石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

58 椀状凹みを探して日光街道を行く(3)間々田宿ー雀宮宿

2013-07-01 05:43:56 | 民間信仰

「椀状凹みを探して日光街道を行」って小山市へ。

面白いような面白くないような、落ち着かない気分。

大体、これぐらい実物をみてくれば、共通点だとかに気付くものだけれど、さっぱりその気配はない。

椀状凹みを穿った理由が分からないまま実物を探し続けることに、果たして意味はあるのだろうか。

もともと少ないブログの閲覧者数は減少する一方。

閲覧する魅力に乏しいことが、はっきりして来たようだ。

途中でやめるのは簡単だが、投げ出したからといって気分が晴れることはなさそう。

物事を途中で投げ出すことは、性分に合わないからです。

だから、このまま突っ走るだけ。

ゴールの日光まで、あと、2回、お付き合いください。

 

  ー間々田宿ー

 小山市に入って約2キロ、JR間々田駅の手前にあるのが仏光寺。

   仏光寺(小山市南乙女)

山門を入って左手の2基の十九夜塔に椀状凹みがある。

 

   仏光寺の2基の十九夜塔         

石塔は真っ黒で文字は読めない。

被写体と背景の明暗の差が激しいから仕方ない、というのは言い訳で、要するに撮るのが下手なのです。

間々田駅からの駅前通りとぶつかったら左へ。

乙女不動尊へ向かう。

地図では,泉竜寺と表示されている。

 乙女不動尊(小山市乙女)

乙女と不動明王、これほどミスマッチな名前も珍しい。

しかし、乙女は地名だから、これはこれで至極当然な名称なのです。

朱塗りの仁王門の前の宝筐印塔に椀状凹みが見られる。

 

宝筐印塔の功徳は「礼拝供養すれば八十億劫生死重罪が消滅し、災害から免れ、死後は必ず極楽に生まれ変わる」ことにある。

が、そのためには陀羅尼経を書写して塔中に納めなければならない。

穴を穿っても功徳はある、とはどこにも書いてないのだから、椀状凹みは不思議なのだ。

再び4号線に戻って北上。

左に朱塗りの山門。

 龍昌寺(小山市乙女)

龍昌寺だ。

人が大勢いて山門は通れないから、山門脇から境内に入る。

 境内で祭の蛇を作っている人たち

藁が散らばる中で人々が長い竹に藁を巻きつけている。

訊いたら、1週間先の5月5日に行われるジャガマイタ(蛇祭」の蛇を作っているとのこと。

人々の奇異な視線を背中に感じながら十九夜塔に近づくと、探していたものがあった。

 

見事な椀状凹みが穿たれている。

ジャガマイタは、間々田八幡神社の例大祭で、国の重要無形文化財に指定されている。

     パパの日記 http://knakamura.exblog.jp/12629226/より無断借用

では、と八幡神社に寄り道。

天平年間創立で日光例幣使も参拝というので、椀状凹みを期待したがどこにも見当たらない。

  間々田八幡神社(小山市間々田)

広い境内で、探し回るのに疲れてしまった。

 

日光街道に戻ると「東京から72㎞」の標識がある。

   間々田宿本陣跡(小山市間々田)

そこが間々田宿の本陣跡。

日光街道の中間地点だから間々田、という説があるそうだが、本当だろうか。

幕末期の記録では、宿の長さ1.1キロ、人口947人、旅籠50軒とあるという。

宿のはずれの道の両側に寺がある。

右の行泉寺には石造物は皆無。

  行泉寺(小山市間々田)

左の浄光院には本堂脇に10数基の石造物群がコの字型に並んでいる。

 

   浄光院(小山市間々田)

その中の1基にくっきりした椀状凹み。

他の石造物にはなくて何故この十九夜塔だけにあるのか。

推測だが、これらの石造物は元々別々の場所にあったのではないか。

道路拡張や土地開発などで移転を余儀なくされ、この寺に持ち込まれたのだろう。

場所と造立の趣旨が異なれば、椀状凹みもあったりなかったりするのは、当然だ。

浄光院の裏でも住民による蛇作りが行われていた。

浄光院から淡々とひたすら北上する。

 

 ー小山宿ー

小山市街に入る。

駅前の265号線辺りが小山宿の本陣跡らしいのだが、標識は皆無で全く見当がつかない。

では、教育委員会作成の説明板がないのかというとそんなことはない。

小山市街で最初に訪れた持宝寺の梵鐘には説明板がある。

 

梵鐘は小山市指定の文化財だからだろうが、無指定でも本陣跡くらい明示すればよかろう。

初めの印象が悪かったので、小山市での椀状凹み探しも熱が入らない。

訪れた順番に列挙しておく。

    

     持宝寺(宮本町3)                須賀神社(宮本町1)

 

  妙建寺(宮本町1)

 

妙建寺の石経供養塔の台座に穴がある。

太陽が真上から照りつけて陰影に乏しいから、凹みがあることが写真では分かりづらい。

 

   愛宕神社(宮本町1)                  常光寺(宮本町3)

 

  光照寺(城山町3)                元須賀神社(城山町2)

 

  天翁院(本郷町1)                 宝性院(本郷町2)

  興法寺(本郷町2)

小山の町を歩き回っても椀状凹みは見つからない。

もうこれが最後と心に決めた興法寺で やっと見つけた。

十九夜塔の台石に穴がぽっかり空いている。

 

駅へ向かうつもりで日光街道に出たら、道の向こうに鳥居が見える。

  愛宕神社(本郷町3)

「これが最後」とつぶやきながら、鳥居をくぐる。

これは何というものだろうか。

推測だが、多分、燈籠の基盤に、凹みがあった。

 

小山市街を離れること約1.5キロ。

次の宿場の新田宿よりは、まだ小山宿に近い地点に観音堂がある。

工事中で、シートに包まれて堂の全容は見えない。

 

    観音堂(小山市喜沢)            左の2基は十九夜塔、右端の地蔵が道標

堂の横に4基の石造物。

向かって右端の地蔵の台石には、右へ奥州海道、左へ日光海道と刻されている。

 

元々はここから約1キロ先の喜沢の追分にあった道標。

道標だから、誰からも苦情が出ないからだろうか、ぼこぼこに穴が開いている。

 

  地蔵の最下部の台座の凹み            蓮華座の凹み

 

ー新田宿ー

いつのまにか新田宿に入っていたらしい。

 国道4号線の日光街道新田宿場付近 向こうが宇都宮方向

もともと日光街道で最も小さな宿場だった。

町並みの長さわずか330m。

人口244人。

旅籠11軒。

地図では、板橋医院の道路の反対側が本陣跡。

写真では、信号左の屋根付き四脚門が本陣の門と見られている。

寺社もなく、薬師堂があるのみ。

     薬師堂(小山市羽川)

堂前の十九夜塔と雨引観音が唯一の石造物だが、椀状凹みはない。

 

小山市から下野市へ入る。

駅前の信号を右折するとJR小金井駅。

信号から3分ほどで小金井の一里塚がある。

この一里塚は国指定の史蹟。

下野市教委の説明板を載せておく。

 

ー小金井宿ー

一里塚から5分も歩けば、小金井宿。

本陣大越家の四脚門や道の反対側の白壁の見世蔵に往時の面影が残っている。

地図上では、4号線の「4」の字の辺り。

 

 本陣大越家(下野市小金井1)          見世蔵(下野市小金井1)

見世蔵の屋根にはブルーシートが懸けられているが、3.11地震で壊れたのだろうか。

寺社としては、将軍社参の際に休憩御座所だった慈眼寺と小金井宿の総鎮守金井神社がある。

 

 慈眼寺(下野市小金井1)             金井神社(下野市小金井1)

慈眼寺は将軍社参の際、昼休所に充てられたが、そのために「御社参前後三十日余寺明渡し(『日光社参覚書』)ている。

山門前には石造物がずらりと並んでいて、期待したが椀状凹みはなし。

金井神社の手水鉢に椀状凹みがあった。

 激しい凹み方で、一部は崩れている。

 

JR自治医大駅を過ぎると「下野薬師寺跡」の文字が目に入ってきた。

どうしようかと思ったが、2度と来ることはないので、行って見ることに。

 広大な敷地に整然と並ぶ回廊の跡。

      下野薬師寺の回廊跡

東大寺(奈良県)、筑紫観世音寺(福岡県)と共に天下の三戒壇であったというが、なるほど。

         六角堂

仏教が国家護持のためにあったことが分かる気がします。

周囲の安国寺、八幡宮、にも寄ってみたが、肝心の椀状凹みはどこにもなかった。

 

          安国寺                   八幡神社

再び国道4号線に戻る。

やがて道路の右側に松並木が現れる。

  松並木(下野市祇園)

現在は、JRの線路と国道の間に柵で囲われているが、かつては松並木の間を街道が通っていたに違いない。

だが、これが間違いだと後で分かった。

実は旧日光街道は4号線の西に並行する形で畑の中を走っていた。

日光街道は、4号線とくっついたり離れたり。

たまたま離れている区間だったのに気付かなかったのだが、ではこの松並木は何なのか。

 

夕顔橋というロマンチツクな地名は、国道4号と国道352号線の交差点。

交通の要所らしく、十九夜塔など9基の石造物が道路に背を向けて立っていらっしゃる。

     夕顔橋の石仏群(下野市下石橋)

みんなどこかから移転されてきたものらしく、台石はなく、コンクリートの上に直接置かれている。

椀状凹みは台石に穿たれることが多いから、台石がない状態では椀状凹みがあったかどうかは分からない。

 

夕顔橋から約2キロでJR石橋駅。

国道4号線と駅前通りが交差するあたりが石橋宿の中心地だった。

    石橋宿界隈(下野市石橋)

石橋宿は江戸から15番目の宿場。

町並みの長さ約600メートルに家が97軒、旅籠30軒があり、414人がいたと記録されています。

道路の向こう、車が2台停まっているのが脇本陣跡。

駅からの道と4号線の交差点角です。

 石橋宿脇本陣跡(下野市石橋)

石橋宿には、愛宕神社と開運寺があるがどちらにも椀状凹みはない。

 

         愛宕神社                     開運寺

ただし、開運寺で面白いものを見つけた。

手水鉢の縁に細長い凹みがある。

   すじ状の凹みがある手水鉢(開運寺)

どこかで見かけたような気がする、と思ったが、その通り。

このブログ「石仏散歩」のNO44「凹み穴のある石造物(東京・板橋区その1」の冒頭部分に出てくる蕨市の三蔵院の手水鉢とそっくりなのです。

  三蔵院(蕨市)のすじ状凹み

三蔵院の手水鉢は、次のような文脈の中で登場します。

これまで石造物の凹みは「盃状穴」と命名されてきたが、この手水鉢の凹みは「盃状」ではない。

「盃状穴」で括れないのだから、「凹み石」と呼びたいと提唱したのが、堀江清隆氏。

堀江氏は、『蕨市立歴史民俗資料館紀要』(2011.3)の「石造物に見られる凹み再考」でそのように提案し、私もその説に同調して「凹み穴」を使用することにしました。

しかし、開運寺の手水鉢を見たことで、私は見解を変えることにしました。

これは手水鉢の模様ではないかと思うのです。(その根拠を提示できないのは、なさけないのですが)

だから、NO55からは「凹み穴」ではなく「椀状凹み」を使用しています。

 

地図を少し下へ下げてほしい。

石橋駅があるのは、下野市。

そこから4号線をちょっと上がると下古山の信号があり、そこが上三川町との境界線。

だが、1キロも行かないうちに再び下野市に入り、さらに500mほどで今度は宇都宮市になる。

 

目まぐるしく行政区画が変わって、「どうなってるの?」

 

雀宮という地名がなんとなく好きだ。

江戸から16番目の宿場、雀宮宿は、JR雀宮からの駅前通りが4号線にぶつかった辺りになる。

栃木県に入ってからは、JR東北本線の西側に日光街道は走っているから、どこの宿場も駅の西に位置している。

インターネットで調べたら、宇都宮市がレンタサイクルを事業展開していることが分かった。

雀宮駅で借りて、宇都宮駅で返却もOKというので、雀宮宿と宇都宮宿は自転車で回ることに。

 

雀宮宿も他と同様、宿場の雰囲気は皆無。

本陣跡の石柱はあるものの、ガランとした駐車場で、趣はない。

それでも本陣跡を表示してあるだけ、ましというべきか。

4号線の反対側の黒塀に白壁の豪邸は、仮本陣跡。

   雀宮宿仮本陣跡

本陣と脇本陣では賄いきれない時の補佐役本陣だったが、こっちの方が往時の面影を残している。

東京から100キロきたことになる。

雀宮宿に寺社は二つ。

正光寺と雀宮神社。

 

          正光寺                   雀宮神社

双方に椀状凹みは、ない。

雀宮神社には、多くの言い伝えがあるが、いずれもロマンに彩られている。

その一つを紹介しよう。

長徳元年(995)、陸奥の守に任ぜられた藤原実方を追って来た妻の綾女が、この地で病死します。

彼女の持参していた宝珠を埋め、神としたのが、神社の始まり。

実方も赴任地の陸奥で死ぬのですが、その霊魂は雀となってこの地に飛来して来ます。

雀宮神社のこれが謂れ、ロマンチックな話です。

 

電動自転車を軽くこぎながら北上、薬師堂や菅原神社にも立ち寄るが収穫はなし。

 

   薬師堂(台新田1)              菅原神社(台新田1)

左手にスバルの工場が見えてきた。

   富士重工業栃木スバル(陽南1)

小学校からの友達がここに勤めていた。

退職後も宇都宮にいたが、数年前の夏、睡眠中に亡くなった。

熱中症によるものと説明を受けたが、今でも、不可解のまま。

軽く黙とうして通り過ぎる。

 

いつの間にか道路も歩道も広くなっている。

日光線を過ぎると道路が分岐している。

 不動前の追分 右、奥州街道 左、日光街道(不動前3)

不動堂がある三差路が不動前。

日光街道と奥州街道の、ここが追分。

日光街道は左へ。

日光街道最大の宿場、宇都宮宿はここから始まるのですが、それは次回に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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