石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

122日本石仏協会主催石仏見学会-7-(富士市富士川町)

2016-05-26 06:14:20 | 石仏めぐり

◇路傍石造物群(富士市富士川町)

バスに乗っての移動は楽だが、どこを走っているか分からないのが、難。

随分山道を上ってきたなあ、どこまで行っても家があるなあ、とぼんやり外を見ていたら、停車した。

歩いて更に300mほど上る。

自分独りだったら絶対に来られないだろうし、これからも来ることがないだろう、山の田んぼ道に一握りの石造物群がある

馬頭観音が多いが、中に1基、注目すべき庚申塔がある。

宗清寺で観音、釈迦、青面金剛三尊併記の庚申塔を紹介したが、あの庚申塔と同じ三尊併記で、こちらは、造立年が明暦年間と古い。

しかも、宝篋印塔型庚申塔だから、珍しさも増そうというもの。

説明板の内容以下の通り。

この石塔は、善長163cm、宝篋印塔型で塔身を長くし、宝珠の下に二段の請花を彫り、隅飾突起は外に大きく反り返り開いて、全体的に均整のとれた優美な形をしています。
塔身の正面には
   南無三宝荒神
  本師釈迦牟尼佛
   南無観音菩薩
とあり、この上部の左右に鶏が向き合って刻まれ、塔身左右両側には、明暦戊戌年(1658、万治元年)九月吉祥日とあります。
塔身に、釈迦牟尼仏を本尊にして脇に観音菩薩、三宝荒神(佛、法、僧を守る不浄を嫌うので、古くから家々で竈神として信仰されるが、全身青色を帯びるところから青面金剛ともいわれる)の三尊を刻み、それに二猿を配するのは、江戸時代中期以前の形式の一つであり、庚申信仰の本尊が青面金剛明王に代わる経過を知る貴重な石塔です」。

執筆責任者は白いシールで隠されているが、富士市に合併前の「富士川町教育委員会」と書いてあるはずです。

庚申塔前の燈籠にも「庚申常夜燈」と彫ってある。

バスへ戻る途中、林の茂みから何人かが出てきた。

何があるのだろうと思って入って行ったら、林の暗がりの中にポツンと笠付庚申塔が立っている

先ほどの庚申塔と同じように、こちらも2猿。

寄り道していたら、つい集合時間に遅れて、冷たい視線を浴びながら座席につく。

 ◇木島庚申堂(富士市木島)

坂道を延々と上って、集落のどんづまり(?)でバスを降りて、また、歩く。

この辺りはどこも坂ばかり。

好きになれない。

坂道の突当りに石造物群。

観世音菩薩塔3基、巡拝塔4基、題目塔、大乗妙典六十六部塔、三界萬霊塔など全部文字塔ばかり。

目的は、この石仏群ではなく、さらにここから左へ50mの庚申堂。

中に木彫の青面金剛。

頭に髑髏を抱き、目は3眼の憤怒形。

全身ブルーでいかにも青面金剛らしい。

慶安4年(1651)は、静岡県最古の青面金剛像だとか。

道を挟んだ崖下に数基の石造物があり、中に1基、これもまた、三尊併記の笠付文字庚申塔がある。

碑面は

 南無青面金剛 漢文六年(1666)
 本師釈迦牟尼佛
 南無観世音菩薩

この前の室野の庚申塔が「南無三宝荒神」だったのが、ここでは「南無青面金剛」になっている点が違うだけ。

この地域では、一時期、この三尊併記スタイルが流行ったようだ。

バスに戻る途中、みんながカメラを向けている燈籠がある。

燈籠ではあるが、火袋はない。

塔身下に「水神燈/庚申燈」と刻されている。

「これは、山燈籠。水神様と庚申様への参詣道に、両講中が建てたもの」とは、小松光衛さんの説明。

これで全日程終了。

16時、新幹線「新富士駅」で散会。

 ガイド役の佐野さん、井戸さんお疲れさまでした。