石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

55 椀状凹みを探して日光街道を行く(1)日本橋ー杉戸宿

2013-05-16 05:33:58 | 民間信仰

去年の年末、第44回と第45回の2回にわたって「凹み穴のある石造物(板橋編)」をUPした。

「凹み穴」は、石仏、石碑、石塔等の石造物に穿たれた椀状または杯状の穴のこと。

 三学院(蕨市)の子育て地蔵台石の椀状凹み

「凹み穴」が誰の手によって、何時、何のために穿たれたのかは、一切不明です。

私が調べた板橋区の寺社、路傍122個所の石造物では、62基に「凹み穴」がありました。

その報告の最後に、板橋区に「凹み穴」があることは確認できたが、都内の他区ではどうなのか、千葉県、神奈川県など隣県ではどうなのか、調べた上で報告したいと結んであります。

その後、別用で訪れた寺社でたまたま「凹み穴」を見たのは、北区、足立区、荒川区、葛飾区、練馬区、中野区、文京区、品川区、大田区などでした。

埼玉県に接した北部地域が多いのですが、西部の中野区、南部の品川、大田区でも確認されて、都区内全域に「凹み穴」はあると言ってもよさそうです。

では、23区を出るとどうなっているのか。

「凹み穴」は関東ローカルのものなのか、全国的なものなのか、。

東海道か中山道を行けば、その答えが得られそうだが、残念ながら体力とお金がない。

距離が短くて問題はあるが、日光街道でその答えの一端を見出そうというのが、今回のブログの目的です。

街道をゆくのだから、スタート地点は、日本橋。

   船上から見た日本橋

写真は、日本橋川 を行く船から撮った日本橋。

江戸時代の人たちは健脚だった。

日光まで24宿を2泊3日で歩き切ったという。

でも、「あそこが痛い、ここが悪い」と毎日喚いている身としては、歩き通すことなど夢のまた夢。

電車か車で行っては、宿場の寺社を回ろうという心づもり。。

街道の宿場には、その地域の主要な寺社があるので、数は限定的でも大まかな傾向は掴めるはずです。

 

日本橋を出発、小伝馬町から江戸通りに出て、浅草橋を渡る。

(注:地図がほしいところだが、地図が入れられない。いつものことですみません)

小さな神社がいくつかあるけれど無視。

日光街道最初の寺は、何といっても浅草寺でしょう。

     浅草寺(台東区)

2012年正月のブログ「浅草寺の石碑と石仏」の為に撮った400枚程の写真をチェックするが、椀状凹みは見つからない。

でも楽観視していました。

椀状凹みは、石造物の台石に穿たれることが多く、また、手水鉢など普通は撮影の対象とはならないものによく見られるからです。(注:「凹み穴」では穴の状態が分からないので、以降「椀状凹み」を使用します)

案の定、浅草寺に着いて早速、椀状凹みを発見。

仁王門を入って右手の「濡れ仏」・二尊仏の前の手水鉢にありました。

   左 勢至菩薩         右 観音菩薩

私の身長は、165㎝。

写真の手前に横たわるのが手水鉢ですが、目線の上にあって、凹みの有無は分かりません。

デジカメを差し上げてパチリ、穴のあることを確認しました。

となれば、きちんと撮りたい。

野次馬の目を気にしながらよじ登り、見下ろして撮ったのが上の写真です。

その昔、手水鉢は地面に置かれていたのでしょう。

でなければ穴を穿つことは出来ないのですから。

 

浅草寺では、この他、2か所で椀状凹みを見かけました。

いずれも狛犬で、一つは弁天堂で、一つは浅草神社境内で。

 

  弁天堂の狛犬                     狛犬の頭の椀状凹み

なぜか、両方とも頭のてっぺんに凹みがあります。

 

   浅草神社の狛犬               向かって右の狛犬の頭

まさかこれが狛犬のデザインではないだろうとは思うのですが。

 

浅草寺を出ると言問橋西の分岐点。

ここで「待乳山聖天はどっちへ?」と訊いたら、「どっちを行っても同じ」と云われた。

    待乳山聖天

分岐点を三角形の頂点とすると、ほぼ同じくらいの地点を結んだ底辺一杯に待乳山聖天はあるから、この答えは正しいことになる。

分岐点から左の道を待乳山聖天を右に見ながら進むと南千住駅。

  

   首切り地蔵             回向院            素盞雄神社

左に首切り地蔵と回向院を見ながら行くと素盞雄神社にぶつかります。

そのどこにも椀状凹みはありません。

   ー千住宿ー

隅田川にかかる千住大橋を渡れば、日光街道初宿の千住宿。

国道4号線と別れて、旧日光街道は北千住のごみごみした町並みに入ります。

      宿場町通り

宿場通りという商店街のようだ。

 

                        横山家住宅

飛脚のタイルと商家造りの旧家が宿場の匂いを放っています。

たまたま最初に入った勝専寺に探していた椀状凹みはあった。

      六地蔵(勝専寺)

六地蔵の足元の、線香置きと供花の花瓶を乗せる石台に穴があいている。

これは幸先がいいと喜んだが、後が続かない。

  

 左が遊女の墓(金蔵寺)      千手元氷川神社        長円寺    

 

  氷川神社            安養院

遊女の墓がある金蔵寺、千住元氷川神社、長円寺、氷川神社、安養院と全て空振り。

    千住新橋

安養院から荒川土手に上がり、千住新橋を渡る。

渡り終えると国道4号線と別れ、荒川沿いに西へ。

    善立寺

善立寺というガランと境内がだっ広い寺を右折、東武伊勢崎線のガードをくぐるとあとは草加まで一直線。

環七を過ぎると国土安穏寺や鷲神社がある。

格式高い寺社だが、椀状凹みはない。

 

 国土安穏寺            鷲神社

私のお気に入りは、六月(ろくがつ)町の炎天寺。

        炎天寺

素敵な町名に個性的な寺号。

一茶が「やせ蛙まけるな一茶ここにあり」と詠んだとかで、境内には句碑と蛙の置物が多い。

石仏、石碑の保存もきちんと行われていて、椀状凹みを期待したが、残念ながらなかった。

しかし、このあと3か寺続いて、椀状凹みに出会うことになるのです。

 

   万福寺の弘法大師碑

炎天寺の隣、万福寺では「弘法大師」碑の台石が穿たれています。

右下の白い部分は穴を埋めたセメントでしょうか。

  

           常楽寺の四国八十八カ所巡礼供養塔

常楽寺では、四国八十八所巡礼供養塔の頭に穴があります。

 

    宝積寺の「南無遍照金剛」塔と台石の凹み

そして、宝積寺、門前の「南無遍照金剛」塔の台石がボコボコです。

これも修理の跡が見られます。

 

道の先に赤と白の高い煙突。

都の清掃工場の煙突だが、それを目指して進むと川にぶつかる。

東京都と埼玉県の境界線の毛長川。

橋を渡って草加市に入る。

そこから7,8分で東武谷塚駅。

駅前の浅間神社に椀状凹みがありました。

 

 浅間神社の手水鉢              椀状凹みと修理跡

手水鉢の椀状凹みはセメントで埋めてあるが、修理の跡は隠しようがないほど歴然としている。

問題は、浅間神社の隣の善福寺の庚申塔。

 

      善福寺の庚申塔と台石の浅い凹み

花立ての穴の横に白い汚れがいくつか見える。

浅い穴に埃がたまって白く見えるのだが、この穴は人為的なものなのかどうか。

こうした疑義が残るものは除外したほうがいいようだ。

 

   ー草加宿ー

やがて道が二股に分かれている。

左が草加宿への道。

  

 市役所内地蔵堂            回向院

 

      東福寺              神明社

市役所敷地内の地蔵堂、回向院、東福寺と宿場を通り過ぎて、神明宮が宿場の最北端になります。

松尾芭蕉像や正岡子規碑を見ながら、望楼へ。

綾瀬川沿いの松並木と一直線に伸びる遊歩道が見えます。

この視界には寺社は皆無。

綾瀬川を超えると越谷市に入ります。

     ー越谷宿ー

越谷市に入るとすぐに、清蔵院。

 

   清蔵院 

そこから蒲生駅、南越谷駅を越え、三つめの越谷駅まで日光街道沿いに寺社はありません。

  

     照蓮院             光明院              香取神社

宿場に入っても南端に照蓮院が、そして北端に光明院、香取神社があるだけで、宿場の中にはこれといった寺社はありません。

もしかしたら、越谷宿には椀状凹みはないかもしれないと思い始めていたその時、見つけました。

香取神社の燈籠に多数の椀状凹み。

 

        香取神社の燈籠と台石の椀状凹み

なぜかホッと一息。

北越谷駅を通り東武鉄道の踏切を越えた所に変わった庚申塔があります。

土手の向こうは、元荒川。

道路に向いて、石造物が数基立っている。

 

                     道標を兼ねた庚申塔

中の1基が文字庚申塔。

正面は、「青面金剛」で側面が道標という珍品。

道標には「左 じおんじ のじま 道」とある。

そのまま北上、再び、東武鉄道の踏切を越えると大袋駅。

駅の手前に墓地がある。

その片隅に石仏があるのに気がついた。

           大里自治会館

がらんと無意味な広がりは、寺の跡地だろうか。

平屋建ての建物には「大里自治会館」の看板がかかっている。

廃棄仏のように横たわった石造物の傍らに五輪塔や阿弥陀如来がおわす。

青面金剛の台石に椀状凹みがある。

 

         青面金剛石柱の台座と頂部の椀状凹み

台石ばかり注視してうっかり見逃すところだったが、この石塔の頂部にも、また、椀状凹みがあった。

頂部の穴といえば、大里自治会館から歩いて10分ほど北にある香取神社にも同じものがある。

 

                  香取神社の石柱と頂部の椀状凹み

鳥居の前2基の石柱の頂部には、明らかな凹み。

石柱の用途も頂部の穴の意味も、不明です。

 

並行して走っていた国道4号線と合流する。

左手はせんげん台駅だから、1,2分で春日部市に入ります。

春日部市に入っても粕壁宿は遠い。

「かすかべ」の表記は時代とともに変遷して来たらしい。

元々は新田義貞の家臣春日部氏が当地を支配したことから「春日部」の地名が生まれたが、江戸時代以降は、「粕壁」、「糟壁」が交互に使われていたという。

明治になり、粕壁に統一されてきたが、昭和の町村合併で春日部町となったというもの。

     ー粕壁宿ー

北へ進む国道4号と別れて西へと伸びる道が日光街道。

分岐点にあるのが、東陽寺。

 

     国道4号と日光街道の分岐点にある東陽寺

宿場らしい建物が点在しているが、寺社は宿場内にはない。

 

                   粕壁宿の蔵造り旧家

  粕壁宿の裏を流れる大落古利根川

宿場の西のはずれに寺町として集まっている。

              春日部市の寺町

この辺りの寺社は、以前、石仏めぐりで回ったことがある。

  

     普門院              最勝院                大日寺 

だから、保存フアイルの写真をチェックしてみたのだが、椀状凹みは見当たらなかった。

  

     玉蔵院             妙楽院                神明社

 しかし、だからと云って、椀状凹みはこの地域にはないと断言もできないのです。

興味関心がなければ、写真に撮ることもないわけで、もしかしたら、凹みはあるかもしれない。

こうしてどの寺社も、意気の上がらない二度目の訪問となったわけです。

結論から言うと9寺社回って、椀状凹みはゼロ。

写真フアイルで見た通りでした。

がっかりして帰りの電車に乗りましたが、まだ行ったことがない神社があることに気づいて、次の八木崎駅で下車。

これがよかった。

向かったのは、春日部八幡神社。

       春日部八幡神社

いくつもの境内社のなかのひとつ稲荷神社の石段の横に、とろけて原形をとどめない5基の石造物と手水鉢がある。

 

その手水鉢に椀状凹みがあった。

廃棄する予定だが、まだそのまま残してある、そうした古い石造物に椀状凹みはあるようだ。

 

次は、杉戸宿。

東武動物公園駅で下車、大落古利根川を渡って日光街道へ。

    -杉戸宿ー

大落古利根川の右に沿って日光街道が走っている

四つ角の信託銀行が宿場の問屋場(といやば)跡。

     杉戸宿問屋場跡

杉戸町には宿場跡地の説明板がないから、分かりにくい。

町おこしにこうした文化遺産を利用すればいいのに、と思う。

四つ角を右折して春日部方向へ。

来迎院、君近神社、東福寺、稲荷神社と回るが、椀状凹みはない。

  

     来迎寺               君近神社

 

 

    東福寺                愛宕神社

「これはダメかな」とやや捨て鉢な気分で向かった神明神社に、それはあった。

四隅の穴とは別に縁にもいくつか凹みがあるのが分かる。

 

                 神明神社と椀状凹みのある手水鉢

杉戸宿には、もう一カ所、椀状凹みのある場所があった。

宝性院。

         宝性院

墓地の壁に沿って無縁墓が並んでいる。

その一角に六地蔵と並んで1体の地蔵が立っていらっしゃる。

 

           地蔵菩薩と台石の椀状凹み

その台石に穿たれた跡がある。

和尚に訊いたら、以前は山門を入った場所におわしたのだそうだ。

杉戸の街中では、日光道中の文字を目にしなかったが、思いがけず、宝性寺の境内で見かけた。

道標を兼ねた馬頭観音で、「馬頭観音」も「日光道中」も惚れ惚れするようなおおらかな字。

出来ることなら日光街道に面して立っていてほしい、とこれは私の勝手な願いです。

 

次回は、栗橋宿から。

どうも日光まで、椀状凹みはありそうな気がするが果たしてどうなのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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