日本の篤志家が設立した「祇園精舎の鐘」(1981年建立)。
既出の記事はこちら。
ネパール国境に近いピプラハワのストゥーパから1898年銘文入りの舎利壺が発見され、シャカ族の都カピラヴァストゥであると比定されました。
その仏舎利は、現在、デリーの国立博物館に展示されています。
釈尊の父、シャカ族の王とその家族はこの城に住んでいたことになります。ネパール側にもカピラヴァストゥがあるようですが、当時にはインド・ネパールの国がなかったので同じ地域だったのでしょう。
我らはネパールに向かってバスに乗って村々を抜けていきます。
やぎを何匹も並べて取引をしていました。
この翌日はイスラムのラマダンが明ける日なので、その時のごちそう(犠牲)として山羊を買いに来ているそうです。
黄色いお菓子も並べて販売しています。とても甘そうです。
これは、路上に鎮座する電力トランス。金網の柵もありません。感電の危険があると思うのですが、建設とメンテナンスの容易性を優先しているのでしょう。
さて、ついに、国境に到着です。
地元の人々は、見かけ上自由に交通しています。
われらは所定の手続きをしますが、インド人ガイドがパスポートと両国の通関書類をまとめて代行してくれるので、30分くらいバスの中で待つだけ。
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ネパール国境に近いピプラハワのストゥーパから1898年銘文入りの舎利壺が発見され、シャカ族の都カピラヴァストゥであると比定されました。
その仏舎利は、現在、デリーの国立博物館に展示されています。
釈尊の父、シャカ族の王とその家族はこの城に住んでいたことになります。ネパール側にもカピラヴァストゥがあるようですが、当時にはインド・ネパールの国がなかったので同じ地域だったのでしょう。
我らはネパールに向かってバスに乗って村々を抜けていきます。
やぎを何匹も並べて取引をしていました。
この翌日はイスラムのラマダンが明ける日なので、その時のごちそう(犠牲)として山羊を買いに来ているそうです。
黄色いお菓子も並べて販売しています。とても甘そうです。
これは、路上に鎮座する電力トランス。金網の柵もありません。感電の危険があると思うのですが、建設とメンテナンスの容易性を優先しているのでしょう。
さて、ついに、国境に到着です。
地元の人々は、見かけ上自由に交通しています。
われらは所定の手続きをしますが、インド人ガイドがパスポートと両国の通関書類をまとめて代行してくれるので、30分くらいバスの中で待つだけ。
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