≪鬼岩寺の続き≫
ひととおり撮影を終えたので、車に向かおうとしていたら、ガイド役の井戸さんが、「一番重要な石造物があっちにあるんです」と声をあげた。
指さす方を見ると膨大な数の無縁五輪塔群が横たわっている。
近寄って見る。
中央に立つ四角柱の一面に「有縁無縁三界萬霊供養之塔」とあり、別面に「田中城武将萬霊位佛果」と読める。
五輪塔の数約400基。
全て裏山の墓地周辺から掘りだされたもので、まだまだ埋まったままの石塔も数多いのだとか。
いずれも室町から江戸期にかかけて造立され、大半はこの地を支配していた田中藩の武士たちの墓ではないかと推測されている。
無縁五輪塔群の左端前の覆屋には、いかにも年代物の五輪塔と宝篋印塔がある。
永徳元年(1381)造立の宝篋印塔。基礎に「矢部隼人佑」の銘あり。矢部氏は今川氏の家来。
応永元年(1394)造立り宝篋印塔。
応安六年(1373年)、鬼岩寺地蔵講が造立した五輪塔。これは、納骨五輪塔と云われ、地輪と台座が接する部分に小さな穴が開いていて、中に遺骨を落とす仕組みになっている。
下の写真が穴の開いた台座。ここに骨を納めた。
納骨五輪塔なるものがあるのを私は初めて知った。
最後におまけ。
無縁五輪塔群のなかに何故か石仏が一体ある。
「お、馬頭観音だ」。
「これは耳としては大きすぎる。角だろう。だから牛頭観音ではないか」。
さすが「日本石仏協会」の旅、すぐ議論が始まるのが面白い。
◇満願寺跡(藤枝市西益津田中)
「西益津村役場跡地」に車を停めて、民家裏手の細い路地を通り、田中神社の境内に出る。
田中神社の隣、国道1号線に面した空地が目的地の満願寺跡地。
歴代住職墓地は、木の茂みの暗がりの中にあった。
無縁無縫塔群をバックに立つ、役小角(右)と鬼(左)が目的の被写体。
大ぶりの丸彫りで崩れも少なく、保存状態はいい。
従者の鬼は、前鬼なのか後鬼なのか。
片方がないのは、紛失したのか、予算の制約で造らなかったのか。
紛失するには大きすぎるから、初めから1鬼だったのだろう。
撮影して茂みを出ると空地の向こうの駆けあがりに石造物が見える。
可愛い馬頭観音が2基、その手前の石柱が面白い。
正面に「右修善者為犬霊菩提増進也」とあるので、愛犬の供養塔のようだ。
上へあがってみる。
国道に向かって大きな顕彰碑が立っている。
上横に右から「育英碑」、縦に「故幕府儒官永井東陵先生碑」とあるようだ。
国道沿いの説明板によれば、永井東陵は、江戸の昌平坂学問所の教授。
明治2年、藤枝に移住、この地に「育英学校」を開校した教育者とのこと。
これで、藤枝市の石仏巡りは終わり。
ガイド役が佐野さんから井戸さんに代わる。