由比の宿場本陣近くの寿司屋で由比名産「桜エビ丼」の昼食。
午後一番は、これも由比の入山という地区のお堂。
◇入山庚申堂(静岡市清水区由比町入山)
バスは山の中へとんどん上がって、集落のどんづまりでストップ。
かなりの勾配の坂を歩いて庚申堂へ。
年配のご婦人が5,6人屯している。
後姿は、ガイド役の井戸寛さん
観音の日の集まりだそうだ。
庚申講もやっているという。
江戸、明治の名残がここには、かすかにあることになる。
お堂の横が広い空地になっていて、その奥に観音石仏が3段に並んでいる。
西国三十三所観音で、天保七年(1836)造立。
石工銘はないが、「信州石工じゃないの」と誰かのつぶやきが聞こえる。
お堂の前にも希少な石仏がある。
「醍醐塔」なるものを、私は初めて見た。
像容は、宝珠を両手で持つ地蔵のようだが、どうなのか。
『日本石仏図典』で「醍醐塔」の項を見る。
「醍醐の味は、微妙第一にしてよく諸病を除き、諸の有情をして身心安楽ならしむ、とあるように、仏教の精髄ともいうべき醍醐塔を造立する功徳の、はかりしれないことを示すものであろうか」。
左端の石仏は、左手の未敷蓮華に右手をそえるように見えるので、聖観音だとばかり思い込んでいた。
「これは馬頭観音だよ」。
誰かの声に振り返ってみる。
たしかに頭上に馬の顔がある。
それにしてもこの女人(にしか私には見えないが)のお顔のすばらしいこと。
柔和な佇まいは、見る者すべてに安らぎを与えてくれるようだ。
石仏というより、現代彫刻としても立派に通用する作品に思える。
お堂に集まった女性たちは、眼下の集落の住人。
三十三所観音も、醍醐塔も馬頭観音も、集落の人たちが寄進したものに違いない。
そんなに戸数があるようには見えないから、一戸当たりの負担も少なくなかっただろう。
お金よりも信仰心が上回る、そんな時代がこの集落にはあったことになる。
庚申塔も2基ある。
うち一つが面白い。
なにしろ「南無青面大鬼王」と刻されている。
しかも造立年が、昭和54年(1979)と新しい。
ありふれた「庚申塔」や「青面金剛」ではなく、「南無青面大鬼王」と彫るように石工に発注した人物が、下の集落にいた(いる?)ことが面白い。
どんな人なのか、興味深い。
もう1基も捨てがたい。
一猿一鶏の庚申塔。
写真では、鶏が分からない。
写真が小さくて猿も分かりづらいが、「聞かざる」。
一猿は「聞かざる」ばかりではない。
と、すると「聞かざる」を選んだ根拠があるわけで、タイムスリップして、そこらあたりを訊いてみたいと思う。