石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

125 シリーズ東京の寺町(9)谷中寺町-3(谷中1丁目のハ)

2016-08-10 07:55:00 | 寺町

玉林寺を出て、善光寺坂を上がる。

左側は、寺が続いている。

本光寺の角を左折、宗善寺までの一画が谷中1丁目。

道順に回って行くことに。

6 日蓮宗妙経山信行寺(谷中1-5-7)

句碑がある。

「おくられて わかれるみちや 屋なかむら 理頭」

ネット検索してみたが、理頭ではヒットせず。

日蓮宗寺院に付きものの浄行菩薩がおわす。

7 日蓮宗究竟山妙情寺(谷中1-5-5)

掲示板に「今月の聖語」。

他宗では、各寺院が「聖語」を書くが、日蓮宗では本部から送られて来た「今月の聖語」が掲示されている。

紀念碑がある。

何の紀念碑かと思ったら、天王寺からの借地だった境内地を檀信徒の助力で寺の所有地にした、その記念碑。

寛文六年の石塔がある。

寺縁起では、寛永年間創立の妙浄寺を中興したのは、京都立本寺十八世霊鷲院日審上人ということになっている。

その日審上人の墓標のようだ。

 

8 日蓮宗仏寿山上聖寺(谷中1-5-3)

季節がら、本堂にお盆燈籠が下がっている。

境内に石仏はない。

石仏はないが、石カエルはいる。

寺院には多い縁起物で、「無事かえる」とか「むかえる」とかの意だとか。

石仏はない、と書いたが、境内の隅の水子観音堂前には、観音ならぬ子安地蔵が2体おわす。

それにしても「水子観世音菩薩」という菩薩名は、初めて見るような気がする。

「水子地蔵」ではなく、「水子観音」なのは、かぜなのだろうか。

 

9 日蓮宗長原山本光寺(谷中1-5-2)

秋葉家の墓域に石碑が立っている。

少し長いが、書き写しておく。

「           

 四代 秋葉大助は天保十四年生まれ人力車の始祖なり
 資性英邁にして気を見るに敏 丈余の体躯と文武の力量に秀でたり 秋葉家に入り 
 て三代大助の素志を継ぎ人力車を完成 世に廣く販布し絶大なる好評を博せり 人          
 力車は明治初年の交通機関として社会全般に利用せられ 特に医師、芸能界には欠  
 く事の出来ぬ交通機関となりて 文芸、絵画、演劇に至るまで 明治の風俗に浸透
 し現今に至りても文明開化期のよき乗り物として 世人の懐古するところとなれり
      昭和四十九年十月建之
                                孫 秋葉紀務
                                 秋葉泰正」

寺の境内や墓地にある墓の人物紹介は、自治体の教育委員会の手になるものが大半です。

これは、台東区の教育委員会ではなく、秋葉家が建てたもの。

政治家、財界人、学者、文化人、芸能人だけでなく、こうした世俗の時の人も、教育委員会で紹介したほうがいい、と私は思うのですが。

10 日蓮宗顕寿山仏心寺(谷中1-5-35)

本光寺の角を左折、すぐ左に見えてくるのが、仏心寺の山門。

山門の奥に伸びる参道の両側は、緑に覆われている。

突然、右に広がりが・・・

奥に本堂、右手に、祖師日蓮の銅像、宝篋印塔、無縁供養塔がある。

他には何もない。

墓地は、参道の突当りに広がっている。

 *次の更新日は、8月15日です。

≪参考図書≫

◇台東区教委『台東区の歴史散歩』昭和55年

◇石田良介『谷根千百景』平成11年

◇和田信子『大江戸めぐりー御府内八十八ケ所』2002年

◇森まゆみ『谷中スケッチブック』1994年

◇木村春雄『谷中の今昔』昭和33年

◇会田範治『谷中叢話』昭和36年

◇工藤寛正『東京お墓散歩2002年』

◇酒井不二雄『東京路上細見3』1998年

◇望月真澄『江戸の法華信仰』平成27年

▽猫のあしあとhttp://www.tesshow.jp/index.html

 

 

 

 


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