2015年11月のテーマは「山梨市の丸石道祖神」。1日からは、八幡地区を5回に分けて、16日からは、山梨、加納岩、日下部、日川、後屋敷を各地区ごとに分けて掲載します。
各地区は、昭和29年、合併して旧山梨市になる前の町村です。なお、岩手地区は、日程の都合で取材していません。
加納岩(かのいわ)地区は、昭和29年合併前の加納岩町。JR山梨市駅周辺、笛吹川左岸、重川右岸にあたる。
地区には、16か所に道祖神があるが、道祖神祭で小屋掛けをするのは、2か所だけとなっている。(平成17年刊行『山梨市史 民俗編』P416)
都市化が進んだ地区と云えるのかもしれない。
▼大野 1124番地路傍 下組道祖神場
4段重ねの台石に直径48㎝の丸石神がどっしりと安定した形でおわす。
裏面に「大正五年九月改築」とある。
改築されたのは台石なのか、丸石か。
横に「蚕大神」。
バックは果樹園。
山梨市の典型的景色と云えよう。
▼大野 市営大野団地南側 西組道祖神場
道祖神祭で小屋掛けをする祭場が少なくなった、と市史には書いてあるが、こうした風景を見ると、それも時代の趨勢かと思ってしまう。
▼大野 402番地路傍上組道祖神場
道路ミラーがあるので丸石神の高さが分かる。
158㎝もの高さがある。
真円ではないが、なめらかな球体。
文久三年(1863)造立というから、石工が細工したものか。
▼大野 12番地路傍 北組道祖神場
「大野北組では、旧来の慣習を引き継いでいる。供物としてアズキメシを焚き、握り飯を道祖神祭の参加者に配る。また、当番家をヤドにして、オヒマチが行われる。この折、道祖神場から、真ん中に安置されている丸石を運び、サンダワラに御幣を挿した船にのせ床の間に祀っておく。」(『山梨市史 民俗編』P417)
▼大野 天神社 南組道祖神場
天神社の境内地を区切って、その外側に丸石道祖神はおわす。
神は神でも、道祖神は、境内社にはならない(なれない?)のだろう。
3個の丸石の上に1個、4個の丸石神は今回、他にもう1基だけ見た。
▼下神内川586番地 中組道祖神場
かのがわ古道
下神内川の道祖神は、かのがわ(神内川)古道沿いにある。
かのがわ古道は、昭和30年代の旧山梨市のこの界隈を再現したもので、道の両側に石仏が点在している。
中組道祖神場
中組道祖神場には、丸石神もあるが、ここの御神体は男女双体像。
かのがわ古道が観光客を意識して造られたためか、市が設置した説明板がある。
文字で「道祖神場」と表記してあるのは、初めて見た。
道脇の小川の流れに従って進んでゆくと右手に2個の丸石が見える。
しっかりした石組みの土台の上にあるので、誰もが丸石道祖神だと思うだろうが、市の説明板は、それを否定している。
その説明が実証的で、かつ面白い。
「道祖神場は、除け地(租税免除の土地)であるのが普通だが、天保9年(1838)の下神内川村村監明細帳には、この場所は除け地として扱われていない。従ってここは道祖神場ではない。道祖神ではない丸石信仰なのか、他から持ってきたものか、分からない」
なにげなく置かれている石仏にも珍品がある。
これは、三体馬頭観音。
三面馬頭観音は珍しくないが、三体馬頭観音は極めて珍しい。
三体馬頭観音の背後の自然石と丸石は屋敷神なのだそうだ。
自然石は、石棒の様にも見えるが、どうなのか。
▼上神内川 1214番地 育成会館広場
『山梨市の石造物 平成13年』の写真では2個の丸石が、枠内に大きいのが4個、小さいのが3個、それに枠外に大1個、計8個の丸石があった。
「山梨市の丸石道祖神(八幡地区)で詳述したが、ここでもう一度、道祖神祭の段取りをおさらいしておく。
祭場によって少しずつ違う上に、時代によっても異なった。
これは戦前の一般的な祭の流れだと思ってください。
(1)1月7日、子供たちが門松を集める。
(2)1月11日、集めた門松などで小屋を造り、高いさおに竹のヤナギをあしらい、おこん袋をぶら下げてオヤマをたてる。一方、子供たちは各戸を回り、金銭や菓子を集めて歩く。
(3)14日、集めた金品を道祖神に供え、夕方、小屋や門松を燃やすドンド焼きをする。繭玉団子を焼いて食べて健康を祈り、習字を燃やして書道の上達を願う。
▼上神内川1110番地路傍
こ
この写真の狙いは、道祖神はどんな場所にあるのかを分かってもらうこと。
道路に面していて、ちょっと凹んだ場所。
火を燃やしても安全な場所。
人が集まりやすい場所。
▼上神内川842番地 道祖神場
道祖神がどんな場所にあるかを書いたばかりだが、こんな恵まれた道祖神場もある。
果樹園への私道を兼ねた区切られた広い空間。
車が通らないから子供たちは安心して騒ぐことが出来る。
道祖神の右の石碑は、「蚕影山」と「石尊山」。
「石尊山」の本社は相模大山の阿夫利神社。
山梨市には、石尊神社がいくつかあります。
「蚕影山」と「石尊山」の間の突起物と小さな丸石は何だろうか。
男と女と私は見たが、どう思いますか。
これで加納岩地区は終わり。
急速な市街化で大規模な火祭り(ドンド焼き)が出来なくなるとともに低調でつまらない祭りは廃れる一方だ、と『山梨市史』はまとめているが、その対策案は出されていない。
もうお手上げということなのだろうか。
≪続き≫
◇参考図書
〇『山梨市史 民俗編』平成17年
〇市史編纂委『山梨市の石造物』平成13年
〇中沢厚『山梨県の道祖神』昭和48年
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