石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

114山梨市の丸石道祖神(八幡地区ー2)

2015-11-04 06:06:38 | 民俗

2015年11月のテーマは「山梨市の丸石道祖神」。1日からは、八幡地区を5回に分けて、16日からは、山梨、日川、日下部、後屋敷、加納岩を各地区ごとに分けて掲載します。
八幡地区は、昭和29年、合併して旧山梨市になる前の東山梨郡八幡村のこと。南、北、江曽原、市川、大工、堀内、水口、切差の8集落から成る。

 

▼南1337番地路傍

丁度、丸石だけが日陰になって按配がよろしくない。

陽が差すまで待てる、おおらかな人間に憧れるが死ぬまでダメだろう。

戦前、この中組道祖神はなかった。

上組か下組道祖神祭に参加していたが、自分たちのが欲しいということで、戦後、ここに造立した。

光を受けて丸い石が転がっている。

どこかで丸い石を見つければ、つい、持ち帰ってしまうんだろうか、山梨県民は。

 ▼北 元JA八幡北支所西側

 

道祖神や庚申塔は、その性質から人の集まりやすい場所にあることが多い。

現代、人が集まる場所にあるのはごみ置き場。

神とごみが並ぶ風景は、今や日常化してなんの違和感もない。

ここから左へカメラを向けたのが下の写真。

のんびりとして、人影はない。

人の集まる場所に神とごみが同居、と書いたが、そもそも人が集まることはあるのだろうか。

 ▼江曽原橋北詰

上の写真には、大事なポイントが3点ある。

一つは、道祖神が丸石ではなく、男女双体像であること。

なぜ、丸石ではなく、双体像なのか、設置理由を知りたいものだ。

二つめは、巨大な「蚕影山(こかげさん)」碑。

「蚕影山」は、文字通り蚕の神様。

本社は、茨城県つくば市にある。

これまでは、偶然にも丸石神道祖神単独の写真ばかりだったが、山梨市では、丸石神と蚕神がセットになっている祭場が圧倒的に多い。

山梨市の中でも、とりわけここ八幡地域は、養蚕が盛んな地域だった。

江戸時代後期から昭和30年代まで、地域の主産業は養蚕だった。

今では全滅して果樹栽培に切り替わっているが、昔の面影は農家の建物に色濃く反映している。

注目ポイント3点目は、「蚕影山」碑背後の農家の建物。

やたらに大きな建物であるのは、2階が蚕室だったからです。

▼江曽原835番地路傍

江曽原橋を渡って緩やかな坂道を上って集落に入る。

奥まった農家の庭先に丸石道祖神が在す。

傍らに双体道祖神が見える。

像容は磨滅して辛うじてそれと判るくらい。

丸石神の台石には「道祖神」の文字。

右側面には「寛政/七乙卯/仲冬/願主/若衆中」とある。

写真を撮っていたら農家の御主人が出てきた。

「昔はもっと広かった」と立ち位置でその広さを教えてくれる。

ご主人の背後の隣家は、広い蚕室の2階屋。

「無用の長物」とはこのことか。

物がなしい風景です。

▼市川608番地路傍

ちょっと広いが四辻の一画。

初めて丸石4個の道祖神に出会う。

今回、山梨市の丸石神めぐりでは、1個から約80個のものまであった。

何個でなければならない、という決まりはないようだ。

台座裏面に「文化十三子年師走吉日」と横書きされている。

傍らの石碑は「蚕影大神」。

≪続く≫

◇参考図書 

〇『山梨市史 民俗編』平成17年

〇市史編纂委『山梨市の石造物』平成13年

〇中沢厚『山梨県の道祖神』昭和48年

 


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