2015年11月のテーマは「山梨市の丸石道祖神」。1日からは、八幡地区を5回に分けて、16日からは、山梨、加納岩、日下部、日川、後屋敷を各地区ごとに分けて掲載します。
各地区は、昭和29年、合併して旧山梨市になる前の町村です。なお、岩手地区は、日程の都合で取材していません。
日川地区は、北の重川、南の日川に挟まれた扇状地で、市内で最も標高が低く、平坦な地域です。
江戸時代から、米と養蚕の村だったが、昭和30年代半ば、急速に桃と葡萄栽培に切り替わります。
道祖神は、11か所に祀られていて、全部、丸石。
▼歌田 金桜神社
約80個もの小丸石に大きいのが4個載っている。
80個というのは、私が、今回、回った丸石道祖神の中では最多。
昔はこの境内でドンド焼きも行われていたが、火災を心配して、日川と重川の河川敷へ場所を変えた。(日川は、地域名は「ひかわ」、川名は「にっかわ」と呼ぶ)
▼歌田 東晨洋酒西
丸石道祖神は社の左、杉の木の下にある。
今は子供の遊び場となった神社の境内の片隅にひっそりとある。
大きな丸石が2個ごろんと転がっている。
自然石にしては、いささか丸すぎるようだ
ドンド焼きは、日川の河川敷で行われる。
松の枝やブドウのせん定陀を積み重ねたお椀型のオコヤを、午後3時ころ、消防団立ち合いのもと火入れが始まる。
▼歌田 重川遊園地北
重川の堤防の石仏群の中にある。
ひときわ大きいのは、右から「水天宮」、「蚕神」、「馬頭観音像」。
蚕神の前に丸石が1個、これが道祖神のようだ。
馬頭観音の前には、陽石もある。
ドンド焼きは、1月14日、背後の重川河川敷で行われる。
御幣の御神体をオコヤに移し、参加者にお神酒と尾頭付きが配られると火が点火される。
ドンド焼きが終わると子供による巡行が始まるが、その前にオヤド(お宿)で腹ごしらえ。
オヤドは、子供の年長者(中3)の家がなる。
巡行は、午後4時半から。
裃と袴をつけた中1男の道祖神を先頭に、獅子、太鼓、鉦が続き、その後を大勢の子供たちがぞろぞろとついてゆく。
キッカンジョに似ているが、キッカンジョではなく、獅子舞行事。
小正月での獅子舞(山梨市塩平地区)ー「山梨の観光情報(牧丘タクシーのブログ)より」
各家の玄関先で子供たちは「オシシの年始だよ。悪魔払いて舞い込め。無病息災家内安全、果実大当たり」の掛け声をかける。
子供が差し出す祝儀かごに、家人がご祝儀(1000-3000円)を入れる。
地区180戸の門付が終わるのは、日が変わった午前0時過ぎ、こうしてにぎやかに歌田の小正月は終わるのでした。
▼中村 出雲神社
5段重ねの台石の上に小さい丸石13個と大きいのが1個、セメントでくっつけられて載っている。
ドンド焼きはするが、子供たちによるキッカンジョはやっていないそうだ。
▼中村 石尊山前広場
石尊山広場なのに、巨大な「蚕影山」ばかりが写っていて、丸石道祖神の影が薄い。
反対側からの写真も載せておく。
石尊大権現を祀る石尊堂があるはずだが、見当たらない。
昔はこの辺りまで、切れた堤防から日川の水が流れてきたから、水の神の石尊山を祀ったのだろう。
▼下栗原 天神社上町道祖神場
およそ30個の丸石がセメントで固められてある。
陽石が突き出しているが、上の写真では分かりにくいので、分かりいいのを載せておく。
小正月の祭では、丸石を四方竹で囲って注連縄をはる。
色とりどりのオシンメイ(幣紙)を飾り、お神酒、供物をあげて拝礼する習わし。
▼下栗原 大宮五所大神社
7月に行われる大宮御所大神社最大の神事、水害防止祈願祭は、日川の氾濫を怖れるこの地域の人たちの気持ちを反映している。
ここの丸石道祖神も多くの丸石で構成されている。
境内社と肩を並べて、堂々たる「神様」ぶりです。
▼一町田中 水上稲荷社
神社というより城郭のようだが、それもそのはず、甲斐領主田安家の本陣跡。
田安家の守護神水上稲荷社だけがここに残った。
丸石道祖神は、1個、馬頭観音と並んで、在す。
ドンド焼きはここではなく、白山神社の境内で行われている。
子供たちによる祝儀集めのキッカンジョは、ドンド焼きの1週間前に行われる。
オコヤ作りは、大人と子供の共同作業で、3mのドーム型を作る。
高いのは、かつては子供たちが中に入って遊んだ名残りだとか。
≪続き≫
◇参考図書
〇『山梨市史 民俗編』平成17年
〇市史編纂委『山梨市の石造物』平成13年
〇中沢厚『山梨県の道祖神』昭和48年
〇市史編纂委『山梨市史民俗調査報告書―日川の民俗ー』平成13年