に鐘を突いてもいいのいで、世界の平和を祈念して突かせていただきました。



バスで移動します。途中の休憩です。



道路に面した草葺きの小屋でチャイ(お茶)を注文しました。濃いミルクティーで砂糖も入っています。5ルピー(10円)でした。



地元の子供たちが集まってきました。観光地ではないので、外国人が珍しいようです。チップをねだったりもしません。
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祇園精舎

2011-08-30 | インド仏教研修2011
突然ですが、先週末の日曜日出発でインド研修旅行をしています。
ホテルでネットが使えたので、割り込んで写真だけ少しupします。

HK経由、デリーに飛び空港近くで1泊。翌日早朝にデリーからラクノウへ飛び、そのあとは貸切バスで延々と、デコボコ道を走って、シュラーヴァスティに到着。この村にはかつて祇園精舎(サハート)と呼ばれた聖地があります。



これは菩提樹、釈迦がこの木の下で説法をしたとされています。その当時から代替わりしていない木だと伝えられています・・樹齢は約2500年もたっているのかなあ。

スリランカからの仏教信者団体300人くらいの人々が参拝していました。



遺跡の上部にある広場に信者さんが献花した赤い花が敷き詰められていました。



お勤めの様子です。



これはスリランカの人々です。

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