東京都北区の石造物巡り、北区の町毎に回ってゆくのだが、初回の、赤羽西については、6丁目から1丁目に逆に進んでゆくことは、既に述べた。
で、今回は赤羽西2丁目。
▽庚申塔(赤羽西2-19-25)
真正寺坂の上り口、交番と恭愛クリニックの間の坂上に向かって左にある。
明和六年(1770)造立だから約350年前の年代物。
野ざらしだったから、摩滅して刻字は読めない。
右側面には「これよりいたばしミチ」と彫られていると資料にはある。
真新しい供花が、今なお、信仰するものがいることを物語っている。
▽真言宗智山派・普門院蓮華寺(赤羽西2-14-20)
奥行きのある参道が緩やかな坂道で、その上に中国風の石楼門がそびえている。
異国情緒たっぷりで、思わず「えっ?何、あれは」と呟いてしまった。
山門を入ると左に六地蔵。
色違いの頭巾とスカーフに寺の配慮がにじみ出ている。
境内の大半は墓地だが、植木が目隠しになって、墓地の印象は薄い。
参道の向こうにそびえる塔も日本ではめったに見かけない仏塔。
インドのブッダガヤの大菩薩塔を模した納骨堂。
塔の四隅には、宝篋印塔を配し、
東西南北の四面には、石仏がおわす。
塔全体が金網で覆われている。
植栽で気づきにくいが、注意してみると石仏があちこちにおわす。
板碑
不動明王
馬頭観音
幸福の七か条なる一風変わった掲示板がある。
第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的とすることを行ってはならない。
第二条 しないではいられないことを続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまでも自分の楽しさを追求すべし。
第四条 好きの力を信じろ。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 怠け者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じろ。
みずきしげる
とりわけ5と6が凄い。
常識的ではないが、掲示するのだから、住職も賛同するのだろう。
意表をついて、面白い。
山門を出ると左に朱色の鳥居がある。
鳥居には「陀羅尼」とあり、
また、柱には「道灌山稲荷講/講元・講員一同」と記されている。
陀羅尼天は、インドの女鬼神。
真言密教では、陀羅尼天と日本古来の稲荷神を同一神とした。
だから、陀羅尼天と稲荷講が同居することに何ら不思議はない。
当然、陀羅尼天の別当は、普門院ということになり、神仏混合の名残は今もこうして生き残ることになる。3913
▽曹洞宗・自得山静勝寺(赤羽西1-21-17)
これまでの鳳生寺、法真寺、香取神社、普門院と同じように武蔵野台地の東端に位置して、岩槻街道を見下ろす高台にある。
岩槻街道からの参道突き当りには、50余段の石段。
心臓を病み、足の関節炎を患う身には、上ることが一仕事。
やっと登り切ったところが道灌山。
静勝寺の境内は、太田道灌が築いた山城、稲付城の跡地なのです。
靜勝寺の「靜勝」は、太田道灌の戒名「香月院殿春苑静勝大居士」から取ったもの。
本堂
もともと道灌は、「兵は静かなるを以て勝つ」という兵書の一文を好んだと言われている。
参道石段を上り、山門をくぐると正面に見えるのが道灌堂。
その右の弁天堂については、後述する。
家康入府前から寺にしては、石仏が極めて少ない。
目ぼしいものは、参道石段脇のお地蔵さん位。
稲付村の人たちの浄財で寛政3年(1791)に造立された。
「三界万霊」とあるから、生きとし生きる万霊の菩提を願うものか。
▽亀ケ池弁天堂(赤羽西1-29-16)
バスの窓から外を見ていて、一瞬、真っ赤な塊が通り過ぎる。
そこが亀ケ池弁天堂。
赤い塊は、弁天堂の幟だった。
崖地とビルに挟まれた場所に池というには小さな池があって、中に祠が設えられている。
今はかわいらしい池だが、昔は稲付城の天然の濠だったのだそうだ。
ご神体の弁財天はこの池から掘り出されたものだが、なぜかここにはなく、別当寺の静勝寺にある。
静勝寺保存の弁財天
ここの弁天様は、静勝寺のコピーだというから、「本末転倒」の四文字熟語が頭に浮かぶ。
▽庚申塔(赤羽西1-36-1)
大坂といい、狸といい、政右衛門坂とも云う坂の途中の幼稚園の一画に祠が二つ。
祠と祠の間に、「庚申」と「雷神」の石碑が壁にはめ込まれている。
祠の一つにおわすのは、不動明王。
3基並んでいる石塔は、左から「六根(清浄)」、「清瀧不動尊」、「祭主石井隆三」。
石井隆三なる人物像は不明。
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